I know

川谷パルテノン

 不暮町くれないちょう。人々の生活はいたって普通のどこにでもある町。ただ、どこにでもある町などというものは何処にもなくそこのみにて在るこの町だ。その場所に咲く怪しげな華がある。それは普段より人々に見過ごされ、忘れ去られた名もなき華。ただ誰かが時折それを見つけてしまう。


「ねえ、知ってる?」

「何? 怖い話ならやめてよね」

「勘がいいですなあ。怖い話」

「やめてったら! わたしが嫌いなの知ってるでしょ」

「だから面白いんじゃん。あのね」

「あー! ヤダヤダ聞きたくない!」


 全部お前が悪いんだから


「でさぁ、そういうわけなの。怖くない?……って、え、アズサ? ねッ! どうしたの! アズサってば!」


 その女生徒は意識不明のまま病院に運ばれ帰らぬ人となった。ここ半年の間、このように突然意識を失って亡くなるといったケースがこの不暮町では何件も確認されていた。中には持病によって併発した心臓麻痺と認められたものもあったが、いくつかは不審な点を残したまま原因不明として処理される。


「で? キミはどうしたいわけ? 僕に、その原因不明の奇病を解明しろっての?」

 鮠眉千景はやみちかげ。この横柄な態度の青年は、寂れた興信所の所長にして唯一の所員だった。彼の元へとやって来たのは十代の少女。塔雨詩乃生とうさめしのぶ。先立って、原因不明の死を遂げた片倉梓かたくらあずさの友人だった。

「生憎、僕には医学の心得がない。ましてや医者も手を上げたという病について僕に何がわかると言うのかね。来る場所を間違えたのでは」

「アズサは私が変な話をした後ですぐに意識を失って、そのまま亡くなったんです。それまで元気だったのに。病気とかじゃないと思いました。私の所為かもって。いくら悔やんでもアズサが帰ってこないことはわかってます。でもせめてアズサがどうして死ななきゃいけなかったのかを知りたいんです」

「キミの自己満足だろそれは。死んだ人間を追うな。どのみち僕の仕事ではない」

「そんなのもわかってます! でも」

「泣いてどうなる。意味わからんぞキミというヤツは」

「学校でも噂になってます。鮠眉興信所の変人所長は呪いや怪異に詳しいって」

「もっぺん言ってみろ」

「呪いや怪異に詳しいんですよね」

「そこじゃない! だーれが変人所長だ! 僕はねこれでもれっきとした実績のある名探偵で、警察が解決出来なかった数々の難事件をだなぁ!」

「お願いします! アズサの死の真相を一緒に調べてください!」

「……だいたいキミは僕に依頼できるほどの予算があるのかね。手付け金一〇万、調査日数に応じて追加料、成功報酬を併せれば五〇はくだらんよ。払えるわけないだろう。ガキが泣いて喚こうがそれがなくちゃ話にならんね」

「お金ならあります」

「は? ハッハッハ! まさかいかがわしい商売で稼いだ金じゃなかろうね? 悪いことは言わない。そういうことはやめなさい」

「何のことですか? 私の父はある企業の重役でそれくらいのお金ならなんとか説得して用意します。だからお願いします。取り急ぎの一〇万円。コレはバイトで貯めたお金ですけど。あと、援交とかじゃないですよ」

「……(このガキ)。そうか。本当だろうな? まあ気は進まんがそういうことなら仕方ないと言えないこともなくはない」

「じゃあ受けてくれるんですね?」

「いいか。キミがその噂とやらを信じて僕を訪ねたのなら話は早い。そういう観点で調査してやる。だがこういった案件は非常に危険を伴うし準備やなんやかんやで大変手間のかかることなのだ。最悪キミ自身にもなんらかの危害が及ぶ可能性だって否めない。それが奴らと対峙する覚悟だ。その覚悟があるか」

「あります」

「即答か。まあいいさ。後悔するなよ。あと」

「何ですか?」

「学校に行ったら変人は訂正しておけ」


 鮠眉がまず詩乃生に尋ねたのは梓の死の直前に語ったという怪談についてだった。詩乃生はこれをネットで発見したという。ところがそのサイトに再びアクセスしてみたものの既に閉鎖されており発信者などの詳細は確認が取れなかった。

「じゃあ、覚えてる範囲で話を……」

「どうした? 早く言え」

「でも、鮠眉さんまでアズサみたいになったら」

「塔雨くん、だったか。仮に怪異や呪詛と言ったってキミのようなド素人が怪談を語っただけでは人を死に追いやるほどの強い呪力は宿らない。これだけは断言してやる。キミの友人が亡くなったのはキミの所為ではない。弾を込めない銃のトリガーを引いても撃ったことにはならんだろ。シチュエーションに応じて呪力は姿を表すんだ。原因はおそらく他にある。手掛かりは出来るだけ集めたいんだ。覚悟があるなら話せ」

「鮠眉さんって意外に優しいんですね」

「意外に、は余計だ」

「わかりました。私も正直うろ覚えなんですけど、これはこの不暮町に纏わる話で……」

 

 詩乃生が語り始めたのは怪談というよりは都市伝説めいたものだった。その者は限って雨の日に現れるという。不暮町にある小さなトンネル。夜になれば灯りもなくひと気のない不気味な場所だ。ある者がそのトンネルの中で雨宿りをしていると知らぬ間にレインコートを着た何者かが側に立っていた。目深に被ったフードの所為で表情はイマイチわからない。レインコートは雨宿りする者の前を横切るとそのままトンネルを抜けてどこかへと行ってしまった。不気味な感じを覚えつつも、雨音が弱まったことに気づいたその者はトンネルから出ようと歩き始めた。ところがいつまで経っても出口につかない。すぐそこに見えているのに足場は一定の距離が保たれているような感覚がある。しばらく歩いていくと出口の方からまたあのレインコートが戻ってきた。レインコートはその者の前で立ち止まり「わたし、雨男なんですよ」と言葉を発した。関わらないほうがいい気がして無視して横を通り過ぎる。するとようやく出口の前までやって来れた。不思議に思いながらも外に出ようとした瞬間、背後から「まだ降ってますよ!」と呼びかける大きな声がトンネル内から響いた。気にせず外に出てみると声が言ったとおりまだ雨が降っていた。雨に打たれながら妙な違和感を覚える。再び踵を返してトンネルの中に戻り、額を拭ってみると痛みが走った。腕に付いたものは雨水ではなく血だったのだ。血であると認めた瞬間全身に軋むような痛みが現れた。身悶えている側にあのレインコートが近づいてきて「だから言ったじゃないですか」と声をかける。そしてフードを取ると、その者のそばでしゃがみ込み覗き込むようにして顔を寄せた。雨音は強さを増し、稲光が暗いトンネルの中を灯した。レインコートの顔が露わになるとその者は絶叫した。

「わたし、雨男なんですよ」

 両生類のようなぬめりを伴った、今にも溶け落ちそうに崩れかかった奇怪な顔面。

 翌日になってトンネル内に遺体が発見される。死因は出血多量による失血死。遺体には無数の貫通した小さな穴が空いていたという。


「無論、そのような事件は実在しない。確かに現場となったトンネルはまだ存在するがそこで不審な遺体が発見されたなどという報道はなかった。作り話の域を出ない。だが」

 鮠眉は含みを持たせて一旦押し黙り、顎を親指と人差し指で挟む仕草、考え込むような素振りを見せると続けて言った。

「片倉梓の不審死が病に起因しないとすれば、この『雨男』のみが手掛かりというわけだ。塔雨くん、キミはなぜこの話を見つけるに至った?」

「ナゼって、偶然です。暇だったからスマホを触っていて偶然行き着いただけで」

「そうとも。キミの意識はキミが偶然雨男に辿り着いたと告げている。けれどもそれは実のところ偶然にあらず。何かキッカケがあった筈だ。思い出せ」

「そう言われても」

「動機、或いは誘導があったはず。キミは雨男に辿り着く以前に、例えば怪談や都市伝説を探そうという明確な意思を持っていたのではないか? それは個人的な興味としてか、もしくはそれらを用いて何かを成そうとした。誰かを驚かせたい、だとか。片倉梓は人一倍怖がりだった、なんてことはないか」

「それは確かにそうです。でも初めからアズサを怖がらせようだとかは思ってなかった気がします」

「ならば誰かがそうさせた可能性があるな」

「どういうことです? あのサイトは別に誰かが教えてくれたとかってわけじゃ」

「塔雨くん、先程呪力の話をしたね。それは様々な要素から練気することが出来る。怨み、妬み、嫉み。または恐怖心などもその一つだ。恐怖するというのは、対象がまやかしであってもそれを信じるといった観点から発生する。恐ろしげな話自体に力は宿らない。しかしながらそれに抱く恐怖心というのは事実として存在が立証できる。呪いはそれを媒介として発動させることが可能なんだ。おそらくだが片倉梓は元より獲物であった可能性が高い。そしてキミは利用された。まだ推理でしかないがね」

「そんな。じゃあやっぱり私が!」

「何度も言わせるな。確かにキミは呪いにとってのトリガーだったかもしれない。ただ殺意の在りどころが問題だ。キミ自身がそれを持って片倉梓を陥れたならばキミこそが呪いそのものだ。だがそうではないのだろう? 僕はこれでも人を見る目がある方さ。第三者、何者かが片倉梓を狙った。それは悪意ある人間か、はたまた呪い自身か。キミたちが怪異と呼ぶそいつがね」

 詩乃生は泣き出してしまう。友人がただ怖がりだというだけで誰かに殺されたかもしれないこと、またどれだけ鮠眉に慰められようとも自らが加担していたかもしれないこと。俄に信じ難い部分はあれど、鮠眉の話には不思議と説得力があった。あの日、自分がどうして『雨男』に辿り着いたのかは未だに思い出せない。誰かに誘導された? だとしたらそれは誰だ。詩乃生にはまったくもって検討がつかなかった。


「ところで塔雨くん。キミが聞かせてくれた雨男についてだが、実はその話を聞くのが二回目でね」

「どういうことですか? 鮠眉さんもあのサイトをご覧になったことが?」

「いいや。片倉梓と同じく、友人伝いにね。細かいディテールは幾つか違っているが概ねはキミの話したとおりだ。雨の日にトンネルで不気味な男に遭遇したまま取り込まれ帰って来れなくなる。不思議に思わないか」

「そうですよね。起きてることが現実離れしすぎてる」

「キミは莫迦だな」

「な、いきなりなんですか!」

「いいかい? 雨男に遭遇した者はキミがサイトで見つけたものも、僕が聞いた話でも死んだことになっている。であれば誰が雨男の存在を語り継いだ? この話は創作怪談としても破綻した陳腐な類だ。とてもじゃないが呪いなんてものとは結びつかない。現に僕はかつてこの話を聞きながらも今日まで健康そのものと言える」

 詩乃生は散らかったデスクの上にある食べさしのカップ麺に目を遣った。

「確かに言われてみれば」

「一介の男子として気が引けないでもないが」

「何の話です?」

「塔雨くん、明日の夜は暇かね?」


 翌日、詩乃生は部活のミーティングを兼ねたお泊まり会だと偽って両親を説得し家を出た。その足で鮠眉興信所へとやって来た詩乃生を鮠眉は不敵な笑みで出迎えた。

「大変だったんですからね! ウチの親、いつまで経っても子離れが出来ないっていうか、いない友達をでっち上げて妙に連絡取られたりしないように工作したりとか!」

「わかったわかった。依頼料から些か差し引いておくよ」

「にしても、すごい雨でした」

「だから呼んだんじゃないか」

「それはそうですけど」


 鮠眉の提案はこうである。件のトンネルは実在する。それに纏わる雨男の話が呪いのトリガーになった可能性がある。しかしながら雨男の噂自体は陳腐なものだ。であるならばその噂が偽りであると証明できれば噂を媒介とするなんらかの呪力を弱体化できるはずだと。そのために自らが雨男の噂を体験することでそれを立証しようというわけだった。

「でも実際に行くとなると怖さもありますね」

「付け入る隙を与えるなよ。キミを利用したということはキミ自身も呪いの渦中にあるやもしれん。妙に恐れると持っていかれるぞ」

「脅さないでくださいよ!」

「いざとなれば対処がないではない。案ずるな。僕が同行する」


 二人は噂のトンネルへとやって来た。あたりは真っ暗闇でトンネル自体もうっすらとしか視認出来ない。何やら不穏な気配を彷彿とさせるものの雨音が邪魔をして何かがいたとしてもわからない。

「覚悟はいいかね」

「行きましょう」

 中は雨にこそ降られないものの湿った空気で満たされており何やら息苦しささえ感じる。無論灯りはないのだが辛うじてお互いがそこにいる感覚だけは残されており、詩乃生は一人でなくてよかったと心底感じていた。

「何もいませんね」

「それを証明しにきたんだからな」

「でもこれって条件から逸れてませんか? 私たち二人ですよね。噂で雨男に遭遇するのは一人だった。だから都市伝説として破綻してるって話でしたけど」

 鮠眉からの返事はなかった。詩乃生は急に不安になる。もう一度鮠眉の名を呼ぶ。すると鮠眉は一拍置いて「莫迦な。ありえない」と言った。

「どうしたんですか! え?」

「塔雨くんには見えていないのか」

「何がです? 脅かさないでくださいよ!」

「そうか。なるほどな」

「勝手に納得しないでください!」

「早く気づくべきだった。ここに引き込まれたのは僕のほうだ」

「いい加減説明してくださいよ!」

「説明は後でする。ともかくキミはここを動くな。少し行ってくる」

「ちょっと! 鮠眉さん! え?」

 詩乃生は暗がりの中で鮠眉の気配を見失った。


 鮠眉が立つ場所は先程までのトンネル内のようであり、どこか別の場所にも感じられた。

「君か」

チカゲ……

「雨男……確か君から聞いた話だったね。アキ」

ヤット……キテクレタ

「別に会いにきたわけじゃない」

カワラナイワネ

「アキ。君が片倉梓を呪ったのか」

ナニモ……ワカッテナイ

「どういう意味だ」

チカゲ……チカゲェエエエ!!

「ここまでか」

 鮠眉は右手の人差し指と中指だけを立て、二本の指を左手に握った。口元は何かを小さく呟き、握っていた指を引き抜くと指先は光を放った。光る指は空気をなぞるとその場に留まり、やがて文字のようにして空中に浮かび上がる。鮠眉に語りかけた謎の影。アキと呼ばれたそれは猛り狂うように鮠眉に接近する。鮠眉は空中に描いた文字を右手で影の方へと押しやった。文字は影と衝突し、影は絶叫する。

「よもやと思った。依頼がなければここには訪れまいと。出来れば君を祓いたくはなかった。凶祓まがばらいとしてあるまじき態度ではあるが。さよなら、アキ」


 先程までの豪雨が嘘のように止んだ。詩乃生は静けさがかえって不安を煽り、もう一度鮠眉の名を呼んだ。

「待たせた」

 スマホの光に照らされて鮠眉の首から上だけがぼんやり浮かぶ。詩乃生は悲鳴と共に鮠眉の頬を張った。

「ッ! 何だいきなり!」

「こっちの台詞です! ……よかった。無事で」


 興信所に戻ると、鮠眉は約束どおり、先程起こった事態を説明した。写路燁子うつしろあきこは鮠眉が学生時代の友人だった。鮠眉が初めて雨男の話を聞かされたのも燁子からだった。燁子との交友関係は卒業間際まで続いたが、彼女の自殺によってそれは途絶えてしまう。詩乃生から今回の依頼を受けた時、鮠眉はどこかで燁子の存在を意識したという。

「じゃあ、アズサは燁子さんの呪いの犠牲になったってことですか」

「問いただそうとしたが呪力が暴走して対話不能になった。真相はハッキリとしないが雨男は彼女の創作で間違いない。生前に彼女自身から聞いたからね。キミからその話が出た時は正直驚いたよ。もう何年も前に置いてきた昔話だ」

「一つ思い出したことがあります」

「なんだ」

「私がネットで読んだ雨男ですけど、投稿日は今年に入ってからでした。私、最新の投稿ってところから読んで日付を確認したらそうだったので、だからあまり知られてない話だろうってそう思ったんです。呪いそのものがネットに文章を投稿するって可能なんですか?」

「例えば霊体が人間の肉体に憑依して操るということはあり得る。しかし、アキの場合は霊体がトンネルに縛り付いているような感覚だった。僕を異界に引き込むほどの強い呪力を発揮出来たんだ。何年も地縛霊として力を蓄えていたに違いない」

「じゃあ燁子さんも利用された?」

「となると話は振り出しに戻るわけだが」

 二人はそのまま押し黙ってしまう。


「今日はもう帰りたまえ。近くまで送っていくよ」

「泊まりと言って出てきてるので、今日はここに泊めてください」

「しかしそういうわけには」

「変なこと想像してないですよね」

「莫迦な! キミみたいな子供に? 僕が? 勝手にしろ。そこのソファは使ってかまわん。僕はもう少し調べ物をするから先に寝なさい」

「変なこと、しないでくださいよ」

「黙って寝ろ!」


 鮠眉はネットから閉鎖された怪談サイトへの手掛かりを辿ろうとした。気づけば作業は夜明けまで及ぶ。

「起きたか」

「おはようございます」

「サイトの管理人だったらしき人物の個人ブログを発見した」

「え、本当ですか!」

「どうやらそいつの意思ではないようだ。長年運営していたサイトが突然消去され収益がパーだのなんだの散々愚痴を書き綴っていた。サイトの閉鎖を一種の霊障だと考えれば、キミが情報を得て片倉梓に呪いが発動するまでタイミングが良すぎる。やはりキミと片倉梓をピンポイントで狙った顔見知りの仕業と考えるべきだろうな」

「でもそんな人……」

「なんだ? 心当たりがありそうな顔だな」

「以前、しつこくいい寄ってくる先輩がいて、その人のことをアズサは好きだったんです。私は断ったんですけど悪い人ではなかったし、アズサのことは応援してました。結局、アズサもフラれちゃって。でもだからってその人が呪いなんて」

「痴情のもつれなんてのはわからんからな。問い詰めてみる価値はあるだろう」


 檜山凪ひやまなぎは既に不暮高校を卒業し、地元企業の経営するスーパーに就職していた。

「檜山凪だな」

「あんた誰?」

「少し聞きたい話がある。片倉梓という女性を知っているな」

「なんなのあんた」

「質問に答えろ」

「警察呼ぶよ」

「もう! 何やってるんですか鮠眉さん! ……先輩、お久しぶりです」


 詩乃生が割って入り、事情を説明してから二人は近くのファミレスで檜山から話を聞くことになった。


「んなわけないでしょ! 何よ呪いって! そりゃあの子には悪いことしたなとは思うけど俺だって詩乃生ちゃんにフラれまくってんですよ。俺ももう社会人だし、縁がなかったって諦めついてますよ。そりゃそうでしょ」

「まあ、そうですよね。ごめんなさい疑って」

「わかってくれりゃあいいけどさ。俺、あの子が告ってきた時にわかったんですよ。やっぱしつけーのはダメだったなって」

「それはどういう意味だ」

「あの子、俺に負けないくらいしつこくて、で最後に告白してきた時に言っちゃったんですよね。俺が好きなのは詩乃生ちゃんだから君とは付き合えないって。したらあの子言ったんですよ。わたしと詩乃生とどう違うんですかって。めちゃくちゃ怖い顔で睨んできて。俺怖くなって、あんま覚えてないですけど酷いこと言って突っぱねたんですよね。そのあとすぐ卒業しちゃったから、以来その子のことも忘れてたし、亡くなったって聞いてびっくりはしたけど。呪いってそんな。もし呪われるとしたら俺のほうだと思いますけどね」


 檜山と別れた後、二人は興信所に戻った。しばらくの沈黙があり、口火を切ったのは鮠眉の方だった。

「おそらくだが」

 鮠眉が言いかけた言葉を遮るようにして詩乃生が言う。

「私、行ってきます。たぶん、あの子、まだいるから」

「止せ。僕が行く」

「今日までありがとうございました。でも鮠眉さんはここにいてください。私、二人で話したいんです」

「おいキミ! ッ!」

 鮠眉は得体の知れない強力な力でその場に抑えつけられた。詩乃生の瞳は黒く濁る。

「もうここまで力をッ! クソッ! 待て! 塔雨くん!」


 放課後の校舎。誰もいない教室。鍵のかかったはずの扉は一人でに開き、訪問者を招き入れる。室内は黒々と澱んだ泥のようなものを滴らせ、禍々しい空気を放っている。

 塔雨詩乃生は導かれるようにしてそこに立つ。彼女の目の前には一人の女生徒がいた。その姿はぼんやりと空間に浮かんで、詩乃生の気配を察知すると振り返った。知った顔に詩乃生は「久しぶりだね」と声をかける。女生徒はニッと笑って「やっと来れたね」と返した。何故、どうしてそんな想いが詩乃生にはあった。彼女とは幼稚園の頃からの幼馴染だ。いつだか、野良犬に襲われそうになった時、彼女が追い払ってくれたことがある。詩乃生にとって彼女はヒーローだった。それから二人は事あるごとに支え合ってきた。どちらかが辛い時は励まし合い、喜びは分かち合ってきた。それはずっと続いていくと詩乃生は思っていた。ところが彼女は自分の前から突然去ってしまう。悲しい再会だった。

「ねえ? なんで」

「もう気づいてるんでしょ? だからここにいるんでしょ」

「わからないよ! 私が思ってることだったとして、だったらなんでアズサが死ななくちゃいけなかったの!」

「そういうとこだよ。シノブはそうやって自分が犠牲になればいいって思ってる。シノブを呪い殺したってあんた自身を苦しめられないじゃん。だから私は自分に呪いをかけた。あんたの目の前で死んで、一生あんたが私のために犠牲になんかなれないように! 私はあんたを一生苦しめられ続けれるように! 目の前で死んでやった!」

「そんなのわかんないよ! 悩んでるならいつも相談してたじゃん。アズサだって、私に気に入らないところがあったなら言ってくれれば」

「治んないよ。あんたと私のどこが違うんだって聞いたら檜山先輩は私に言ったんだ。私のこと汚物を見るような目で、あの子は正義だってね。じゃあ私はなんなの? でも今ならわかる。まさにそのとおりだもんね、今のあんたと私」

「そんなことないよ。アズサは私のヒーローだもん」

「うるさい」

「お願い。もうやめて。これ以上苦しまないで」

「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」

 片倉梓の体から飛び出した触手のようなものが詩乃生の首を締め付ける。呼吸が乱れ、締め付けの強まりに応じて意識が薄れそうになる。

「いい、よ……ア……サがそうし、たいなら、ずっ……いっ、緒に」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい、黙れええええ!」


ドンドンドンドンッ!

ドンドンドンドンッ!


 教室の外側から鮠眉は扉を叩きつけた。彼は術式を用いて扉を破ろうとするも強い呪いに弾かれてしまう。無力を悔やんだ。扉を叩きつけて詩乃生の意識に干渉するしかない。かつてもそうだった。写路燁子の決意を知りながら止めることが出来なかった。此度の呪いが恐怖心ではなく嫉妬を媒介としていることにもっと早く気付くべきだった。なぜなら彼は知っていたはずである。燁子の死から一度は学んだはずだった。けれどもまた同じ轍を踏もうとしている。遅すぎた英雄は凡庸な他者に過ぎない。

「塔雨くん! しっかりしろ! それはもう片倉梓じゃない! 耳をかたむけるな!」


「ずっ……一緒、いるから、ず……」


 ようやく扉が開くと暗い教室だけがあった。外は陽も沈み静寂。鮠眉は駆けつけた用務員に取り押さえられる。彼は力なく項垂れ、何度もすまないと呟く。



 あれからひと月ばかりが過ぎた。鮠眉は一通の手紙を発見する。差出人は塔雨詩乃生となっていた。彼女が失踪する以前よりもっと前、鮠眉と出会う前に差し出されたものを彼はたった今見つけたのである。あの日以来惰性のように生きていた彼が、元より不精な性格もたたって、ポストを覗き見たのは久方ぶりのことだった。そこには詩乃生が片倉梓の死について調査してほしいという依頼の文面がしたためられている。出来ることならばこの手紙が出された日、もっと言えば片倉梓が決意する以前に時を戻せたらと彼は手紙を読みながら考えた。文末に記された彼女の電話番号。無駄だとわかっていてもかけずにはいられなかった。まだ解約はされていないようだ。いつしか詩乃生のもとへと繋がってくれまいかと祈るようにコールは鳴り続けていた。

 

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