第85錠 黒と色彩のアーティスト⑥ ~東屋~


「じゃぁ。またあとでな!」


 放課後。

 いつも通り、みんなと別れた後、俺は近くの公園に向かった。


 普段なら家に帰るけど、もし父がいたら、またサッカーに行けなくなるかもしれない。

 

 でも、今日は絶対に、約束を破るわけにはいかなかった。


 樋口を困らせるのも嫌だし、みんなに嫌われるのも嫌だ。

 

 だから、家には帰らないことにした。


 俺は、みんなと約束をしている大きい公園から、少しだけ離れた人けのない公園の中に入ると、その奥にある東屋にむかった。


 日差しがある中でも、東屋の中は影になっているから涼しい。

 

 それに、ベンチとテーブルもあるから、ここなら宿題ができる思った。


(早く、終わらせよう)


 サッカーをして家に帰った後、宿題をしていなかったことが父にばれたら、また殴られる。

 

 だから、ベンチにランドセルを置いた後、俺は東屋の中で宿題を始めた。

 

 漢字と算数、あとは日記。

 

 日記は、あとでもいいと思った。

 できるなら、サッカーのことを書きたいし。


 

 ◆◆◆


 

 その後、家に帰らなかったおかげで、俺は、樋口との約束を守ることができた。


 みんなとサッカーをするのは、とても楽しかった。


 時間を忘れるくらい夢中になって、たくさん笑って、こんな時間が、ずっと続けばいいと思った。


「やっぱ、黒崎がいると白熱するな~」


 そして、遊びの時間が終わりを迎えるころ、樋口が満足そうな顔で、そういった。


「やっぱ、黒崎は上手いな、サッカーが!」


「そうかな? てか、俺がいようがいまいが、変わらないだろ?」


「そんなことねーよ。黒崎がいると、俺も本気出せるし! そうだ! 中学生になったらさ、俺と一緒にサッカー部にはいらねぇ?」


「え?」


「だって、黒崎、サッカーの才能あるし! サッカー部ならさ、大会とかあるから、もって強いやつが」


「無理」


「え?」


 だけど、そんな樋口の明るい言葉に、俺は、すぐに否定の言葉を重ねた。


 本心では「入りたい」と思った。

 

 中学でも、樋口たち一緒にサッカーができたら、きっと楽しい。

 

 でも――


「多分、ダメっていうと思うから」


「え? 誰が?」


「お父さん」


「はぁ? それはないだろ。黒崎のお父さん、めちゃくちゃ優しそうじゃん!」


 優しそう――それは、きっと表向きの父だ。


 父は、とても外面がいい。

 

 まさに、絵にかいたような真面目で素敵なお父さんとして振る舞う。

 

 だからか、誰も気付かない。

 息子の俺には、あんなにも厳しいと言うことを。

 

 でも、それも仕方ないのかもしれない。


 一緒に暮らしている母ですら、気付かないほどなんだから──


「そっか。でも、黒崎はそれでいいのか?」


「え?」


「だって、サッカー、好きだろ。今日だって、めちゃくちゃ楽しそうだったじゃん!」


「…………」


 思わず、言葉に詰まった。

 

 確かに楽しかったけど、まさか樋口にばれるほど、楽しんでいるのが伝わっていたなんて。


「べ、べつに、めちゃくちゃってほどでは」


「えー、ほんとかぁ? まぁ、黒崎が入りたくないんだったら、別にいいけどさ。でも、もし、入りたいんだったら、ちゃんと親に言えよ! 言うだけならタダなんだからな!」

 

 タダ?

 いや、どう考えてもタダでは済まない。


(殴られる覚悟で言わないと……っ)


 希望を一つ伝えるのも、俺にとっては簡単なことじゃなかった。


 もし、サッカー部に入りたいといったら、父はどんな顔をするだろう?


 勉強を真面目にやっていたら、少しくらいは聞き入れてくれるだろうか?


 でも、明らかに無謀な賭けでもあって、俺は樋口に、前向きな返事を返すことができなかった。


(サッカーか……お母さん、昔みたいな絵をかけたら、また優しいお父さんに戻ってくれるって言ってたけど、本当かな?)


 母の言葉を信じたい気持ちと、信じられないという気持ちが、半々くらい。


 でも、もし本当に、優しいお父さんに戻ってくれたら、俺のお願いも、少しくらいは聞いてくれるかもしれない。

 

 

「あ、そろそろ帰らなきゃな!」

「みんな、また明日な~!」


 すると、楽しい時間はあっという間にすぎて、俺は、みんなと別れた。


 サッカーが終わると、みんなそれぞれ、自分の家へと帰っていく。


 でも、俺の行先は、家ではなかった。


 実は、ランドセルを、さっきの東屋に置いてきた。

 

 さすがにランドセルをもっていったら、家に帰ってないことが、みんなにバレてしまうと思ったから。


 だから俺は、夕日が落ちかけた道を小走りで進むと、先程、宿題をしていた公園に戻ってきた。


 遊具のない公園は静かなもので、人の姿は全くない。


 隠れて勉強するには、ちょうどいい気がして、またサッカーに誘われたら、ここに来よう。


 俺はそんな事を考えながら、ランドセルを取りに、東屋の前までやってきた。


「──え?」


 だけど、その瞬間、東屋の中に人がいることのに気づいて、俺は目を見開いた。


 さっきはいなかったのに、中のベンチには男の人がいた。


 そして、その人は、ベンチに横になりながら、くーすか寝息をたてていた。

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