第68錠 堂々巡り


「そうだな。例えば──とか?」


 走行中の車の中で、彩葉の声が重苦しく響いた。


 そして、その返答をきいて、山根が、残念そうに呟く。


「あー、やっぱ、そうなるよなぁー」


「やっぱりって、なに?」


 すると、今度は、葵が口を挟み、山根は、不機嫌そうな葵の声を聞き取りつつ、スマホを操作しながら、説明をはじめた。


「誘拐絡みの事件なら、昔からよくある脅し文句だろ。娘を殺されたくなかったら、身代金を1000万用意しろーとかって。まぁ、この場合、要求されるのは、金じゃなくて、人間の方だろうけどな」

 

「………」

 

 人間──それは、間違いなく、狙われている神木くんのことを言っているのだろう。


「胸糞悪い。人を物みたいに」


「まぁ、実際、梁沼にとってはそうなんだろ。あの子は、芸術品。絵画や壺と同じ扱いだ」


「でも、だからって、家族にまで手を出すの?」


「出すよ、梁沼アイツなら。欲しいものを手に入れるためなら、なんだってするやつだ。そんで、狙うとしたら、やっぱり妹の方だろうな?」


「妹……?」


 すると山根は、二人に、スマホを見せつけてきた。


 きっと資料の一部だろう。

 そこには、神木くんの妹弟である双子の姿があった。


 そして、二人いるうちの一人が、妹である神木 華さんだ。

 

「大学生の青年を拉致するより、中学生の女の子を拉致する方が、楽だろうしな。それに『妹を殺す』と脅されたら、お兄ちゃんは、言うことを聞くしかなくなるだろう」


「「…………」」


 予測できない話では無いが、あまりにも凄惨すぎる話に、葵と彩葉は同時に眉を顰めた。


 厄介な男に目をつけられたものだ。

 

 事件から10年がたって、やっと立ち直り平穏に暮らしているというのに、ここでまた梁沼と出くわしたら、彼らの日常は、どうなってしまうのだろう?


 だからこそ、梁沼が、この家族に接触する前に、対処しないといけない。

 

 被害者の心の平穏を守るためにも──

 

「それで、俺たちは何をすればいいの?」


 すると、彩葉が問いかけた。

 

 厄介な『黒』を相手に、未成年である彩葉と葵まで駆り出されている。


 いくら、組織の人手不足が深刻とはいえ、基本的に、危険なことには子供を巻き込ませないのが、組織の方針だ。


 だが、今回は、新人の葵まで加わっている。

 なら、それ相応の役割があるのだろう。


「あー、やっぱ、そこ気になるよな?」


 すると、山根は、ヘラヘラと笑いながら、足を組み替えた。

 

 車のバッグミラーごしに目が合えば、山根は、二人に向かって、ある命令をする。

 

「彩葉と葵ちゃんの仕事は、華ちゃんの護衛だ」


「護衛?」


「あぁ、拉致られる確率が高い子を、ほっとくわけにはいかないだろ? かといって、おっさんの俺が、後をつけてたら逆に怪しまれるし。だから二人には、カップルのフリをして、華ちゃんを尾行してもらう。まぁ、簡単にいえば、梁沼に拉致られないよう守ってね!ってこと!」


「「…………」」


 おちゃめな声が響き、彩葉と葵は、無言のまま山根を見つめる。


 そして、その内容は、すぐに理解できた。

 

 週末なら、出かけることも多いだろうし、出かければ、梁沼に遭遇する確率が上がる。

 

 だからこそ、妹の護衛をしろと言っているのだろうが、ひとつだけ容認できないことがあった。


「ちょっと。なんで、私がこの人と恋人のフリなんてしないといけないのよ」


 すると、彩葉より先に、葵が難色を示した。


 まぁ、気持ちはわかる。

 

 まともに話したことすらない男と、いきなり恋人をやれといわれたのだから。


 すると、山根は笑いながら

 

「だって、仕方ないだろー。葵ちゃんは、まだ新人だし、単独行動はさせられない。それに、彩葉とセットなら、カップル装った方が違和感がないし!」


「だからって……てか、私、梓さんと組みたい!」


「梓はダメ。他に役割がある」


「えー、じゃぁ、山根さんは?」


「俺もだよ。しかも一番危険な任務」


「一番危険?」


「そう。俺は、今夜、梁沼の寝ぐらを叩く」


「え?」


 その言葉に、空気がピンと張り詰める。


 寝ぐらということは、既に潜伏先を掴んでるののかもしれない。

 

 そして、その言葉に、彩葉は


「梁沼の居場所、わかってんの?」


「いや、まだだ。でも、組織からの情報と最近の目撃情報をもとに、玲が割り出してくれてる。だから、うまくいけば、今夜、梁沼に『色』を打てる。だから、その結果しだいでは、君らに出番はないよ」


 出番はない。と言うことは、今晩、山根がアジトに乗り込み、梁沼の性格を変えてしまえば、明日以降、神木家を護衛する必要はなくなるということ。


 つまり、もともと自分達を連れてきたのも、万が一の時のための保険だろう。


「じゃぁ、上手くやって」


「OK、OK! つーわけで、俺は今夜のためにも仮眠をとるから! 三人は、のんびりドライブでも、楽しんでねー!」


 すると、山根は、コートのポケットからアイマスクを取り出すと、座席を倒し、いきなり仮眠をとり始めた。


 真っ昼間から、酒を飲んでいたのは、寝入りやすくするためだったのか?

 

 マイペースな上司の言動にあきれつつ、彩葉は、再び、資料に目を向けた。


 資料には、仲睦まじい神木家の姿が写っていた。


 父子家庭で、子供が三人。

 写真の仲の彼らは、とても幸せそうだった。


 でも、今、この幸せが、再び壊されそうになっている。

 

 覚醒した『黒』の手によって──


(梁沼は危険すぎる……でも、ここで梁沼の色を変えられたとしても、また切れたら、意味がないような気もする)


 今回、うまくいったとしても、薬の効果が切れれば、また振り出しに戻る。


 それが、2年後か、8年後か、10年後かはわからないが、そうなった時は、また梁沼にcolorfulを打つことになるのだろうか?


(結局、堂々巡りか……)


 半永久的に切れないcolorfulができるまでは、これを繰り返していくしかない。


 そして、それは、彩葉自身にも言えることだった。


(いつか、親父の色が切れたら、俺は、どうすればいいんだろう……?)


 また、打つのだろうか?

 colorfulを?


(でも、借金、返しきれてないし……)


 だったら、無理かもしれない。


 でも、そうなったら、どうなるんだろう?


 彩葉の脳裏には、優子と誠司の姿がよぎった。


 考えれば考えるほど、不安になる。


 だが、それだけ、この安寧を得た代償は、大きく歪なものだった。

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