第88錠 黒と色彩のアーティスト⑨ ~天才~
ミーン、ミーンと暑苦しい蝉の声が響き渡る。
もうじき、夏休みが始まる7月上旬。
世間は、蝉の声にせかされるように、忙しなく動いていた。
そして、この公園にも一人、忙しなく働く男がいた。
「はい、五十嵐です」
今日もスーツ姿で公園にやってきた男は、ベンチに荷物を置くなり、かかってきて電話に出る。
するとその相手は、職場の上司だったらしい。
『
と、渋い声が聞こえくると、男は、明るい声で答えた。
「
『あぁ、気が向いたらな。それより、今どこにいる』
「今ですか? 四丁目の公園です」
『公園? この暑い中か?』
「はい!」
山根と、違う名前をかけられたにもかかわらず、その名をなんなく受け入れた男は、その後、スーツのジャケットを脱ぎながら
「夕方は、だいたいココにいますよー。俺のクライアント、社会人ばっかだし。4時から7時くらいまでは、みんな忙しいのか、暇してるんで」
『だからって、なんで公園なんだ。熱中症で死にたくなかったら、一旦、家に帰れ』
「えー! 家に帰ったら、もう出たくなくなるじゃないっすか!? かといって、喫茶店とかファミレスで時間をつぶすのは、金がもったいなくって」
『金なら経費で落とせばいい。職員が一人でも倒れたら、仕事が回らなくなる』
「うわっ、ブラック! ほんと、この会社、とんでもなくブラック!!」
社員の身体の心配ではなく、仕事の心配とは。
佐々木の容赦ない返答に、五十嵐、いや山根は、呆れたように返す。
「もっと後輩に優しくしてくださいよー。若い子、辞めちゃいますよ」
『辞めたかったら、辞めればいい。それだけ、過酷な仕事だ』
「んー、そうっすねー。じゃぁ、超絶かわいくて、グラマラスな美女が『山根さん、私と結婚して♡』って言ってきたら、辞めましょうかね」
『…………』
「あー! 今、無理だって思ったでしょ!?」
『おもっとらん。とにかく、体調には気を配れ。元・医者の言うことは聞いとくもんだ』
「はいはい、わかりました!……というか、俺がここに来てるのは、ちょっと気になる子がいまして」
『気になる子?』
「はい、よくこの公園に来るんですよ」
今日も来るだろうか?と、山根は、東屋の中から公園を見渡す。
彩葉という男の子は、小学6年生らしい。
目鼻立ちがハッキリした子で、ほっそりとした、あまり喋らない大人しい子。
『お前は、公園でナンパでもしてるのか?』
「いや、違いますよ! 気になる子ってのは、小学生の男の子です。このクソ暑い中、家に帰らず、公園で勉強してるんですよ」
『…………』
「何度か話しかけまして、どことなく虐待の匂いを感じてるんですが、まだ確信が持てなくて」
『外傷は?』
「見た感じは、全く。でも、時折、体の痛みを庇うような動きをする時があるので、見えないところに殴られてるんじゃないかと……ただ、こんな人けのない公園で、男児の服をぬがしたら、やっぱり通報されちゃいますよね?」
『そりゃ、そうだろ』
苦笑いで問いかけた山根に、佐々木がつっこむ。
身内でも際どいところ、赤の他人がそんなことしたら、確実に変質者として通報される。
『危ない橋は、渡るなよ』
「分かってますよ。でも、虐待なら、ほっとくわけには」
『気持ちはわかるが、疑わしいなら、児相に通報しろ。虐待児に関しては、あっちの方が専門だ』
「まぁ、そうなんですけど……っ」
『山根。表の仕事は、表のヤツらにまかせろ。ワシらには、ワシらの仕事がある。それに、これ以上、仕事を増やすと、老けるぞ』
「げっ!?」
その言葉には、どうやら心当たりがあるようで、ベンチに座る山根は
「もう老けてますよ! 俺、この前、初めて、オジサンって言われたんですよ、まだ26なのに!? 絶対、この仕事始めてから、老け込んでますって!」
『男としての貫禄がでてきたと思えばいい』
「貫禄ねぇ。つーか、佐々木さん、俺に何か用があったんじゃないんですか?」
『あー、そうだ。追加の仕事だ』
「げっ。まぁ、そんな事だろうと思いましたけど。なんの仕事ですか?」
『至急【紫】を見つけてきてほしい』
「え?! 【紫】ですか!?」
冷えたメロンソーダで喉を潤しながら、山根が面倒くさそうに答える。
「ラボに、在庫はないんですか?」
『あぁ、昨日、作家先生が大量に買い占めていっていってな』
「作家? あー、あのベストセラー作家の? いいんですかねー。大人気作家が、薬を使って小説を書いてるなんて知られたら、そのうちドーピング作家って言われちゃいますよ?」
『仕方ないだろう。書けなくなって精神を病んで、自殺未遂までした人だ。色を服薬してなければ、今頃、未完の名作がひとつ増えていただろう』
「あー、まぁ、昔からですけど、なんで、作家や芸術家ってのは、こうも自殺率が高いのか?」
『才能を切り売りする仕事だからな。病みやすい職業だ。なにより、先生の厄介なところは、性格がかわっても、小説を書くことを辞められなかったところだな。もう、取り憑かれてるといってもいい』
「……大丈夫ですか? そのうち、色に依存したりとか?」
『それはないだろう。紫のcolorfulを服薬してから、統合失調症も改善したそうだし、自分の中に、上手く紫の性質を落とし込んで、作品にも活かしてる。なにより、賢く使えば、色に依存性はない』
「そうですね。まぁ、うちとしては、お得意様ですし、容量を守って、正しくお使い頂ければ、文句はありませんよ! それにファンとしては、先生の小説が読めなくなるのは嫌ですし。ぜひとも
『そんなことはわかってる。でも、ラボの在庫を切らす訳にはいかない。それっぽい人がいたら、採取してこい』
「それっぽいって……っ」
佐々木の言葉に、山根は、電話を切ったあと深くため息をつく。
紫の遺伝子を持つ人間は、感性に優れ、人並外れた洞察力がある。
そして、その独特の雰囲気と、一般とは違う視点を持つが故に、アイデアを生み出すことに優れたその色は、芸術の世界では、喉から手が出るほど渇望されている。
いわゆる【天才】と称される色。
だからこそ、天才になりたくてもなれなかった者達が、高い金をだして買い占める。
「採取って、簡単に言うけど、天才が、そこら中にいるわけないでしょうに」
販売可能な【色】は、全部で5色。
その中でも【紫】は、採取が難しく、極端に在庫が少ない。
それは【白】と並ぶ程の希少さで、それ故に、天才が持つ色とまで言われていた。
しかも今は、組織内に、紫の色を持つ職員が一人もいないのだ。
(紫か……見つけたあと、上手く引っ張り込めればいいんだけどな?)
ミーンミーンと、セミが大合唱する中、山根は再び喉を潤し、汗を拭った。
暑い夏の陽射しは、容赦なく降り注ぐ。
それでも山根は、今日も来るか分からない少年を、ひっそりと待ったのだった。
✣あとがき✣
https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16818093081139359482
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