雪に溺れた夏

@isonomanami

雪に溺れた夏

僕の愛した小説家が死んだ。


繊細かつ丁寧な言葉遣いで表現の豊かさは計り知れない。


登場人物の心情の汲み取り方が美しすぎて誰しもが感情移入してしまうような。


そんな小説を書く人。


物語の紡ぎ方はまさに天才。


天才小説家の松下蓮斗がこの世を去った。



―――――――――――――――――――



「向日葵が咲いた冬」


このタイトルを聞いたことがない人はいないんじゃないか。


そう思えるほど俺の小説が売れた。


業界では誰もが目指す有名な賞を頂き、瞬く間に俺は天才小説家になった。


無数のフラッシュに目を細めながら俺は認められた幸せを噛み締めた。


その日からあっという間に大忙し。


雑誌のインタビューで1日が潰れることもあった。


連載企画のオファーや、次回作の催促。


映画化の話まで舞い込み、俺の小説家人生は大いに充実していた。


8年前までは。


俺はまた売れない小説家人生を送っている。


売れたのはあの小説だけで、賞を取れたのもきっと神様の気まぐれだ。


それからは世の期待に負け、スランプに入り、気づけは8年たっていた。


連載は打ち切られ、新作を待ってくれる人ももういない。


あの頃のように物語が描けず、言葉は浮かんでこない。


今は「向日葵が咲いた冬」略してひまふゆ時代に稼いだお金でなんとか生きている。


だけど寿命まで生きることは厳しいだろう。


おまけに今日は雨。


天気も気分も最悪だった。


もう正直、生きていける気がしない。


このスランプが抜ける光はないし、スランプから引っ張り上げてくれる人もいない。


まだ恋人でもいれば頑張れたのかもしれないが、こんなガリガリで青白い不潔な奴誰も相手にしない。


男以前に人間としても認知されてない気がする。


一歩外に出れば汚物を見たような顔される。


もう、うんざりだ。


1度思い立つと早く、俺はあっという間に死への道を歩みだした。


4日ぶりに出た外は思ったより肌寒く、たった1枚のシャツは雨で濡れた。


水分を含み重くなった服とは逆に俺の足取りは軽かった。


向かうは高台。


街を見渡せる穴場スポットで人は滅多に来ないが俺は1番美しい場所だと思ってる。


前々から死ぬなら高台と決めていた。


飛び降りが1番楽そうだし怖くなさそうだから。


そう、今日この高台で人が死ぬ。


生きる活力を失った男が。


松下蓮斗がこの世から逃げる。



――――――――――――――――――――



もう疲れた。疲れた。疲れた。疲れた。


またいつものように地獄が始まる。


バイトで汗水流して働いて、嫌味を聞きながら残り物のご飯を貰って、お風呂では殴られた痣を見てうんざりして、埃っぽい物置部屋で寝る。


もう母親が死んだ2年前からこの生活が続いている。


浮気性で男グセの悪い母親に呆れ、父親はまだ3歳だった私と母親を置いて出ていった。


それから母親は一人で私を育ててくれた。


家にはいつも知らない男の人がいたし、決して居心地のいい家とは言えなかったけど、仕事でどんなに疲れていても美味しいご飯を作ってくれたし、寂しいときはいつもそばにいてくれた。


そんな母親も私が中2のときにあっけなく死んだ。


その後、顔すら覚えてなかった父親の新しい家族に引き取られた。


実の父親も義理の母親も血の繋がった兄弟も私をゴミのように扱った。


15歳までは家に閉じ込められ、奴隷のような生活をしていた。


父親のストレス発散道具になり、母親の代わりに召使いになり、兄の欲を満たす玩具になった。


弟は決まりが悪そうに目が合うとすぐに逸らして、私を助けてくれたことはなかった。


16歳になりバイトを始めた。


毎日、朝から夜までバイトをいれ、なるべく家に帰らないようにした。


今日ももうすぐバイトの時間。


でも体が心が疲れたと叫んでいた。


もう、いいかな。


お母さんごめんね。もうそっちに行くよ。


私はバイトとは反対方面に歩き出した。


死ぬならこんなとこより綺麗な所がいい。


薄暗い部屋でもなく、見慣れた道路でもなく、美しい場所。


前にバイトの配達で隣町に行ったときに見つけた高台。


とても綺麗で泣きそうになった。


死ぬならそこがいい。


今日あの高台で人が死ぬ。


生きる希望を見失った女が。


遠山蓮花がこの世から消える。



――――――――――――――――――――



そう消えてしまうはずだった。


着いたときにはたぶんお昼を過ぎていてお腹が空いていた。


死ぬ日もお腹が空くんだな、なんて呑気に考えながら街を眺めていた。


雨で遠くまで綺麗に見えないけど、やっぱり美しい場所だと思う。


雨が地面に弾ける音を聞きながらただぼうっと景色を眺めていると、明らかに違う音が聞こえた。


人が歩くような音。


雨の音とは相性が悪く、不協和音に気が取られ、音の先を見た。


見た先には男がいた。


長身で線の細い男の人。


無造作に伸びた髪と髭で顔はよくわからないけど、いい雰囲気は纏っていない。


あっちも私に気づいたのか顔を上げた。


髪の隙間から覗いた鋭い瞳が私を捉えた。


私は動けなくなった。


その人に怯えたのもあるけど、その人がきっと私と同じことを考えてるから。


雰囲気から顔から瞳から死の空気が漂っていたから。


もしかしたら今日死ぬのは私じゃないかもしれない。



――――――――――――――――――――



最悪だ。


高台に着いたのはお昼を過ぎてからだった。


ちんたら歩いてたら思ったよりかかった。


そこに先客がいた。


たぶん俺の一回りくらい若い女の子。


でもそれにしてはあまりにも若くない。


雨で服が濡れてできた体のシルエットに女性らしいふくよかさはない。


不自然に骨ばっている。


顔色も悪く、10代20代の健康的な赤みを帯びていない。


そんな女の子を睨む形で俺は固まってしまった。


見つめ合う時間ができる。


下手に声をかけられないのはこの子からも死の気配がするから。


悲しいとか苦しいとかの向こう側に行って何も感じませんみたいな顔しているから。


しばらく見つめ合ったあと女の子はとぼとぼと高台を後にしようとした。


“あの…!”


ちょうど俺の横を横切った時、思わず声をかけてしまった。


久しぶりに出した声は裏返り、小さかった。


それでも女の子には聞こえたようでゆっくり振り返った。


その後の言葉を考えてなかった。


焦った結果ナンパした。


“…うち、来る?…”


女の子は小さく頷いた。


この高台で今日は死なないみたいだ。



――――――――――――――――――――



“入っていいよ”


ナンパした結果、この汚い部屋に初めて女の子が入った。


いや、ナンパじゃないけど。


“濡れてる…”


女の子の第一声はあまりにも弱々しく鈴の音のように綺麗だった。


“大丈夫。俺も濡れてるから。”


そう言って笑ってみせた。


女の子は恐る恐る入った後、俺が本と本の間に作ったスペースにすとんと座った。


とりあえず風邪を引かせるわけにもいかないのでお風呂に入らせた。


俺も入った。


そして二人で遅めの昼ご飯を食べた。


誰かと食べた牛丼は久しぶりに美味しいと思った。


“…おじさん、ありがとう。”


女の子の声はやっぱり鈴の音のようで癒された。


“おう。あと、俺、松下蓮斗な。”


自己紹介してないことを思い出し、名乗ってみた。


“…蓮斗さん。”


そう呟いた女の子はようやく頬に年相応の赤みを帯びた。



――――――――――――――――――――



死にそこなってから3週間。


すっかり蓮斗さんとの暮らしにお互い慣れだした。


すぐに追い出されると思ってたけど、蓮斗さんは追い出さなかった。


“帰りたい?”


初めて蓮斗さんと夕飯を食べた後、聞かれた。


あそこで帰るべきだった。


今ならそう思う。


でも帰りたくなかった。


私は首を左右に振った。


蓮斗さんは私の頭を乱雑に撫でたあと笑った。


嬉しそうに見えたのは私の期待かもしれない。


蓮斗さんは自分のことを進んで話さないけど聞けば何でも答えてくれた。


34歳の独身で地元は九州の福岡だってこと。


小説家で1度爆発的に売れたこと。


そのお金で暮らしてて今はニートのような生活をしていること。


自炊は出来なくて近所の牛丼屋さんとコンビニで食を満たしていること。


家族は物凄くお堅いらしく、大学受験失敗を期に縁を切ったこと。


恋人は何年もいなくて、モテ期は高校時代に終わったこと。


蓮斗さんは髭を剃って髪を束ねた。


すると見違えるほど顔が整っていて、もったいない人だなと思った。



――――――――――――――――――――



蓮花と生活し始めて2ヶ月。


蓮花のことはだいぶ理解した。


16歳で高校には行かせてもらえずバイトに明け暮れていること。


母親は中2の時亡くなったこと。


それからは昔別れた父親の家族と暮らしていること。


父親には暴力を振るわれ、義母には家事を全部押し付けられ、兄には虐められていること。


俺は今まで感じたことのない憤りを知った。


16歳の少女行方不明事件


最近どのニュース番組を見てもこの話題で持ちきりだった。


2ヶ月もたって流石におかしいと思ったのだろう。


蓮花はこのニュースを見るたびに怯えた子猫のように小さくなる。


蓮花なりに罪悪感と不安を抱えているのだろう。


俺も不安がないと言えば嘘になる。


こんな生活いつまでも続くはずないと。


世から見れば俺はロリコンの犯罪者。


もう小説家松下蓮斗じゃなく犯罪者松下蓮斗になる。


そうわかっていても蓮花を追い出すことは出来なかった。


蓮花の笑顔をもう少し見たいと思う俺がいた。



――――――――――――――――――――



行方不明事件はとうとう誘拐事件として調査が始まった。


私のせいで蓮斗さんは捕まってしまうかもしれない。


そう思うのに私は蓮斗さんから離れられなかった。


久しぶりに感じた温かさと愛が私を留まらせた。


蓮斗さんはニュースを見ても私を追い出さなかった。


それだけでなく、私を必要としてくれた。


“蓮花がいなかったら俺はまだ牛丼生活だっただろうなー。


不潔の部屋の中で楽しいこともなく野垂れ死んでたかもなー。


蓮花、ありがとうな。”


蓮斗さんは笑ってくれた。


頭を撫でて優しく抱き締めてくれた。


嬉しかった。


初めて居場所を見つけた気がした。



――――――――――――――――――――



木々が赤、黄色と色づき始めた頃。


誘拐事件も忘れ去られ始めた。


俺はある決意をした。


“俺、書くわ。”


蓮花は全く意味がわからないという顔で俺を見た。


出会ったときに比べて蓮花は16歳らしくなった。


よく笑いよく怒りよく泣きよく悩む。


素直に気持ちを伝えられるようになったし、16歳の蓮花をようやく見れている気がする。


そんな蓮花が愛おしくなって頭を撫でた。


“小説。”


そう言うと蓮花はまるで花が咲くようにぱあっと笑顔を零した。


蓮花は過去の俺の本を読んだことがある。


もちろん、ひまふゆも。


一緒に住んでた弟が読ませてくれたらしい。


随分気に入ってくれたようで、もっと読みたい!と幼い子供のようにねだられた事がある。


“蓮花を書きたいんだ。”


蓮花は、え?と不思議そうに首を傾げた。


“蓮花という女性はこんな女性で、そんな蓮花と出会った蓮斗という男はこんな男で、そんな二人の物語。


蓮斗という男が伝えたい蓮花への想い…”


言い切る前に蓮花が突進するように俺に抱きついた。


“楽しみにしてます。”


俺は照れ隠しのように蓮花の頭を撫でた。



――――――――――――――――――――



あの宣言から2ヶ月。


蓮斗さんはあっという間に本を書き上げた。


今の小説家さんは大概の人がパソコンで書くらしいけど、蓮斗さんは手書きだった。


何十枚もの原稿用紙に蓮斗さんの言葉が紡がれていた。


“これ、蓮花に読んでほしい。”


と言われ、私は今蓮斗さんの隣で読んでいる。


物語は空想世界というより、ノンフィクション物語だった。


出会ったあの日の高台のこと、二人で過ごした日々。


そこに蓮斗さんの気持ちと蓮斗さんが汲み取った私の想いが綴られていた。


「高台には天使がいる。雨の日にぽつんとそぐわない表情を浮かべた天使が_」


天使。


蓮斗さんは私をそう例えた。


本当にそう思ったらしい。


物語はクライマックス。


残りの原稿用紙もあと2、3枚だ。


「_彼女と過ごした日々はきっと他の人からすれば当たり前のよくある日常にしか過ぎないのかもしれない。_」


気づけば涙が原稿用紙を濡らし、蓮斗さんの文字を滲ませた。


堪えきれず溢れた涙を蓮斗さんは優しく拭ってくれた。


「_彼女はちゃんと笑っているだろうか。僕のことなんて全部忘れて。_」


「_サヨナラ、愛した天使よ。」


読み終わった頃には原稿用紙に大きな染みが沢山出来ていた。


蓮斗さんは私を諭すように頭を撫でた。


私は頭の上にあった蓮斗さんの手を握った。


“これが蓮斗さんの求めた結末…?”


そう言うと蓮斗さんは目を伏せて悲しそうに頷いた。


明らかに嘘なのがわかる。


“蓮斗さんは嘘が下手だなぁ。”


私は泣きながら笑った。



―――――――――――――――――――



蓮花は俺の小説を読み終えた後、しばらく赤ん坊のように泣きじゃくった。


涙が枯れるほど泣いた後、蓮花が言い放った。


“蓮斗さんは嘘が下手だなぁ。”


想像してなかった言葉と表情に俺は次の展開を予想できなかった。


“こんな結末、私は求めてないよ。”


蓮花はそう言って俺の手を愛おしそうに握った。


“蓮斗さんがいないと私生きていけないよ。”


蓮花は必死に俺を求めた。


俺は蓮花の言葉を遮るように手を振り払った。


“っ…それでも!もう無理だ…


最近警察がこの辺を彷徨いている。


金だって底が見えだしたんだ。


こんな生活続くわけない。


なら…もう終わらせたい。”


そう。こんなの日常じゃない。


蓮花がいるべき所はここじゃない。


どんなに苦しくても辛くても元いた場所が蓮花の居場所だから。


蓮花を助けるのは俺じゃない。


“なら…全部終わらせよ…?


私は蓮斗さんとこれからも一緒にいたい…”


蓮花は泣きながら笑った。



――――――――――――――――――――



俺らはまたあの高台に来た。


あの日は雨が降っていた。


今日は雪が降っている。


あの日は薄着で下着までびしょびしょだった。


今日は沢山着込んでコートのフードまで被っている。


あの日は一人で来た。


今日は二人手を繋いで。


あの日は苦しかった。


今日は清々しい。


“…本当にこれでいいのか…?”


“しつこい。これがいい。”


俺らはコートを脱いだ。


靴を脱いだ。


木で出来た柵を乗り越えた。


左手では蓮花の手をしっかり繋いでいる。


蓮花の右手は俺の手を、左手には俺らが紡いだ物語を抱えている。


さあ、サヨナラの時間だ。


ここで俺らの結末を迎える。


“あっちではずっと一緒にいれるかな?”


“大丈夫。ずっと一緒だ。”


消えゆく意識の中で蓮花の手を強く握った。


もう2度と離れないように。


僕らに春は訪れない。



――――――――――――――――――――



僕の愛した小説家が死んだ。


誘拐事件で一躍有名になった少女と共に。


世にはそれほどの情報が出回らなかったが、SNSでは嘘か真か沢山の情報と、それに対する人々の厳しい声が呟かれた。


そこに気になる情報があった。


〈少女は松下蓮斗の書いた小説を抱えていた。そのタイトルは_〉


“「雪に溺れた夏」”


声に出して読み上げた時、初めて涙が出た。


とても松下蓮斗らしいタイトルだった。


僕は今すぐにでも読んでみたかった。


もちろん出来ないことはわかっているが。


松下蓮斗はすべてを捨てても少女を選んだ。


地位、金、社会、家族、世界。


すべてを捨ててたった一人の少女を選んだ。


僕には出来なかったことだ。


天才小説家の松下蓮斗がこの世を去った。


僕の愛する人と共に。

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