第98錠 黒と色彩のアーティスト⑲ ~希望~


「俺、今日見たんだ。お母さんが言ってた、


 母にお化け屋敷に入ったことを告げると、母は少し驚いた顔をしていた。


 というか、入ったと言って、よかっただろうか?


 本来、人の家に勝手に入ってはいけない。

 それが、たとえ無人の家だったとしても。


「あの屋敷に行ったの?」


 すると、母が問いかけてきて、彩葉は、少しビクビクしながら


「う、うん」


「そうなんだ。あの絵、まだ残ってるのね」


「怒らないの? 人の家に勝手に入ったのに」


「それはもちろん、良くないことだけど。でも、彩葉が、あの屋敷に入ったのは、私の話を聞いたせいでしょう?」


 母は「私のせいだね」などと言って、母は申し訳なさそうに謝り、それでも息子が、あの絵を見れたことを、とても喜んでいた。


「すごく綺麗だったでしょ。あの絵」


「うん、お母さんが、昔描いてた絵と似てた」


「昔?」


「うん、俺が、小さい時、公園でよく絵を描いてくれてた絵」


「あー、息抜きに描いて水彩画かな。懐かしい」


 確かに、もう昔の記憶だ。

 最近は全く見ていない。


 俺は、色鮮やかな、あの絵の方が好きだったのに……

 

「なんで、今は描かないの?」


「え?」


「きれいな花畑の絵。お母さんにとっては、あの屋敷に飾ってあった絵が『完璧な絵』なんでしょ?」


 前に母が話していた。


 あの屋敷の絵を見てから、母は絵を描くようになったと。


 だけど、目標にしていた絵がありながら、どうして今は、それとかけ離れた絵を描いているのか?


 それが、よくわからなかった。


 母は、明るい絵を描く人だった。


 キラキラと光る水面。

 色とりどりの花々。


 そして、青から赤へとうつろいゆく雄大な空の景色。


 それを、真っ白なキャンパスに描き上げていく母の姿は、とても生き生きとしていた。


 だから、なぜ今は、黒く不気味な絵しか描かないのか、それがよくかわからなかった。


「描いてるよ」


「え?」


 だが、その後すぐに母は否定の言葉を放って、俺は目を丸くする。


「え? 描いてるの?」


「うん、花畑の絵だって、空の絵だって、今も描き続けてるよ」


 そう言った母は、椅子から立ち上がると、前に父にダメだと言われた絵を取り出してきた。


 真っ黒な扉の絵だ。

 

 見るだけで不安になりそうなその絵は、父に失敗作の烙印を押された絵だった。


「この絵にも、花畑が描いてあるのよ」


「え?」


 意味が分からなかった。

 花なんて、どこにも無い。


「彩葉は、あの地下通路を通って、あの絵にたどり着いたんでしょ?」


 だけど、その母の言葉を聞いて、必死に考えた。


 あの屋敷の隠し通路は、全く光が届かない、完全な闇の世界だった。


 ライトの明かりのおかげで、かろうじて前に進めたけど、それでも不安になるくらい真っ暗で、たどり着いた先で扉を見つけた時は、背筋が凍りつくほどの恐怖すら感じた。


 だけど、扉を開けたら、そこにあったのは美しい絵画だった。


 まるで、地獄から、天国に舞い戻ったような、喜びと安堵感が同時に駆け巡る感覚。


「その扉の向こうには、花畑が描いてあるの?」


 何となく、そんな気がして、彩葉は和歌に問いかけた。


 母の描く黒い絵は、とても不気味だ。


 あの扉をあけたら、きっと恐ろしいものが出てくる。


 彩葉は、ずっとそう思っていた。


 だけど、違ったのかもしれない。


 怖い怖いと、思い続けてきた母の絵は、本当はとても奥深くて、優しい絵だったのかもしれない。


「そうよ」


 すると母は、その失敗作を見つめながら


「真っ白なキャンパスに、まずは、最高の景色を描くの。花畑だったり、虹色の空だったり、まるで天国みたいな優しい景色を──そして、それが完成したら、今度はその絵を、真っ黒に塗りつぶす」


 その風景画を描くだけでも、何時間と時間を費やすらしい。


 母が完璧だと思う、あの屋敷の絵画のように、人の心を癒す優しい風景画。


 それを、何ヶ月と時間をかけ、一筆一筆、丁寧に描き上げる。


 そして、時間と魂を込めて描きあげた風景画を、今度は、真っ黒の絵の具で、漆黒の世界にぬりつぶすそうだ。


 決して躊躇うことなく、豪快に──


 でも、なんで、そんなことをするのか分からなかった。


 きっと、母の描く絵なら、その風景画だけでも、十分すぎるくらいの価値がある。


 だけど、それを全てを台無しにするかのように、鮮やかな世界を、黒一色に練り潰す。


 だけど、それにも、しっかりとした意味があった。


「彩葉、私はね。どんなに辛くて苦しいことがあっても、いつか必ず、明るい場所にでると思ってるの」


「明るい場所?」


「うん。暗くて見えないだけで、出口は必ずある。でも、人は、その扉にたどり着く前に諦めちゃうの。真っ暗な世界には、出口なんてないと思い込んでしまう。でも、あるのよ、出口は。見えないだけで、探せば、必ずある。私は、それを伝えたくて、この絵を描いてる。この黒い絵にはね──『希望』という意味が込められてるの」


 希望──そう言われた瞬間、ずっと怖いと思っていた絵の印象が、ガラリとかわった気がした。


 あの不気味な扉は、不幸の入口ではなく、希望の扉だったのだと──


「これまで描いてた絵、全部?」


「うん、そうよ。全部の絵に、様々な風景画を描いてる。私ね、あのお化け屋敷に救われたの」


「救われた?」


「うん。彩葉には話してなかったけど、私、施設で育ったの。親が万引きとか虐待とかする最低な親でね。たくさん暴力も振られた。それで、ついに児童相談所のお世話になって、それから、ずっと施設暮らし。でも、私ちょっと変わってるし、施設でも学校でも、居場所がなくて……小学生の時に、ふと死にたくなって、学校をサボってウロウロしていたら、あの屋敷を見つけたの」


 母は目を細めながら、懐かしそうに、当時のことを振り返る。


「私が子供の時から、あの屋敷は、お化け屋敷って言われてた。殺されたお嬢様が、夜な夜な泣いてる声が聞こえるとか、鈴の音がしたら神隠しにあうだとか……死にたくても、痛い思いをするのは嫌だったし、いっそ神隠しにでもあったら、楽だなと思って、私は、あの屋敷に忍び込んだの。でも、みんなが言ってるようなことは全く起きなくて、むしろ、あの屋敷は、凄く優しい場所だった」


「優しい?」


「うん、優しい、すごく……私にとっては、どこよりも、落ち着く場所だった」


 すると母は、屋敷での思い出話を、ひとつひとつ、噛み締めるように話してくれた。


 泣きたくなった時には、いつも、あの場所で泣いたこと。


 退屈な時は、屋敷の中にある本を読み漁り、時間を潰したこと。

 

 そして、施設育ちの母にとって、あの屋敷の中にあるものは、全てが珍しいものばかりで、何度きても飽きなかったらしい。


 そして、ある日、あの『隠し扉』を見つけた。


「隠し扉を見つけた時は、ワクワクしたなぁ。まるでおとぎの国の入口みたいで。でも、地下通路の中は真っ暗で、進めば進むほど怖くなって、むかし親に、押し入れの中に閉じ込められた時の事を思い出して、動けなくなったの……このまま、死ぬんだと思った。誰にも見つからずに……でも、そう思ったら、すごく悲しくなって、死にものぐるいで進んだ。暗闇の中を手探りで、ひたすら前に……そしたら、あの扉をみつけたの。そして、あの絵に出会った」


 母は、あの絵を見た瞬間、涙が止まらなくなったらしい。


 闇の中から、光の世界に変わる感覚。

 恐怖が、安堵に変わる感覚。


 そして、あの時の感動が、今も忘れられないと、母は言った。


「私の人生は、ずっと真っ暗で、いいことなんて何も無いと思ってた。きっとこの先も、真っ暗な人生を歩んでいくんだろうなって、完全に諦めてた。でも、あの絵にたどり着いた瞬間、そうじゃないんだって思った。進めば、必ず、明るい場所にでられるんだって……現に、死ぬつもりで、あの屋敷に入ったはずなのに、私は、いつの間にか、楽しいと感じるようになっていたの。あの屋敷が、私に生きる喜びを教えてくれた。私の死にそうな心を守って、救い出してくれたのは、あの場所だけ。だから、まだ、諦める必要はないと思った」


 きっと、未来には『希望』がある。

 私が、この絵と出会ったように──


 どんなに、暗く不気味な世界をさまよっていても、明るい場所に続く扉は必ずある。


「そう思ってから、私は、毎日のように絵を描くようになったの。屋敷の中で見た、あの美しい絵画の中の世界を、自分の手で表現できるようになりたい。そして、目標ができてから、私の世界は、目まぐるしく変わったわ」


 ひとめ見て、素晴らしいと思う絵は、誰からも愛されるらしい。


 他の部分が、全部ダメでも、なにかひとつだけ秀でたものがあれば、人はそれを才能と言ってくれる。


 中学から、高校にあがると、母は、あらゆる絵画コンクールの賞を総ナメにし、天才と言われるようになったそうだ。


 そして、天才と認められた母の輝かしい軌跡は、全て、あの屋敷から始まっていた。


「私は、みんなに、この黒い絵に隠された、色鮮やかな世界を見つけ出して欲しいの。見た目ではわからないけど、確かに描かれてるこの世界を──それにね。そのうち化学が発展したら、この黒い絵の具の下にある世界を浮かび上がらせる技術が生まれるかもしれない。そしたら、みんな驚くと思うんだ。そんな仕掛けがあったのかって!」


 無邪気に話す母は、まるで子供のようだった。

 

 なにより、そんな未来の発展すらも意識して、絵を描いていたのかと驚いた。


「すごい。そんなことまで、考えて描いてたんだ?」


「そうだよー。未来の発展と同時に、扉の先がみえるようになる二重構造。おもしろいでしょ? それにさ、できるなら、風景画の方もみてほしいんだよね。私にとっては、あの屋敷の絵画の方が、完璧な絵だから」


「完璧?」


「うん、人に希望と安寧を与えてくれる完璧な絵。アートとしては、この黒い絵で正解なんだろうけど、私は、人を癒す絵を描きたくて、絵を描き始めたから、本当に見て欲しいのは、風景画の方かな?」


 その言葉を聞いて、改めて、母の絵を見つめた。


 黒一色の不気味な絵。

 

 でも、その奥には、誰も見たことがない、母だけしか知らない、色鮮やかな世界が描かれている。


 そう思ったら、見てみたいと思った。

 

 母が描いた、完璧なやさしい世界を──






*あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16818093085936359974

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