第5話 同行者と追跡者、新しい旅の始まり


「あ、おはようございますレイトさん!」


 少年の声に振り向くと、宿の扉を開けてこちらに笑みを向けて来るユーノの姿があった。短いくすんだ金髪。緑と赤二色の瞳は活発に輝いていた。


「だいぶ元気になったみたいだなユーノ」

「はい! おかげさまで」

「今日も散歩に行ってきたところか?」


 部屋の窓からは登り始めたばかりの陽光が差し込んできている。

 二人は今、王都を出発し荷馬車で3日の距離にあるルスタ領の領都セヴィアスにいた。


「旅の間あちこち見て回るのも楽しかったですけど、こうして大きな街を見て回るのも面白いですね」


 ユーノの目が好奇心に輝いている。まぶしい。


「その様子ならもう大丈夫そうだな」

「はい! 魔力も多少ですけど戻り始めてますし」


 そう言われてマナ感知を使って見れば、出会った頃はほぼ空っぽだった体に大人並の魔力が宿っているのが分かる。7歳の子どもの体には多すぎる量だ。王宮に誘拐されていたのも頷けるという物だ。


「気を付けろよ。どこにまたお前を狙うような奴がいるか分からないんだからな」

「大丈夫ですよ! 今度はレイトさんもお姉ちゃんもいますし!」


 怜人の言葉に、けれどユーノは無邪気な笑顔を見せる。


「その時にはよろしくお願いしますね!」


 ユーノの素直過ぎる笑顔に苦笑を浮かべる。数日前まで死にかけていたとは思えない元気さだった。そして元気になったユーノはいつも無邪気に笑っていて、それが怜人にとって若干扱いに困る要因だった。

 視線をユーノから朝日の差し込む窓に移して遠く街並みに意識を向ける。

 ルスタ領領都セヴィアスはこのあたりでは一番大きな街だ。それでもつい3日前に出発した王都セレンほどの大きさではない。

 怜人が転移させられたセレスティアン王国の王都セレンは巨大な都市だった。西側には海があり、北側には神聖法王国、南西には獣王国、南東には魔獣といくつかの少数部族の暮らす原生大森林、そして東側は魔国ドラグヘイムに囲まれている。

 そのセレスティアン王国のルスタ領は国王直轄領を抜けた東側の領地だ。西側には王都へ続く太い街道が引かれ、南は《グラウラス山脈》の北端が迫っている。ここより東は小さな農村が幾つも存在し、ルスタ領のみならずセレスティアン王国全土を賄う穀倉地帯となっているらしい。

 まぁその知識はここに来るまでに乗せてもらった荷馬車のおっちゃんに教えてもらった知識なのだが。


「ミリアは?」

「お姉ちゃんは乗れる馬車が無いか調べて来るって言って出て行きました」


 《セヴィアス》に着いたのは昨日の夕暮れ直前。あと少し遅ければ領都を囲む城壁の向こう側でもう一晩野宿になるところだった。この宿が取れたのだって奇跡に近かった。


「見つかるといいけどな」


 《セヴィアス》の東側は小さな農村が幾つかあるだけで町と呼べるものはほとんどないと言う。ましてや怜人たちが向かっているのはこの《セヴィアス》から見て真東にある。目だった特産品もないそんな地域へ向かう商人が果たしていったいどれくらいいるのか。

 荷馬車のおっちゃんからその話は既に聞いていて、3人はここからは徒歩で進むことも考えていた。


「そろそろ朝食に行くか」

「はい!」


 ユーノの元気な返事に頷いて、二人は階下へと向かった。


   ◇


 朝食には少し遅い時間帯で、一階の食堂は閑散としていた。ミリアが戻ってきたのはちょうど料理を注文しようとしたところの事だった。


「馬車はない。ここからは徒歩」

「やっぱそうなるかぁ……」


 はあ、と大きなため息をつきながら運ばれて来たパスタを口にする。カウンターの向こうから宿のおかみさんの鋭い視線が飛んできて「いや、パスタの味に文句があるわけじゃないです」と手を振って返した。


「月に数回、商人が巡回するルートがある。だけど今月はちょうど戻って来たばかり」

「次までは待てない、か」


 そう言いながらカウンター脇に立てかけられた今朝の新聞にちらりと視線を送る。

 座ったままでも目に入る大見出しには『王都で凶悪犯脱獄! 重犯罪者逃走!』とある。どうやら怜人たちが召喚された日の事件は王城に収監されていた凶悪犯が脱獄したものとして処理されているらしい。印刷の技術は割と発達しているようで手書きの物ではないそれにはルシアン・ギード・エデルリット・フラムの名が連ねられ、賞金が掛けられていた。


「何でレイトの名前が無いのかは不明。でも、今の王宮には賞金を懸けて捜索を行うくらいには余裕が出来たことは明白」


 あの召喚された日、王宮は大変な騒ぎになっていたはずだ。地下から船が現れ、魔法の研究塔は崩壊、ここまで追手が来なかったのはおそらくそのせいだと思われた。


「だな。お前らの方にも追手が掛かると思うか?」


 その言葉にユーノがびくりと肩を揺らす。ユーノはちょっと前まで王宮の魔法研究施設で魔法研究の材料にされていたのだ、怖くないはずがなかった。

 ミリアはその肩に優しく手を置いてなだめる。


「わからない。でも可能性はある。ユーノもだいぶ回復しているからなるべく早くここを発ちたい」

「……そうだな」


 王都を出た頃ユーノはほとんど動けなかった。この3日ほどで体力も魔力も回復してきているのは今朝の散歩でも明らかだ。

 だが、それとは別に気になることがあった。


「だけど、お前の魔力が回復してないだろ。いいのか?」


 そう、ユーノ魔力は順調に回復しているのだがミリアの魔力は全くと言っていいほど回復している気配がないのだ。魔力感知で見てみても出会った時と変わらずほとんどないに等しい。


「……ボクの魔力枯渇はちょっと特別。でもじき元に戻る」

「ならいいが……」


 ミリアがはっきり断言したことで、怜人はそれ以上の追及をやめた。

 この世界の人間は必ず魔力を持っている。完全にゼロになった者は死んでしまうし、枯渇状態が長く続けば肉体に影響が出るのは確実だ。ちなみに怜人の持つ《マナジウム結晶体》から生成されるマナとこの世界の魔力は厳密に言えば別の物だがよく似た性質を持つようだった。

 ミリアがそんな状態で平気で活動できていることには疑問を持たずにはいられなかったが、怜人はそれ以上踏み込むつもりはなかった。


「んじゃ、朝飯食べたら道具の調達だな。あのいけ好かない騎士団長の剣を売っぱらって出た儲けはまだあるし、大丈夫だろ。ミリア、目的地まではどのくらいかかりそうだ?」


 ことさら明るく、けれど目的地は明白に言わずミリアに尋ねる。


「おおよそ4日から5日。途中の村である程度補給は出来るはず」

「んじゃ、日持ちする食料と水だな」


 閑散とした食堂で、怜人たちは今後の旅程の話を進めた。

 だが決して誰も目的地については口にしなかった。

 何故なら行先は東側に点々と存在する村の先にある国境線のさらに先。

 このセレスティアン王国と現在絶賛戦争中である《ドラグヘイム》が目的地だからだ。


   ◇


 魔国ドラグヘイムは魔人族の住む国だ。だがしかし魔人族が多く暮らすだけであって魔人族だけの国ではない。いわゆる多民族国家だ。

 むしろこのセレスティアン王国の様に人間族だけが暮らしている国の方が珍しいという。さらに言うならセレスティアン王国は人族至上主義国家で、人族以外のすべてを人間として認めない過激な宗教観を持っているという。

 それゆえ両国は関係が険悪かと思いきや、セレスティアン王国の方が一方的に噛みついているだけらしい。よってこの国にいる間2人はドラグヘイムの出身だと言うことは隠すことにしていた。


「でも、本当によかったんですか?」

「何が?」

「僕たちに付いてきちゃって……」


 十字に交差された幅の広い大通りに作られた市場は交差点の中央に大きな噴水が設けられており、ユーノはその噴水の縁に腰かけていた。ユーノの頭を優しくなでてやると、少し不安げだった顔が和らぐ。


「子どもが気にすることじゃねえよ。俺も俺で、欲しいものをくれるって言うから付いていくだけだ」

「えーと、あれですか『庭付き一戸建て』」

「そうそう」


 ミリアに行先を告げられた時、怜人は一緒に行かないつもりだった。当初のユーノを救出すると言う目的は達成されていたし、責任は果たしたつもりだったからだ。できればもう誰とも関わり合いにならずにいたいと考えていた怜人に対して無理矢理について来ることを求めたのはミリアだ。


『だったら条件。向こうに付いたら何でも欲しいものをあげる』

『じゃあ、庭付き一戸建て』

『分かった。行こう』


 というやりとりの下、怜人は未だ二人と一緒にドラグヘイムへ向けて進んでいる訳だった。


「でも本当にあいつそんなもん用意できるのか? 無理目の冗談のつもりだったんだが」

「……多分大丈夫だと思います。お姉ちゃん、ドラグヘイムに戻ればお金は持ってると思うので」

「ホントか? あいつこの旅の間一切自分の金出してるところ見たことないけど」


 実際今ミリアが二人から離れて露店で干し肉を買うためにやりとりしている金も親衛隊長の剣を売って手に入れた金である。


「あはは、僕を助けるためにほとんど何も持たないで来てくれたみたいなので……だからドラグヘイムに戻りさえすれば――」

「そうだな」


 曖昧な笑みを浮かべるユーノに対して怜人はそう言うしかない。

 だが怜人は知っている。魔都ベゼルがルシアンの隕石爆撃を受けたことを。ミリアたちがドラグヘイムのどの辺から来たのかはまだ聞いていないが、おそらくドラグヘイム国内は今大変なことになっているはずだ。この国にいるのも危険だが、その状況下に連れていくことにも難色を示した怜人にミリアはこう言った。


『ベゼルは無事』


 王宮を出て以降ドラグヘイムの情報は入ってこない。新聞にも記事はなかった。だがミリアがはっきりと断言した以上今はその言葉を信じてドラグヘイムへ向かうしかなかった。


「それにしても遅いな」


 見ればミリアは露店の商人と何かずっと話しているようだ。遠目に見た感じだと、商人の方が一方的にヒートアップしているようだが。


「僕、ちょっと見てきますね」

「頼む」


 その言葉に頷いて、ユーノは露店に駆け出して行った。

 ユーノが2人の間に入って話をし始めると露天商も少し落ち着いたようだった。先が思いやられる。ミリアは今自分が置かれている状況を分かっているのだろうか。目立つことをすれば最悪王宮からの追手に見つかってしまう可能性だってあるのだ。

 出来るだけ普通にして、見つからないようにしなければ。


「みっ、見つけましたわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 女性の大きな声が背後から聞こえたのはその時だった。

 振り向けばそこにいたのは金髪の少女。彼女は目を怒らせながら怜人を指さしている。


「あんた、確かエレイーナとか言った――うわっ!?」

「あなた、あなたあなあなあなあなあなたのせいでわたくしはッ!」


 かと思えば目元に涙をにじませながらエレイーナはツカツカと歩み寄るなり怜人の服の襟元を掴みあげて来る。我を失っているためか力が恐ろしく強い。


「おち、落ち着けよ」

「これが落ち着いていられますか! 召喚の責任を追及されたわたくしの気持ちをあなたお分かりになりまして!? あの大悪人どもを捕まえるためにはもうあなたのような品性の欠片もないような失礼な人間を使うしかないと言うのに!」


 耳元でがなりたてるエレイーナの姿には最初見た時の貴族然とした雰囲気は全くない。だが美しいその容姿に周囲の買い物客たちの視線を集め始めており、周囲からは「修羅場?」「痴話喧嘩?」という単語が耳に入り始めて流石に怜人も黙っていられなかった。こいつと恋人などという勘違いを断じて許すことは出来なかった。


「ああもう、うるさい!」

「ひゃん!?」


 怜人はさっと足を払って体勢を崩させる。一応地面に倒れ込まないように肩に腕を回して抱き留めてやるが、そのせいで端正なその顔が近づいてしまう。


「うぷ」

「あなた、この状況で吐くようならば一生をかけて呪ってやりますのよ」


 目が本気だった。この少女なら何となく本気でやりそうで怖い。怜人は必死でこみあげてくるものをこらえた。


「まったく、あなたときたら本当に失礼ですのね」

「うっさい。それより俺に何か用か? 俺は二度とあんたら王族には関わりなくないんだけど」

「そうは参りませんの。あなたにはこれからわたくしと共に4人の偽勇者達を捕まえる手伝いをしていただきますのよ」

「は? 偽勇者?」


 おそらく怜人以外の召喚者たちの事を言っているのだろうことは分かったのだが、勇者として召喚しておきながら偽呼ばわりとはなかなかひどい。

 だがエレイーナは目元に怒りを浮かべて喚く。


「あの者達は勇者の称号と同時に『魔王』の称号も隠し持っていましたのよ! ルシアンは『究明魔王』、ギードは『病魔魔王』、エデルリットは『傀儡魔王』、フラムは『独善魔王』! あの者達は以前自分のいた世界を自分で破滅しつくした『魔王』達だったのですわ!」


 なるほど、よくよく思い出してみれば確かに解析魔法は時間がかかるとか言っていた。


「それはお前、鑑定に時間がかかって最後まで見れなかったからじゃねえの?」

「うるさいですの! 勇者と呼ばれた時に弁明なさらなかったあの者達が悪いのです。そ言えばあなたも最後まで鑑定できていませんでしたね。貧相な装備しかないあなたのことなどすっかり忘れていましたがこれからあなたはわたくしの手足となるのですからこの機会に鑑定しておきましょう」

「あ、おいやめろ」


 エレイーナの瞳に複雑精緻な魔法陣が浮かび上がったのを見て、怜人が慌てて取り押さえようとするのだが、何故かこのタイミングで機敏な動きを発揮して掴まえさせない。


「あらあら『光明勇者』。ずいぶんと御大層な称号をお持ちですのね……あら? こっちの称号は……なんですの『全――』」

「言うんじゃねえ!」

「あうっ!?」


 エレイーナが口にしようとした言葉を聞いて、怜人は思わず光線を発射した。光線はまっすぐにエレイーナの額を打ち抜き、その威力でエレイーナは半回転するような形で背中から地面にばたんと倒れ込んだ。その顔を覗き込むと目を回している。威力はかなり絞ったので怪我はしていないはずだった。

 周囲が「やっぱり修羅場」「おいおい痴話喧嘩かよ」とはやし立てるのを冷たい視線で黙らせる。

 かがみこんだ怜人は、エレイーナの袖口から転がり出て来た硬質なリングを拾い上げて尋ねた。


「大体さ、俺がお前の手伝いなんてすると思ったわけ?」

「うぅう、もうわたくしにはわたくしを手伝って下さる方の伝手が他にありませんのよ。所属していた王宮魔法師団は父も含めそっぽを向かれましたし、アーデ姉さまは国境ですしウルスラ姉さまは嫁ぎ先の領地から出られませんし……」


 目を回しながら、何故か素直に怜人の言葉に応えてくれる。頭に衝撃を受けたせいで混乱しているようだ。


「親衛隊長はなんだか気持ち悪いですのよ。毎日毎日『剣が、剣が』と城内城外をうろつきまわりますし、ですからこうして最後の可能性であるあなたに魔法師団で保管していた『隷属の首輪』を持ってやってきたわけですし」

「ほう……」


 今こいつなんて言った。


「これを首に嵌めると言うことを聞かせられるってわけか」

「ええそうですのよ。それを使ってあなたを従えてあの偽勇者共を捕まえられればわたくしは今度こそ貴族として――あら、これは一体?」


 カチリ、と自分の首元に感じた違和感でエレイーナはようやく正気に返ったようだった。

 その首元にはしっかりと黒いチョーカーがはまっている。怜人がはめた指を放すと、硬質だったリングは柔らかい材質へと変化しエレイーナの首にぴったりと巻き付いた。


「んなっ、なぁっ!」

「ほー、こういう感じになるのか」

「あなたっ、いったい何をしてますのっ!?」


 がばっと起き上がったエレイーナが自分の首元を触って確かめている。そこに確かに隷属の首輪がはまっているのを確認して、愕然とした表情になる。


「な、ななんてことを……今すぐ外しなさい!」

「そんなにやばい首輪なのかコレ」

「当たり前ですわ……本来であれば罪人にしか使用が許されていない首輪ですのよ。付けた相手の命令に逆らったり1キロメルテ以上離れたりすると首輪が締まるんですのよ。魔法が掛かっていますから付けた本人以外に外すこともできませんの……」

「なるほどな」


 一度はキッ、と刺すような視線を向けて来たエレイーナだったが、怜人が全く外すつもりがなさそうなのを見てしゅんとうなだれる。

 話された内容を聞いて、怜人としては「そんな危険な物をはめようとすんじゃねえ」としか思わなかったが。


「レイト、何があった?」


 と、そこへようやくミリアとユーノがやってくる。気が付けば周囲は野次馬にやんわりと囲まれていて、涙を流す美少女にしか見えないエレイーナに同情するような視線が刺さっている。二人がやってくるのに時間がかかったのは野次馬をかき分けるためだったようだ。


「うっ、うぅ……どうして、どうしてわたくしばかりがこんな目に……」

「えーっと、レイトさん。こちらの方は?」


 怜人の足もとで嗚咽を漏らすエレイーナの姿を見てユーノが恐る恐る訊ねて来る。全くと言っていいほど状況が飲み込めないようだ。


「あー、こいつはな……」


 そして怜人がこの状況を説明しようとした時だった。


「異端審問官である! 即刻扉を開けよ!」


 威圧的な大声が響き渡った。

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