第2話 月下、願いと出会い
しばらくして怜人達が呼び出された召喚の間に一人の兵士が転がり込んでくる。兵士は白銀の鎧を纏った騎士の元へ駆け寄るとかがみこんだ彼の耳元に何事か囁いたようだった。騎士の顔が驚愕に強張る。
「国王陛下、確認に向かった兵士によると、魔都ベゼルの方角で天高くまで大量の土埃が舞い上がっている模様です。魔都ベゼルの様子はその土埃に覆われて全く分かりませんが、おそらくルシアン様のおっしゃる通りの事が起こっているのかと思います」
「おお、なんという!」
騎士の言葉に国王は涙を流して喜んでいるようだった。
「永きにわたり我が国の宿敵である
そう言って国王はルシアン達の前に膝をつく。背後に控えていたすべての騎士たちもそれに倣った。
「では勇者様方、順番が前後いたしましたが今宵は我が宿敵が倒された宴を催しましょうぞ! 本来であれば勇者様方を歓迎するための宴でしたが喜ばしいことに変わりはございません。王城へ参りましょう」
その言葉と共に、周囲にいた騎士たちが勇者達を先導する。どうやら場所を移すつもりらしい。
「騎士長ファームベルグ卿」
「ハッ」
そのさなか、国王が親衛隊の一人を呼ぶ。ファームベルグ卿と呼ばれたその男性騎士は先ほどの白銀の鎧騎士だ。他の騎士達より抜きんでた雰囲気だと思っていたが、どうやら騎士長だったらしい。
二人は囁き合う様に二言三言言葉を交わし離れる。そしてファームベルグは他の勇者達についていくべきかと立ち上がろうとした怜人へ近寄って来たのだった。
人好きのする笑みを浮かべながらファームベルグは手を差し出す。
「勇者様、お体の具合はいかがですかな」
「ああ、だいぶ落ち着いて来たところだ」
「そうですか。陛下は勇者様の体調を慮って宴の前に少しお休みになられるようにとの仰せです。よろしければ肩をお貸ししましょう」
言いながらもぐいっと掴んだ手を引っ張る。若干の強引さで、怜人の腕が痛む。
「……いや、せっかくだけど俺はいい」
「いい、とは?」
ファームベルグの笑顔が固まる。
「宴には参加しないって言ってんだよ。魔王が死んだなら俺に用はないだろ。俺は帰る方法を探すためにここを出る」
怜人はすぐにでもここを出たかった。
国王たちは見ていて吐き気がこみ上げるし、何よりもつい先ほど怜人に特殊な能力がほとんどないことを知った時の国王の視線はゴミでも見るかのようなものだった。
ああいう視線には見覚えがある。
以前に怜人が異世界転移した時、見たその国の国王が同じ目をしていたからだ。
こういう場所からはすぐにでも立ち去るに限る。
「し、しかし国としてわざわざおいで下さった勇者様に何もせず放逐したとあっては後世まで笑いものになってしまいます。ここはひとつ、陛下の顔を立てるためだと思って」
「断る」
その言葉を発した瞬間にファームベルグのこめかみがピクリと動いた。
どうやらこの男も見た目通りの人間ではないらしい。以前異世界転移した経験がなければ怜人もコロッと騙されていたことだろう。
ファームベルグがさらに言葉を重ねて怜人を留めようと口を開きかけようとしたその時だった。
「うあああああああああああ」
絶叫が召喚の間を揺らす。
はっとして視線を向けると、そこでは一人の騎士がルシアンに手を掴まれたまま体中の穴という穴から血を噴出して絶叫しているところだった。そんな状況だと言うのに、ルシアンの顔にあるのは未知への好奇心と、事実を分析する研究者の顔だった。
「ふむ、他人の体に魔力を流した時どうなるのか気になったのですが……やはりこちらの世界でも結果は同じようですね」
そう呟く前でどうと音を立てて騎士が床に倒れる。苦痛に歪んだまま固まった顔を見れば、既に死んでいるのは明白だ。
「き、貴様ッ! 何をする!?」
騎士たちが叫びながらルシアンの正面に剣を構える。そしてその内の3人が他の騎士の間から杖を突き出し魔法陣を展開していた。
「この世界ではそうやって魔法を展開するのですね。……こんな感じでしょうか」
ルシアンが杖を翳すとそこに魔法陣が浮かび上がる。それは騎士たちが展開している物と同じ魔方陣だ。その魔法陣を見た杖を構えている騎士の一人が顔を青ざめさせながら叫ぶ。
「ばッ、バカな!? これは上位魔法だぞ!?」
「ふぅん、この程度で上位魔法ですか。あまり期待できそうにありませんね」
杖を持っているのとは逆の左手で指を鳴らす。
すると同様の魔法陣がルシアンを中心にしてさらに8つ並ぶ。
「バカ、な……」
騎士が呟いた言葉には絶望が浮かんでいた。
ルシアンはそれを確認してから何の興味もなさそうに魔法の名前を口にした。
「《雷火》」
一斉に魔法陣から雷が飛び出し、ルシアンの前に構えていた騎士たちを蹂躙した。一人として絶叫すら上げることを許されなかった。一瞬で喉も肺の中の酸素ごと焼き尽くされたからだ。わずかな間で床の上に消炭だけが残された。
「な、な」
ファームベルグが口をわなわなと震わせるのを隣で聞いた。
だが事態はそれに留まらない。
「ぎゃああああああああ」
再びの絶叫。
見れば全身を青紫に変色させた兵士が叫んでいる。体中から膿を垂れ流し、床をのたうち回っているのだ。そのすぐ傍ではおろおろと見下ろすギードがいる。恐らく原因はこの女だろうと怜人も、隣にいるファームベルグも直感した。
「だから、さわらない、でって言った、のに」
「貴様あああああああ!」
これにはファームベルグも耐えられなかったようだ。剣を引き抜いて上段から斬りかかる。振り下ろされた剣はギードの肩口から腰までをバッサリと切り裂いた。
いや、通り抜けた。
「!?」
ファームベルグもそれにすぐ気がついた。剣を振り下ろした体勢で硬直している。
ギードの体は黒い霧のようなものになって漂っていた。
『近寄らない、でって、言った、のに』
とぎれとぎれの声が、黒い霧全体から反響するように聞こえて来る。全身を霧状に変えた今のギードに喋る器官などないはずなのにいったいどこで喋っているのか。現実逃避気味な思考は、次の瞬間ギードだと思われる黒い霧がファームベルグの体をすり抜けて猛スピードで突っ込んでくるのを見て吹き飛んだ。
慌てて頭を下げる。
頭上を通り抜けた霧は、轟音を立てて壁にぶつかり巨大な穴を開けた。穴の先は円形の外周を囲む階段になっており、さらに先の壁を破壊してどこかへと飛び去ったようだ。外へと繋がる穴から見えたのは星々と夜空に浮かぶ二つの月。久々に感じる異世界の夜の冷気にぶるりと体が震えた。
逃げるなら今かもしれない。
こんな化け物共と一緒にいたら命が幾つあっても足りるものではない。
ちらりと視線を向ければファームベルグはどこか怪我をしたのか顔を押さえたまま未だ立ち上がれず、国王とエレイーナは反対側の出入り口から黒服の男と何人かの騎士に周りを固められ出て行くところだった。残っている召喚者はと言えば、ルシアンは変わらず魔法を使う騎士達を殺さない程度にいたぶり、エデルリットはなぜか何人かの騎士を従えて別の騎士たちと戦わせている。そんな混沌の中でフラムは高笑いをしているという地獄絵図が出来上がっていた。
覚悟を決めて一歩を踏み出す。
けれど体が加速した瞬間に頭上から影が差した。
「逃がさんぞ!」
ファームベルグの声だった。足を止めずに振り向けば、顔の左半分を押さえたまま右手で剣を高々と振り上げている。その目にはありありと狂気が浮かんでいた。もう怜人の事を人間などとは見ていない。
獲物。
「化けの皮が剥がれやがったな」
ブン、と大きな音を立てて振り下ろされた剣を転がって避ける。立ち上がったところへ場所を分かっていたかのように飛んでくる剣、これも躱す。
「……悪いけどこれは正当防衛だからな」
怜人は右手の人差し指を伸ばし、指先をファームベルグに向ける。それはまるで指鉄砲でもするかのような形だ。その状態を維持している間に、怜人の心臓の裏側に埋め込まれた《マナジウム結晶体》からマナを一気に吸い上げていく。マナは心臓から右肩を通り抜け、右腕を伝って指先へと収束していく。
「ハハハッ! 何をするかと思えば、その腕ごと切り裂いてくれる!」
目の前にいる怜人がそんなことになっているなどとは露ほども考えないファームベルグが哄笑を上げ、剣をフルスイングした。
しかし剣が当たるよりも先に怜人の指先から赤い光が溢れ出す。目を焼くほどにまばゆい光だった。視界に映ったその光にファームベルグが脅威を感じたか剣を引き戻そうとする。だがそれより先に光は一直線にファームベルグの体のど真ん中に当たると、その巨体を背後へ吹き飛ばした。
「ぐうおおおおおおおおお!?」
ファームベルグが赤い光線を鎧で受けながら床の上を滑って壁にめり込んで止まる。大きな土煙が上がって、かなりの衝撃の様だった。
これが怜人の持つ《マナジウム結晶体》の力だ。
「俺の能力は体内のマナジウム結晶体から放出されるマナを光線として放つ! これが俺の力ッッ!?」
見栄を切ろうとしたところに回転する剣が飛んできて首を竦める。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
辛うじて剣を躱したところに土煙の向こうからファームベルグの怒声が響いて来る。
「チィッ! 俺の光線は攻撃力が低いが、どうやらその鎧ただ物じゃないな!?」
怜人の光線はとある方法を取らなければ攻撃力がイマイチなのだが、あれだけまともに喰らってすぐに動けるほど弱くもない。あの白銀の鎧に秘密があるようだった。
だが今はそんなことはどうでもいい。ファームベルグが煙を抜けてやってくる前に怜人は壁に空いた穴に飛び込み階段を駆け降り始めた。
◇
「ここまで来れば……大丈夫か?」
召喚の間があった部屋から飛び出すと、そこは円柱を中心にした螺旋状の階段の中だった。どうやらこの建物は塔の形状をしているらしく、駆け足で階段を下りる途中で何度か扉の前を通り抜けた。反対の壁には窓が取り付けられ、そこからは夜天が覗いている。
そして一階まで下りた怜人が扉を抜け背後を見上げると、そこには予想通り大きな塔がそびえていた。
上層階の方からは相変わらず大きな音が聞こえ続けている。召喚の間で召喚者たちが未だ暴れ続けているのだろう。
「今のうちに遠くへ逃げよう」
混乱している今のうちに少しでも遠くに逃げよう。
以前の異世界ではひどい目にあった。
女神に騙されて。
王族に騙されて。
人々に騙されて。
無理矢理魔王を討伐させられた。
もうあんなことはしたくない。
どこか遠くの静かな場所で畑でも耕して誰とも関わらずに暮らそう。
18歳とは思えない、世捨て人のようなことを考えながら怜人は早足で塔から離れ始めた。
塔の周囲は庭園になっていた。低い植え込みがずっと続いている。真ん中には噴水が設置され、夜中だと言うのに光を放つ石が点々と設置され照らし出されていた。
「出口は、こっちか?」
遠くにシルエットだけだが背の高い城壁が見えている。そこまで行けばどこかで外に出られるだろう。
そう思って噴水の前を横切ろうとした時だった。
いきなり目の前が明るくなる。余りのまぶしさにとっさに目を覆うが、体内に埋め込まれた《マナジウム結晶体》の力で光の根源が地面に現れた魔法陣だということがすぐにわかった。
咄嗟に追手の魔法を警戒して進もうとしていた足を後ろへ引き戻す。だが後退するよりも先に、魔法陣の中から何かが飛び出した。
ドン、という重い衝撃に体を襲われ耐え切れず背後から地面に倒れ込む。
真っ先に目に飛び込んできたのはアメジストの輝き。はらりと零れ落ちた黒髪と、ほの白い輪郭が浮かび上がってようやく自分の体の上にいるのが少女だと気が付いた。
冷涼な印象の顔立ちだった。怜人よりは年下だろう。ほっそりとしなやかな体躯に、はっきりと分かるくらいには起伏のある胸が目立つ。だが少女が次にとった行動で、怜人はそんな余裕も吹き飛んだ。
きらりと月光が何かに反射して目を眇めたところで少女の手に短剣が握られていることにようやく理解が至る。と、同時に短剣が振り下ろされた。
「あっぶな……」
顔面に振り下ろされた短剣と、庇う様に翳した手のひらの間に赤色の薄い壁が展開されていた。マナをシールド状に展開したものだ。もし一瞬でも遅ければ少女が手にした短剣は怜人の頭を貫通していただろう。
「あなたは、この城の人間?」
目の前に展開されたマナシールド越しにこちらを見つめながら少女が呟く。目に映るのは疑問。声は外見の幼さと反して平坦な、感情をあまり感じさせない低めなものだった。
「こんな盾を使う人間を知ってるなら、この城の人間かもしれないな」
「人間はたくさん新しい魔法を使う。新しく作られた可能性は否定できない」
「じゃあ俺がこの城の人間だとしてどうする?」
「……」
怜人の再度の問いに、少女は沈黙した。
じっとこちらの目を見ながら考えているようだった。
怜人意地になってまっすぐにそのアメジスト色の瞳を見つめ返す。幸い宝石のように輝く瞳は見ていて全く飽きなかった。
「……あなたは一体誰?」
怜人体の上からどいて、少女は再び問いを口にした。手に握っていた短剣は腰のホルスターに戻している。腰にはもう一本短剣が刺さっており、どうやら二刀使いのようだった。
「俺は霜月怜人。ちょっと異世界から来たところだっわ!?」
言い切るよりも先に、怜人の顔の前を短剣が横切って行った。
「何すんだよ!?」
「八つ当たり。このくらい、避けられるよね?」
八つ当たりなどと言いながら、けれど少女の声は変わらず平坦だ。
「馬鹿言うな、当たれば死んでたぞ!」
まぁ怜人も当たるつもりはなかったのだが。最初の一撃に比べれば、本当に八つ当たり程度の攻撃だった。
「多少は当てるつもりだった」
「当てるつもりだったのか!?」
「でも当たらなかった。思ったよりあなたは強い様だ」
「まぁ、前の世界でだいぶ鍛えられたからな……」
怜人がこうして戦闘行為が出来るのは前の異世界で魔王討伐に赴く以前に相当な訓練を行ったからだ。それはもうスパルタ式につらいものだった。
「何故泣いている?」
「別に。ちょっと思い出し泣きだ」
「変な人」
「突然目の前に現れて短剣を突き付けてくるような奴には言われたくねえよ」
怜人が少女の言葉に噛みつくも、何か考えているようでこちらを見ていなかった。
どうやら誤解も解けたようだと思い、怜人は今度こそ王宮を後にするべく脇を通り抜けようとした。
だがその鼻先にすっと短剣を突き出される。
「ボクの名前は――ミリア。不本意だけど、少し付き合ってもらう」
「は、いったい何にだよ」
その言葉に、ミリアと名乗った少女は怜人に向けていた短剣を背後へ向ける。
「あそこに、ボクの友達が囚われている。あなたにはそれを助ける手伝いをしてもらう。あなたに拒否権はない」
有無を言わせぬ口調だった。だが目には本当に不本意なのだろう葛藤の色合いが見て取れる。
だが、怜人には関係のない話だ。
「断る。そう言うのは他の奴に頼め」
「ボクの友達はちょっと特別な血筋。生まれつき魔力が多かった」
「おいそれ聞かなきゃいけないのか」
「この城の研究者に囚われたのは1カ月前。そして今日、その魔力を使った大魔法の実験が行われたらしい。ボクはいてもたってもいられずここへ来た」
「……」
「その魔法は異世界から他の人間を召喚する大魔法だと言う――」
「あーはいはい分かりました、行けばいいんだろ、行けば!?」
最後まで言われるまでもなく途中で察したが関係大ありだった。
どうやらそのお友達、怜人達を呼び出すための素材か何かにされているらしい。
「でも、そいつ魔力を使われて生きてるのか?」
「すぐには死なないはず。でももし魔力を使い果たしていればかなり衰弱していると思われる。だから、急いで保護したい」
「……仕方ねえな」
はあ、と大きくため息をつくと怜人は振り返る。
目の前には二つの月の明かりに照らし出された塔がある。
「ミリアだったな。俺は大して強くないからあんまりあてにするなよ」
「レイトにはさほど期待していない。急ぎだったから都合のいい手が欲しかっただけ」
「もうちょっと人のモチベーションを上げる努力とかしてもいいんじゃねえの!?」
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