第9話 「あんたなんかに、絶対惚れない!」

 そこからはあっという間だった。というか、ろくに覚えていない。

 男たちの怒鳴り声と、腕への痛み。殴られたとかではなくて、無理矢理に腕を持ち上げられたのだ。

 次いで、私の腕を掴んだ男が吹き飛ばされる音。

 無駄に長い足が男を蹴り飛ばして、一瞬で相手の意識を刈り取った。ものすごい音がしていた気がするけれど、命に支障はなかったのだろうか。

 一人目を伸した烏狩辺さんの後ろから殴りかかろうとしていた男に、烏狩辺さんが肘鉄を打ち込む。顎、次に顔面。それだけであっさりと崩れ落ちた相手に、威力を想像してぞっとする。

 つくづく私はと知り合ってしまったらしい。

「――あら、ヤだ」

 ほんの数秒で決着のついた部屋で、初めて聞く声がした。声のした方に眼を向ければ、スーツを着こなした男が最初の男の肩に手を乗せている。

 壁際の男は、抵抗する気も起こらないようだった。真っ青な顔で、ただ細く息をついている。

 気のせいか、安堵しているようにも見えた。

「おせえぞ、紫」

「アタシの手なんて要らなかったじゃない」

 烏狩辺さんの声かけにあっさりと返して、長めの髪をさらりと手で後ろに流して。

 呆然とする私の視線に気づいた男は、完全に計算された仕草で艶やかに、

 指先でキスを投げて見せた。



 数日後、昼。

『バー・ガーネット』。

 《Closed》の札のかけられた店内にて、私と烏狩辺さんは向き合っていた。結局何がなんだか判らなかった一件の説明を聞くためだ。


「――つまり、烏狩辺さんは本当に、ヤクザの若頭……?」

「元、な。今はただのバーテンダーだ」

「現、ね。親父さんたらいまだに納得してないじゃない」

 テーブル席に座る私たちに対して、カウンター席から茶々を入れてきたのは紅紫さんだった。

 聞けば、烏狩辺さんの部下兼お目付役らしい。きっと大変な苦労をされているに違いない。

 ちらりと視線を向ければ、出会ったときと同じようにキスを投げて寄越した。小綺麗なおネエさんに、その仕草は実に似合う。

 紫さんの言葉を、烏狩辺さんは聞かなかったことにしたらしい。咳払いをひとつして、話を戻す。

「――妹の手術のために金が必要で、切羽詰まった男に――」

 最初に部屋にいた男だ。

「目をつけた二人組が、話を持ちかけた。俺の弱みを握れば、金を渡してやるってな」

「え、それ」

 穏やかな顔つきの男が頭に浮かんで、私は眉を寄せた。ひとを攫っている状況で、不自然なほど落ち着き払っていた男。虚ろであった、と言っても良い。

 何かを諦めてしまっていたのか。

 もしくは、自分がしていることの理解を放棄してしまっていたのか。

 彼は悪くないのでは、と一瞬だけ思った。巻き込まれた私自身がそんなことを考えるのは、迂闊で危機感のないことだと理解できていたけれど。

「……他の二人はともかく、あの男はそう悪いようにはしねえよ」

 烏狩辺さんは付け加えるように言った。私の葛藤を読み取ったのかも知れなかった。

 一息ついて、互いにコーヒーを飲む。烏狩辺さんが手ずから挽いたコーヒーは、私がいつも飲むよりも酸味が強くて、香りが鼻からすっと抜けていった。


 言おう言おうと思っていて、この数日、メッセージを送ることも電話をすることもできなかった。伸ばし伸ばしにしていたら、会う約束の日になってしまったから。

 胸につかえていた言葉を、私は口にした。

「……ありがとう。助けてくれて」

 改めて礼を言われると思っていなかったのか、烏狩辺さんは動きを止めて、眉を上げた。ややあって小さく笑い、ソファに体を沈める。

「放っておくわけねえだろ。むしろ俺の関係者と認識されちまったから、これからちっとは面倒になるかもな。悪かった」

「別に、そんなに心配してない」

 礼を口にできたから、心が軽くなったのだろう。途端、別の懸念事項を思い出した。言っておかねば気が済まない。

「何かあっても、守ってくれるんでしょ? 勝手に私のスマホのGPS情報読み取ってるくらいだしね!」

「怒んなよ」

「いや、怒りますけど!?」

 あのとき烏狩辺さんが私の場所を辿れたのは、私のスマホのGPS情報を取得したからなのだ。信じられない。紫さんに教えて貰うまで全く知らなかった。

「そんな設定、許可してないのに!」

「お前が席を立ったタイミングで、ちょちょいっとな。パスコード設定してないのはいくらなんでも無防備だぞ」

 なんでちょっと私が説教される感じになってるのかな!

「まあでも、そのお陰で助かったろ」

「今回は、ね! 今回は!」

 言いつつ、設定は解除していないし相手もそれを知っているので余裕の顔だ。ちくしょう。でも、また何かあったら困るし。

 苛立ちに任せてがじがじとカップを囓っていたら、行儀が悪いと普通に叱られた。すみません。

 私たちのやりとりを見守っていた紫さんが、くつくつと喉を鳴らす。すらりとした動きで立ち上がって、私たちのカップにコーヒーを注ぎに来る。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえー。これから長い付き合いになるんだもの。これくらい」

 いや、長い付き合いにする気なんてこれっぽっちもないのですけれども。

 烏狩辺さん相手ならいくらでも言えるけど、紫さん相手だとなんとなく言うのがはばかられてしまう。口の中でもごもご呟いていると、気にした様子もない紫さんがころころ笑った。

「でも、大変だったのよ? 夕霞ちゃんが攫われたって聞いた途端、事務所の部下たち締め上げて動かして。普段は放りっぱなしのくせに、柘榴ったら」

「おい、紫」

 そういえば、自称『元若頭』だった。けれどあの場に紫さんがいたってことは、バーテンダーとして以外の人脈を使ったってこと、なのかも知れない。

 いや、きっとそうなのだろう。

「……どうして、そこまで――」

 思わず問えば、烏狩辺さんがふんと鼻を鳴らした。

「お前は気にすんな。女を守るのに理由は要らねえだろ」

「……あ、っそ」

 なんと返せば良いのか判らなくて、素っ気なく言って視線を逸らす。面白そうな紫さんの視線が痛かったけれど、すぐにカウンターに戻ってくれたので助かった。

 静かな空気に、居心地の悪い思いがした。妙な喉の渇きを覚えて、コーヒーを口に含む。じわりと苦味と酸味が口の中に広がった。

「夕霞、酒は飲めるか」

 烏狩辺さんの唐突な問いに、沈黙が途切れた。ほっとして答えを返す。

「多少なら」

「よし。――紫、ケーキを持ってこい。試作が奥にあるはずだ。――あのケーキ、ラム酒が入っててな」

「ケーキ!」

 言われた途端、ぴくりとして向き直った。私の反応がよほど面白かったのか、烏狩辺さんが噴き出す。

「ちょっと、なに」

「いや、可愛いなと思ってな」

 今そういう話をしてましたっけ? 慌てた私に、烏狩辺さんがにやりと笑う。

「赤くなったな。――なんだ、俺に惚れたか?」

「まさか! とんでもないナルシシストだね」

 私の反応に気分を害した様子もなく、むしろ楽しげに。とびきりの遊びを思いついたというように。

「――じゃ、勝負するか? 夕霞が惚れるのが先か、俺が諦めるのが先か――」

 提案する男に、私はカチンとして顔を引き攣らせた。自分の辞書に敗北の文字はないと言わんばかりの表情だった。

 売られた喧嘩を買い叩く性格ではないけれど、烏狩辺さん相手なら話は別だ。私は息を吸い込んだ。

「良いよ。最初から勝敗なんて見えてるんだから」

 口の端を意地悪く引き上げて、烏狩辺さんが笑う。自分自身に絶対の自信を持つ人間に特有の、強烈な引力で。

 彼は腹が立つほど魅力的な、自信満々な表情で言い放った。


「覚悟しろ。お前を俺に惚れさせる」


 対して、烏狩辺さんに負けるなんて、それこそこれっぽっちも想像していないというように。

 と言わんばかりに、

 精一杯、自信満々に、

 私は顎を上げて、正面から勝負を受けて立った。


「あんたなんかに、絶対惚れない!」


戦闘開始COMBAT-OPEN)――To be continue……?

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