第7話 曲げられないもの


 親子に連れられて入った場所は、普通の民家だと思っていたがどうやらパン屋だったらしい。だが室内に踏み込んだ教団の連中によって辺りは踏み荒らされ、床には売り物のパンが散乱していた。

 ユーノは父親を奥のカウンターにあった椅子に座らせた。


「《ヒール》」


 ユーノが詠唱をすると、父親の怪我していた箇所が淡く発光した。


「ありがとうございます」

「いえ、傷を塞いだだけですからしばらくはおとなしくしていてくださいね」


 礼を言うパン屋の父親に優しく微笑みながらユーノが言う。旅の道中で聞いた話だが、ユーノはいくつかの魔法が使えるらしい。


「それにしてもひどいですね。いつもあんな感じなんですか?」

「ここ一カ月くらいの話です。あいつら……教団の連中の活動が活発になったのは」


 ユーノの問いにパン屋の父親は悔しそうに唇をかみしめて呟いた。


「連中、異端審問だって言って町中の人間を連行してんだ。それも若い女を中心に、いけ好かない連中とか反発する人間とか……。あんなこと言ってるが、やってることはただの人さらいだッ!」

「お父さん……」


 声を荒げる父親に、娘がやんわり落ち着くよう声をかけた。


「教団ってのは、そう言う活動をする連中なのか?」

「いや、教団の人間を見たのは一カ月前が初めてさ。あんな風に威張り散らしてるが、教団の設立事体せいぜい10年前くらいだからな。それからさ、この国で他種族を全く受け入れなくなったのは」

「なんでそんなことに」

「俺達平民にゃわからんよ」


 父親は肩をすくめるばかりだ。だが意外なところから声が上がる。


「教団の設立は、10年以上前に起こった労働問題が原因ですわよ」


 振り返ると、そこにはフードを目深にかぶって顔を隠したエレイーナがいた。


「どういうことだ?」

「要するに、他種族にこの国の仕事の多くが奪われそうになって、変化についていけなくなった人々が暴動を起こしたんですの。当時はこの国も周囲の国家と協調路線を取っていたのですけど、それによって一気に鎖国状態へ突入。一部の過激派が他種族を弾圧するなどし始め、国王がそれを容認したために教団と言う名前もあやふやな組織が口に登るようになったんですのよ。でも、誰もその本当の姿は知りませんの」

「どういういことだ?」

「国内に他種族はもういませんから弾圧する相手がいませんのよ。それに他種族を排斥したことで国力は大きく落ちましたの。それらの矛先が向くことを恐れているのか、もうすでに解散したのか……いずれにせよこの国で《教団》の名前を名乗る馬鹿はおりませんでしたのよ」

「なるほどな、もうすでに存在しない教団……ところで」

「何ですの」


 キョトンと首をかしげるエレイーナに怜人は訊ねた。


「お前、何でここにいるんだ?」

「あなたが入って行ってしまうから仕方なくついて来たんですのよ!? お忘れですの? わたくし、あなたの傍から離れられませんのよ」


 そう言って首元を示してくるが、チョーカーが付いている場所の上からスカーフが巻かれている。どうやら目立たないように隠しているようだ。


「ああ、そういやそうだったな」

「そうだったなじゃありませんの! とっととこれを外して欲しいんですの!」


 ぎゃいのぎゃいのと騒ぐエレイーナを無視して振り向くと、ミリアとユーノは少し呆然としていた。だがユーノはすぐにそばに寄って来る。


「レイトさんのお知り合いの方なんですね。僕はユーノです。こっちはミリアお姉ちゃん。よろしくお願いします」


 そう自己紹介した。ミリアもコクリと頭だけ動かす。


「フン、あらそうですの。わたくしは名乗りませんのよ」

「いや、名乗れよ」


 というとエレイーナが「うぐっ」と喉を押さえる。


「どうした?」と尋ねるとくわっとフードの奥から恨みが籠った視線を送って来る。その視線でどうやら今のが命令に当たって首が締まったらしいことをようやく理解した。


 しかし怜人が前言を撤回しないことを理解して、エレイーナは無理やりに口元に笑みを浮かべながら名乗った。


「え、エレイーナと申しますの……以後お見知りおきをお願いしますわ」

「よろしくお願いします!」


 ユーノが笑顔で頷くころになって、ようやくエレイーナは大きく息を吐いた。

 そしてふうと息を整えてから器用なことに小声で怜人の耳元に叫ぶ。


「あなた……わたくしを殺すおつもりですの!?」

「いや、悪かったって」


 怜人もそこまで効果があるとは思わなかった。


「まぁでもそれを俺につけるつもりだったんだろ。自業自得じゃないか」

「そ、それは……」


 怜人の言葉に二の句が継げなくなっているエレイーナ。

 未だブツブツと文句を言い続けるエレイーナは無視して、ミリアが父親に尋ねた。


「ここの領主はかなり危険?」

「いえ、先代の頃から堅実な方でした。と言っても私が分かるのはこの街の事だけですけど」


 ミリアの問いに娘の方が答えてくれる。


「おい、本当か?」


 エレイーナに尋ねるとしぶしぶと、しかし首を絞められないようにちゃんと答える。視線は恨みがましいものだったが。


「ルスタ領の領主様であるオルバス伯爵はかなり有能ですのよ。このセレスティアン王国でも有数の穀倉地帯であるルスタ領を仮にも治める領主なんだから当然ですの。陛下に収める税収は不足したことなどないですわ」


 そう胸を張って主張するエレイーナ。

 だがその言葉にミリアが不審げな顔をする。


「本当に一度も? この領地が穀倉地帯なら税収はお金と収穫物のはず。天候に左右され安い。5年前の飢饉では落ちなかった?」

「その時は家の店もかなり苦労したぞ。何しろ小麦が全く入ってこなかったからな」


 当時の苦労を思い出したのか父親が険しい顔をする。


「言われて見れば変ですわね。覚えている限りでは税収が落ち込んだ年はないはずですの」

「お前が覚え違いをしているだけじゃないのか?」

「そんなはずありませんの! わたくしはこれでも栄えあるリュートレー――ごほんごほん、何でもありませんわ」


 どうやら侯爵家令嬢を名乗りたかったらしいが、今の自分の置かれている状況を思い出して自重したようだ。


「なら、存在しない教団と手を組むという言うのも納得。ここの領主はただの領主ではない」

「そこまではっきり疑うのはどうかと思いますよお姉ちゃん」


 断言するミリアに対してユーノは慎重論を唱えながらも苦笑いだ。ミリアの言葉はあまりにもはっきりと言い過ぎていた。

 だがミリアはそこで止まらなかった。


「なら、確認する」

「確認?」


 ミリアの顔には当然のことを当たり前に行うという意志しか感じない。


「領主の城に乗り込む」

「な、何言ってんだお前!?」


 突飛な発言に驚く怜人。だがなぜかユーノだけは苦笑いだ。


「まぁ、いつもの事なので」


 ユーノに視線を送ると驚愕の答え。


「さっき街の人が言ってた。連れていかれた人、帰ってきていないって」


 そう言ってパン屋の娘の方に視線を向けると彼女はコクリと頷いた。


「本当です。帰って来た人はいません」

「なら、城のどこかにいるはず。そうでなくてもどこかに送ってるなら痕跡はある」

「それは、確かにそうかもしれないけど……どうやって乗り込むんだ?」

「……」


 方法を訊ねたところでミリアが口を閉じる。


「何か考えがあるわけじゃないのか」

「……さっきの連中くらいなら、何とかなる」

「やめておきなさいな。あの連中は多分兵士ですらないですのよ」


 口を開いたミリアにエレイーナが釘を刺す。


「どういうこと?」

「さっき、異端審問官を名乗っていた一人が言っていた名前聞き覚えがありますの」

「ああ、ギンドロとか言ってたな」

「もしわたくしの知っているギンドロなのであれば、おそらくあの連中は適当に集められたごろつきですの。ギンドロは一カ月前に王宮魔法師団を不正で追放されたごうつくばりですのよ。あの男なら教団の名を騙ってその程度のことはやりかねませんの」


 ちょっとエレイーナはご立腹と言った雰囲気だ。何か確執があるのかもしれない。


「でも、放っては置けない」

「それはそうだけどな……そもそもどうしてそんなに助けたいんだ」


 他人の、本当に一切知りもしない彼らのことを思って深刻に悩む姿に怜人は疑問を持たずにはいられない。ユーノを助けに来た時とは違うのだ。

 だがその問いに、ミリアは少しキョトンとした顔でこう答えた。


「力がある者が、力のないものを守り助けるのは当然の事。それ以上の理由なんて必要?」

「っ!?」


 その言葉を聞いて怜人の脳に衝撃が走った。

 いっそ傲慢にすら聞こえる理屈だ。

 力がある者にはない者を守る義務があると、ミリアはそう言うのだ。そしてその考えは怜人が以前の異世界で最初に抱いていた理想でもある。

 だが怜人は知っている。

 その先に待っていた物を。

 前の世界でのことを思い出して固まってしまう怜人を前に、ミリアは口を閉ざすその顔は、それでもなお彼らの事を救いたいと言っているようだった。


「……どうしてもやるって言うのか?」

「やらなきゃいけない」

「そうか……なら、やり方は考える必要があるな」


 怜人の言葉にミリアは目を丸くする。


「賛成、しないと思った」

「さっさと見捨てりゃいい、とは思ってるけど。どうしてもやるって言うなら――」


 自分と同じ目には合わせたくない。

 飲み込んだその言葉の代わりに、怜人はエレイーナに視線を向けた。


「それじゃ、知ってることを洗いざらい吐いてもらおうか」


   ◇


「チッ、このグズめが」


 ギンドロは荒い息をついて足もとに転がるその男に視線を向けた。

 顔面を青痣だらけにしたその男はイルディアム子爵の三男だ。痛みに呻く姿を見て、けれど怒りが収まらずもう一度足蹴にする。

 ギンドロは一カ月前まで王宮魔法師団の人間だった。本人に聞けば、魔法師団随一の魔法研究者と名乗るだろうが実際は40歳を過ぎても下っ端だった。そもそも王宮魔法師団に入れたのだって父親のコネでねじ込んでもらったからに過ぎない。

 だがギンドロは都合よく自分の実力が認められたからだ、と思って生きて来た。

 一カ月前までは。


「くそっ、こんなことになったのも全部あの男のせいだ。おい、誰か」

「はっ!」

「こいつを連れてガンジン軍団長の下へ行け。『市民共に痛めつけられた。暴徒共を鎮圧せよ』と言え」


 イルディアム子爵の三男をここまで痛めつけたのは制裁の意味もあったが、反抗した市民を拘束する口実でもあったのだ。その姿を見た執事は顔を青くした。


「よろしいのですか……?」

「貴様、この私に二度言わす気か? お前も同じ目にあいたいか」


 恐る恐る確認の声を上げた執事を睨んでやると、彼はびくりとして「すぐ手配いたします」と言ってイルディアム子爵の三男に肩を貸す。


「後カーペットも変えておけ。汚れたからな」


 ほとんど意識のない相手に四苦八苦する執事の背中にそう言葉を投げつけながらギンドロは鼻を鳴らす。


「どいつもこいつも使えない。あの平民上がりの軍団長もそうだ! これだから下民風情は……。私はこんな田舎で終わるような人間ではないのだ!」


 誰もいないギンドロの私室に独り言がこだまする。金に飽かせて集めに集めた調度品は何も言い返しては来なかった。


「ここからだ、ここからなんだ」


 かと思えば病的にブツブツと呟きを繰り返す。

 一カ月前、この地へやって来たギンドロは領主であるオルバス伯爵のとある秘密をネタに取引を提案した。

 教団の異端審問官として、市民を拉致して人身売買を行う。

 本来ならば成功するはずのないこの計画、それが成功したのは元々ある程度の素地がある土地だったのが大きい。そして同時に今さっき運ばれていったようなイルディアム子爵の三男や、他の貴族の次男、四男など不満をため込んでいる貴族のボンボンがこの街には大勢いたのがプラスに働いた。

 彼らはギンドロが甘い言葉をささやいてやればいとも簡単に動いた。

 何も我慢などする必要がないのだと。

 我々は貴族なのだ、思うままやれと。

 下民に見くびられないよう力を見せつけろと。

 そうして一カ月、成果が出始めている。ガス抜きのために多少の横暴は許可しているが、今回はどうやらそれが引っかかったらしい。

 一体何者が歯向かったのか。

 この国の人間たちは《教団》の存在に異常に怯えている。

 それもそうだ。わずか10年前まではこの国には亜人種は幾らでもいた。だがその亜人共はわずか数カ月にも満たない間に一掃された。ほとんどは他国へと移り住んでいったのだが、激しく抵抗した連中は一人残らず教団によって処分されたのだと聞く。

 そのくせいったい誰が教団の異端審問官だったのか、未だに一人としてわからないのだ。

 だからこうしてギンドロも楽に教団の名を騙ることが出来たという物なのだが、ギンドロは「私の頭がいいからできたのだ」と都合よく解釈していた。


「ギンドロ様!」

「何だ騒々しい!」


 勢いよく扉を開けて入って来た兵士に怒鳴り返すと、その兵士がびくりとして足を止める。


「は、ハッ! 現在城の正門に市民が押しかけており、口々にさらった住民を解放せよと叫んでおります!」

「な、何だとっ!?」

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