第97錠 黒と色彩のアーティスト⑱ ~勇気~
真っ暗な闇の中に、突如現れたのは、禍々しいほどに黒ずんだ『扉』だった。
木製なのか、鉄製なのかすら、暗くてよくわからない。
だが、ライトで照らされたそれには、確かにドアノブが付いていて、片開きの扉だということがわかった。
しかし、その扉のあまりの不気味さに、彩葉たちは息を呑む。
なんとなく、開けてはいけないような気がした。
それは、恐怖心からくるものなのか?
それとも、単なる第六感なのか?
だが、見えない扉の向こう側からは、得体の知れない恐怖を感じた。
開けたら、もう日常には戻ってこれないような?
そう感じてしまったのは、きっと、この光景が、母が描く、あの黒い絵の世界と、あまりにも、よく似ていたから──…
(なんだか、お母さんの絵の中に、入った気分だ……っ)
彩葉の頬に、じわりと汗が伝う。
母の絵は、とても不気味だった。
一面真っ黒に塗りつぶさらた暗闇の中に、扉が一枚浮かぶ独特な画風。
それは、シンプルでありながら、あまりに不気味な絵で、幾重にも塗り重ねられた純黒は、人の心に、あっさり恐怖の渦に突き落とし、萎縮させるほどの迫力があった。
きっと、賞をもらうほど評価されたのは、その絵の禍々しさによるものなのかもしれない。
そして、目の前にある扉は、その母の絵を具現化したかのようで、背筋が凍りつく。
「ど、どうする、黒崎?」
すると、先ほどと同じように、樋口が問いかけてきた。
ここまで来たら、この先を確かめるべきなのに、どうにも恐怖心に支配され、頷くことができない。
開けるか?
開けないか?
そんな単純な二択のはずなのに、まるで人生の岐路に立たされているかのような圧迫感を感じた。
でも、ここで引き返せば、もう二度と、この扉の先を見ることはできない。
(怖いけど……開けなかったら、後悔する気がする)
扉の前に立ち、彩葉は目を閉じる。
開けるなら、今しかない。
怖くても、知りたい。
見てみたい。
思うのは、なぜなのだろう?
「──行こう、樋口」
すると、彩葉がハッキリと進むと発言し、樋口がごくりと喉を鳴らした。
冷や汗と同時に、駆け上がるように心音が増していく。
そして、樋口が、ライトを照らせば、漆黒の闇の中で、彩葉は真鍮製のドアノブに手を伸ばした。
――ガチャ
錆びついたドアノブが、小さく音を立てる。
そして、彩葉が扉を開けた瞬間──
「……っ」
突如、視界に入り込んできたのは、まばゆい光だった。
漆黒の世界から、一瞬にして、光りの世界に誘われる。
そして、その瞬間、目に飛び込んできたのは、一枚の絵画だった。
「え……」
思わず息を呑み、声も出せないくらい、その絵に魅了される。
扉の奥に広がっていた絵は、色鮮やかな花の世界だった。
まるで天界の風景を映し出したかのような、美しく透明感のある色合い。
金の額縁の中に収まった絵の中には、息を呑む光景が描かれていた。
薄い雲がかかった青空の下には、赤や黄、紫などの鮮やかな花々が、風に吹かれながら優雅に揺れている。
優しくて、温かくて、泣きたくなるくらい、ほっとする景色。
そして、それは、静止する絵の中の景色のはずなのに、なぜか実物を見ているかのように感じ、さっきまで恐怖心で埋め尽くされていた心が、あっという間に解放されていることに気づく。
なにより、その絵は、とても綺麗だった。
幼い日に、母が描いてくれた、あの日の風景画みたいに――…
「黒崎、これだよな! お前の言ってた『完璧な絵』って!」
瞬間、絵の美しさに見惚れていた彩葉の肩を、樋口が叩いた。
やったー!と大きな声を上げる樋口は、その後、絵画の前まで駆け出して行って、その光景にハッとして、彩葉は、慌てて、今の状況を確認する。
黒い扉の奥にあったのは、とても明るくて優しい世界だった。
どうやら、さっきの地下通路は、屋敷の側にあった別棟へとつながっていたらしく、彩葉たちが出た場所は、別棟の廊下だった。
そして、その絵画は、廊下の壁にひっそりと飾られていた。
誰にも見つからないような場所に──…
(凄いな、この屋敷。……もしかして、お母さんも、この地下通路を通ったのかな?)
なんとなくそんな気がしたのは、あの黒い絵のせいだろう。
もしかしたら、お母さんも、あの不気味な扉を開いて、この絵にたどり着いたのかな?
この景色を、お母さんも見たのかな?
(……あの黒い絵には、どんな意味が込められているんだろう?)
暗い扉の向こうには、一面に広がる花畑があった。
そして、母は、この屋敷の絵を『完璧な絵』と言っていた。
確かに、この絵は、完璧だった。
人の心を癒す完璧な絵。
でも、この色彩豊かな絵画を、完璧とするなら、母は何故、真っ黒な絵を描いているのだろう?
今まで、聞いた事はなかったけど、ふと気になった。
母が描く、あの黒い扉には、
一体、どんな『意味』があるのかと──…
*
*
*
「おかえり、彩葉~」
その後、お化け屋敷の探索を終えて家に帰ると、母親の和歌が明るい声で、出迎えてくれた。
暴力を振る父が悪魔なら、優しくて明るい母は、彩葉にとっては、天使みたいな存在だった。
母だけしかいない家は、凄く居心地がいい。
昨日から父がいないから、しばらく怒られることはないし──
「もうすぐご飯だから、手を洗っておいで」
すると、母が声をかけてきた。
キッチンでは、珍しく母が料理をしていて、肉が焼ける音が、ジュージューと響いていた。
ちなみに、母は料理が得意ではなく、作るとしたら、たいてい焼くもの。
簡単だから、失敗が少ないらしい。
そして彩葉は、いわれるまま手を洗いに行き、その後、テーブルについた。
ダイニングテーブルには、2人分の料理が並ぶ。
だが、その中のひとつに真っ黒な物体があるのに気づいた。
「お母さん、これなに?」
「あ! それはね、玉子焼きなの! 彩葉、甘い玉子焼きの方が好きでしょ? だから、頑張って作ったんだけど、砂糖いれると焦げやすくなるみたいで……っ」
母は、黒焦げにしたことを謝りながら、申し訳なさそうに手を合わせた。
だけど、別に焦げていてもよかった。
俺が好きなものを把握してくれて、不慣れながらも頑張ってくれたのが、嬉しかったから──…
「美味しいよ?」
「うそうそ! 絶対、苦いでしょ!?」
黒焦げの玉子焼きを、ひとつ頬張った俺に、母は『無理して食べなくていいよ』と言った。
だけど、外側は確かに苦いけど、中はしっかり甘かった。
(お父さんが作るのは、いつも塩っぱいし)
そして、玉子焼きには好みがでるらしく、父が作るのは、いつも塩っぱかった。
全く甘くないし、どっちがいいかと、俺に聞いてきたことすらない。
だから、甘い玉子焼きがでてくると、愛されているのだと実感する。
だって、父の世界は、いつも父を中心に回っていて、そこに、俺への気遣いなんて、欠片すらない。
「今日は、何して遊んできたの?」
「……!」
すると、食事をしながら、母が問いかけてきた。
俺は、母の目を見ると、屋敷のことを思い出した。
今日、思ったこと、聞いてみようかな?
「あのさ、お母さん。お母さんも、四丁目のお化け屋敷に入ったことあるんだよね?」
「え?」
「俺、今日見たんだ。お母さんが言ってた、完璧な絵」
*あとがき*
https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16818093085517973372
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