第36錠 反撃

 ✣✣✣


「──、ッ!」


 誠司が困惑する中、背中を強打した彩葉は、声にならない声を発した。


 苦痛に顔をゆがめ、男をしっかりと見据える。

 だが、押し倒された時、どうやら頭をぶつけっしまったらしい。


 押しのけようと伸ばした手や男の顔が、二重三重に重なって見えて、彩葉は、ぐっと奥歯を噛み締めた。


(マズイ……っ)


 グラつく思考を、必死になって繋ぎ止める。


 ほんの一瞬、気を抜いたのが間違いだった。

 だが、その一瞬の気の緩みが、事態を、最悪な方へと加速させていく。


 すると、そんな彩葉の姿に勝利を確信したのか、男は容赦なく彩葉の服を乱し、シャツの上から、その身体をまさぐり始めた。


「っ、やめ…ッ!」


 突然始まった男の行動に、彩葉は蒼白しつつ抵抗する。だが、ゴツゴツとした手が、我が物顔で身体を這いずりまわり、ゾワリと肌が粟立つ。


 しかし、軽く脳震盪を起こしているからか、身体が思うように動かなかった。


 なにか武器になりそうなものをと、さっきまで右肩にかけていたリュックを探しだす。だが、押し倒された時に肩から外れてしまったようで、手を伸ばすが、それも届かない。


(…っ、気持ち、悪い…)


 組み敷かれた自分の現状に絶望する。

 この体勢じゃ起き上がることは、まず出来ない。


 抵抗しつつも、逃げる手立てを必死になって考えるが、その間も男の手は何かを探し出すかのように、胸や脇腹、腰へと移動していく。


 この仕事を始めたとき、ある程度の危険は覚悟していた。


 今までだって何度も危険な目にあってきた。


 だが、さすがにこれは、キツすぎる…っ


「はぁ、はぁ、っ…たのむ…!」


 だが、そんな中、男がうわ言のように、言葉を発しはじめる。


「たの、む…た、のむ…っ頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む!!」


「……ッ」


 自分の体を押さえつけ、狂ったように男が叫ぶと、彩葉はいよいよ限界を感じた。


「安西さん……!!」


 なんとか服の中に入り込む男の腕を掴むと、彩葉は必死になって声を発した。


「落ち着けッ、今は──持ってない!!」


 静かな地下駐車場に、彩葉の声が反響する。


 まるで、諦めろとでも言うように叫んだその言葉に、男は一時だけ動きを止めるが、その後、譫言のようにブツブツと呟きはじめる。


「そんな…そんな、はずない…っ、いつも内ポケットから出してたじゃないか…隠してるんだろう…どこか、服の中に!!…身体に…っ!!」


「──く…っ」


 馬乗りになる男は、さらに強い力で彩葉の身体を抑え込んできた。


「本田くん、頼む…っ、頼む……俺にに、君の色を売ってくれ。俺には、どうしても……どうしても、が必要なんだ!!」


「──っ」


 人気のない駐車場に響き渡った声。

 それを聞いて、彩葉はじわりと汗をかく。


 男は既に冷静さを失っていた。

 ダメだ。もう、これ以上は──


 彩葉は小さく舌打ちをすると、ブレザーのポケットに手を突っ込み"何か"を取り出す。


 正直、ここまではしたくなかった。


 だが、それもやむを得ないと腹をくくると、容赦なくそれを、男に突き立てる。


「ぐぁ!!?」


「!?」


 だが、それは男の身体に触れることなく、空中で動きを止めた。


 彩葉が、反撃するより先に、ドガッ──と殴打するような激しい音。すると、そこから退いた男は、苦痛な声を発しながら、彩葉の横でうずくまった。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。


 だが、彩葉が恐る恐る、自分の代わりに反撃した人物に目をやる。


 すると、そこには、見知った顔の少年が立っていた。

 短く息を弾ませながら、学校指定のスポーツバッグを握りしめて


「はぁ、はぁ…」


「……お前」


「立て!!!」


 すると、状況が飲み込めず呆然とする彩葉に、誠司が、ありったけの声を発して叫んだ。


「逃げるぞ!!」


 そして、投げ出された彩葉のバッグを手に取り、誠司が走りだす。


「あ、まて! それ、返せ!!」


 いきなり自分のバッグを手にして逃げ出した誠司。それを見て、彩葉は血相を変えて立ち上がった。


 男は打ちどころが悪かったのか、未だに、うずくまったままだった。


 彩葉は、それを見て、多少罪悪感を抱くが、誠司をほっとく訳にはいかないと、地下駐車場をあとにした。

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