第5話
よくある話だ。業界の知り合いが独立して起業して、そこからのお誘いがあった。
既に先方はゲームを一本リリースしていて販売は好調。そこでスタッフの増員を検討しているとのこと。起業直後ではなく、実績を積んでの引き抜き。高菜にとっては悪くない話である。
高菜は悩んだ。今いる会社に不満があるわけではない。むしろ、これまでの積み重ねが実り、能力を認められている。居場所がある。
同時に、作り手として不安があるのも事実だ。
それなりの規模の、それなりの実績があるゲーム会社では自分が主軸になってゲームを作るのは難しそうなのである。
競争相手が多いし、レベルも高い。もちろん、それを勝ち抜いてこそという考えがあるのもわかる。
わかるが、その機会は一生来ないかもしれない。むしろそこを諦めて会社の中で使えるパーツとして過ごす方が安泰だと割り切り、埋没する道を選んでしまうかもしれない。
高取高菜はゲームが好きでゲーム会社に就職できた幸運な人間だが、仕事は生きるためにやっていると割り切っている部分があるのだ。
そう思っていたのだが、ふってわいた機会に心がざわついた。
起業したての会社なら、自分のゲームが作れるかもしれない。そうでなくても、自分の意見を多く取り込んだゲームが作れる可能性は高い。
そんな未来への期待に、自分の心の割り切りが大きく揺れ動いた。
想像以上に迷っていることに気づいた時、人生の中で一番ゲームをしていた場所のことを思い出した。
決めるのは難しいことじゃない。
高菜はすぐにダイスを振って、結果を見て、次の日に電車に乗ったのだった。
「なるほどねぇ。人生の転機だねぇ」
河口湖の湖面を眺めながらそんなことを語ると、由香はしみじみとした様子で頷いてから、高菜の顔を真っ直ぐに見て言った。
「ねぇ。今から学校に行かない?」
○○○
二十分後、高菜は十年ぶりに訪れる母校の廊下を歩いていた。
OGと現役の教員がいるのだ、話は早い。なんの問題も無く高菜達は校内へ入ることができた。
「建て替えたのは知ってたけど、こうやって実際見てみるとちょっとショックだわ」
「久しぶりに来た人はみんなそう言うね。でも、エアコンとかあって便利だよ」
「いいな、エアコン。私達の時はなかったよね」
そんな話をしながら廊下を進む。
高菜達が卒業してから数年後、母校は校舎を建て替えられていた。元々大分古かったのでそれ自体は納得だが、こうして実際に目にするとちょっと寂しいものだ。
意外と愛着あったのね、私。
卒業後一度も来たことが無かった癖に、我ながら勝手なものだと思いつつ、由香の後についていく。
「今の文学部の子達はどうなの? ゲーム三昧?」
「私達の時より真面目だよ。ちゃんと本を読んでる」
由香は母校で文学部の顧問をしていた。本人は「経験者だから役目が回ってきただけだよ」と言っていたが、嬉しそうに部室の鍵を見せる彼女を見れば、楽しんでいるのは明らかだ。
「まあ、たまに私も混ざってゲームしてるんだけどね」
「それは楽しそうだね」
色々あるが、由香の教員生活にも楽しいことがあるようだ。それがわかって少し安心する。 夕方と夜の間の時間帯。土曜日なので生徒の姿はないが、外からは野球部や吹奏楽部の練習する音が聞こえてくる。そろそろ部活も終わりの時間帯だが、まだ頑張ってるらしい。
社会人になってから遠ざかっていた放課後の音を懐かしみながら、高菜は校舎を進む。
行き先は三階。校舎の隅にある文学部の部室。位置だけは、十年前と同じだった。
「はいここ。場所は同じでも完全に別物だから、私達の部室じゃないけどね」
「エアコンもあるしね……」
「意外とそこにこだわるのね……」
富士の麓は夏は涼しいとかいう理屈で、エアコン無しの校舎で過ごした過去を思い出してしまったのだから仕方ない。普通に暑かったし、みんなで市立図書館とかに避難したりしていたものだ。
「今更だけど勝手に入っていいの?」
「顧問がOK出してるからいいの」
そう言いつつ、鍵を開けた由香が部室の扉を開いた。
室内に入ると慣れた動作で室内灯のスイッチを入れる。薄暗い室内がLEDの白っぽい明かりに照らされた。
「うん。全然違うね」
「そりゃあね」
十年ぶりに入った部室は、記憶の中とは別物だった。当たり前だ、建物からして別物なのだから。
しかし、どことなく似通ったところはある。机を寄せて中央に作られた島。棚に置かれた部員の私物。当時と違って規格が統一されている本棚に並ぶ書籍には見覚えのあるものが混ざっている。
「そしてエアコン……」
「もっと他に言うことあるでしょ」
仕方ない。自分の学生時代に無かった設備というのは思いの外羨ましいものだ。
「今の子は部屋を綺麗にしてて偉いね……あ」
意外なほど整頓されている室内を見回してすぐに気づいた。
本棚の一画、それなりのスペースを占有している物品がある。
箱の大きさが不揃いで、タイトルには日本語以外のものも混じっている。
高菜達が学生時代に明け暮れたアナログゲームがそこにあった。
「懐かしい……って、もしかしてこれ私達が遊んでたやつも残ってる?」
「家にあったのを持ち込んだ……寄付したの。たまに遊ぶんだよ」
「うわー、なんだか友達に再会した気分」
言いながら棚から見覚えのある一本を取り出す。ちょっとした辞書くらいの大きさの箱で中にはゲームのためのカードやサイコロなどが入っている。持った重さからして、今も遊べる状態がキープされているようだった。
「私達もいないし、校舎も違うのに残ってるのが不思議な感じ」
「私はここに高菜ちゃんがいるのがちょっと不思議。……二人で遊ぶ?」
「いや、いいよ。時間ないし、疲れそうだし」
由香は本気でゲームをするタイプだ。それでいてあまり強くない上、こちらが手加減すると怒る。なかなか厄介なのだ。
「ここからも富士山、見えるんだね」
棚にゲームを戻し、窓の外に目をやれば、そこには夕方の富士山が聳えていた。
自分達を見下ろしているのか、見守っているのか。感じ方は人それぞれだが、雄大な存在であることは変わらない。
もうすぐ夜に沈む薄暗い空、その中にあっても揺るがない存在感。
母校から見ることで、その大きさを、ようやく思い出せた気がする。
「……変わらないねぇ」
バッグから青い透明な六面ダイスを取り出し、富士山を透かして見た。こうすると絵の中でよく見る色合いに近づく気がして、学生時代たまにやっていた。
「久しぶりの母校の部室。心の整理がつきそう?」
「どうかなぁ……」
曖昧な返事を返しつつ、振り返った時だった。
椅子に腰掛け、机に向かう由香を見た瞬間。
あ、こんなことあったな。
記憶の中の一ページ。かつての部室で似たような場所に立って雑談していたことが脳裏をよぎった。
その一瞬で、学生時代の部室にいた時の感覚が戻ってきた。
あの時は毎日放課後が楽しみだった。ゲームや雑談をするだけで満ち足りていた。
そんな楽しい瞬間を作れる人になれればなんて思っていたら、本当にそちら側の人間になってしまった。
ここ最近ではすっかり忘れていた自分の原体験。
それがこの場所にあった。
「どうかしたの? じっとこっちを見て」
少し固まっていたのだろう。怪訝な顔でこちらを見ながら由香が顔を覗き込んできた。
視界の中の友人は、もう十代でもなければ、制服を着た学生でもない。
そしてそれは自分も同じだ。
「いや、私達も大人になったなとね」
「もう三十路が見えてるしねー」
「それ以上言うな。この話は終わり」
危険な話題を打ち切った高菜は、手の中の青い透明ダイスを弄ぶ。
「どうする? ダイスで決めちゃう?」
「…………」
期待するような目で言われて、高菜はダイスをしばらく眺める。
「……いや、やめとく。もう自分で決められるから」
ダイスを振って決めるのはどちらを選んでもいいような時だけだ。一応、昔からそう決めていた。
仕事の選択はダイスを振って決めるようなことではない。当たり前のことだ。
それに、たった今、心を決めるきっかけも貰っている。
ま、業界で何年か生きてるから、ちょっと失敗しても何とかなるでしょ。
そんな計算と共に高菜の心は決まっていた。
「ありがとう。由香。ここに連れて来てくれたおかげで、すっきりした気がする」
「そう。それなら良かった」
なんとなく、自分の指針というか、芯の部分が決まった気がする。これからはダイスを投げることも減るのではないか。そんな予感すらあった。
「さて……そんな由香先生にはお礼をしないとね……」
言いながら、スマホを取り出して操作を始める。
観光地といってもシーズンを少し外れているおかげで、目的はすぐに果たされた。
「お礼って……なにしてるの?」
「ビジネスホテルで今夜の宿がとれた。せっかくだから飲みに行かない? 奢るよ?」
今日は週末、土曜日だ。急に会った同級生を案内するくらいだから、由香には時間の余裕があるだろう。
「奢るって、いきなりね」
「観光案内に、母校の案内のお礼。それと仕事の愚痴くらい聞くわよ。色々あるみたいだし」
道の駅で話している時の様子から察するに、由香なりに教職というものに思うところがあるのは確実だ。高菜にそれをどうこう言うことも、後押しすることもできないが、愚痴の受け皿になるくらいはできるだろう。
「私は辞めろとも続けろとも言わないけど。私とちょっと話しただけで部室に連れてきてくれた由香は、良い先生やってるって感じたよ」
その言葉を聞いた由香が一瞬だけ驚いたように硬直した。眼鏡の奥の小さな瞳が収縮した後、目元が下がって笑みを作る。
「……言っておくけど、私は結構飲むよ?」
「大丈夫。うちのゲーム売れてるから。余裕はあるよ」
同級生の挑戦的な言葉を受け流しつつ、青い透明ダイスをバッグにしまう。
「じゃ、電気消すよ」
「あ、ちょっと待って」
部屋を出る際、誰も居ない部室と窓の外に見える富士山に一礼する。
「じゃあ、行こうか」
「うん。さて、どこの店にしようかなー」
「あんまり高い店はやめてね……」
高菜の行動に何も言わずに、楽しそうに行き先を考える友人を見て笑みがこぼれる。この付き合いの良い友人にも良いことがあるといいと、心の底から思った。
「……案外、悪くなかったな」
小さくそんな呟きが、自然と口から零れた。
自分の行き先を決めるものがこの町にあった。
それだけのことがこの町であったことを確認できた。
それを嬉しく思いながら、高島高菜は次の場所へと歩き出す。
懐かしい場所の懐かしい記憶を、心に刻んだままで。
もうダイスロールしない みなかみしょう @shou_minakami
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