鰻よ。その血、流す事なかれ。
白川津 中々
■
丑の日といえば鰻であろう。
風情の分からない馬鹿者が「鰻の旬は冬ですぜ旦那」などと言って水を差しても俺は気にしない。奴らは美味しんぼやWikipediaで知った情報を口にするだけの人間だ。何らかの感情を抱くだけ無益である。丑の日は鰻。そう相場が決まっているのであれば、先人に倣うのみ。故に俺は今日鰻を食べる。天然物故少々値は張ったがしかし、それに見合う価値はあるだろう。よし、白焼きとまぶしを作ろうか。
さて、少しでも食に精通している人であれば、「やれやれまぶしか」と肩を落とすかもしれない。だが俺はまぶしが好きなのだ。好きなものを喰って何故悪い。そう。何も悪くないのである。というわけでまぶしにする。釘を打ち、皮を裂いて身を切って、串を刺して炭火へ乗せる。串打ち三年、裂き八年、焼き一生などと言われるが、知った事か。こんなもの感じよ感じ。
で、完成。まずは白焼き。うーん。上手い。ワサビとの相性が堪りませんなぁ。日本酒が進む進む。合間合間に作っておいた卵焼きを摘まみつつってのが実にいい。よし、次はうまきを作ろう。
いい具合に腹の調子がよくなってきたらとうとうまぶしだ。
ひつまぶし。一つの料理を段階的に食べ進めていく稀有なスタイル。お櫃からよそい、まずはそのまま食べる。次に薬味。山葵に葱に刻み海苔。ちょっとずつ使うのがポイント。欲張って一気になんて真似はしてはならない。そしてお茶漬け。これがねぇ。最高なんだよ。お茶でも出汁でもいいんだが、俺はやっぱりお茶派だね。お茶の苦みとウナギの旨味とタレの甘みが相まってタマンねんだ! そして最後はお好きにどうぞっていう究極の選択。これまでの食べ方どれを選んでも許される自由スタイルなわけだが、自由が故に試される食への意気込み。ここまでの過程を経てどの味を選ぶかで人生のすべてが現れるといっても過言ではない。まぶしの道は道楽にして求道。であれば雑念は不要。締めはおいおい決めるとして、兎にも角にもまずは一箸。さ、食べるぞ!
ピンポン。
客! 来客! こんな時に! なんてタイミングだまったく!
いや。無視しよう。俺は鰻を食べるのだ。そのためだけに多額の金を払って準備したのだ。こんなところで邪魔されるわけには……
ピンポン。
……
ピンポン。ピンポン。ピンポン。
あぁ! うるさいな! 分かったよ! 出るよ! まったく、誰か知らんが無粋な奴! ろくでもない用事だったら承知しないからな!
「はい! どなた!?」
「向井 忠太郎だな?」
「えぇ? あぁそうだけど……」
「鰻食罪で逮捕状が出ている。大人しく同行願おう」
あ、まっずいわこれ。とりあえず一旦しらばっくれてみよ。
「……食ってないっすよ?」
「嘘つけ! ならこの匂いはなんだ!? 言い訳は所で聞いてやる! さぁ両手を出せ!」
「……はい」
駄目だったか……あぁ、俺の鰻が……ひつまぶしが遠のいていく……あぁ……露と落ち。 露と消えにしまぶしかな。鰻のことは夢のまた夢……
2030年。鰻の乱獲は未だ留まる事を知らず、ついに法で禁じられたが、人々は秘密裏に食べ続けていた。日本人の夏といえば鰻。穴子でもうつぼでもなく、鰻なのだ。あぁ、私はいつの日か、罪悪感なしに鰻が食べられる日がくることを願う。鰻よ君よ! 永遠なれ!
鰻よ。その血、流す事なかれ。 白川津 中々 @taka1212384
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