第29錠 黒


「──はい。なんか用?」


 人々が行き交う雑踏ざっとうの中。

 電話に出た少女は、どこか、気だるげに声を発した。


 肩下まで伸びた赤毛の髪に、切れ長の瞳。


 身軽そうな華奢きしゃな身体つきは、まるでモデルのようで、壁に寄りかかり電話をする少女は、高校生くらいの若々しい女だった。


『いえ。なにか、収穫はあったかなと?』


 すると、その少女の声に、電話先の男が言葉を返した。


 さざ波のような、か細い声。こちらの声もまだ若く、少女と、そう年のかわらない青年の声だ。


「収穫なんて、あるわけないでしょ! 本当に、この街に『黒』がいるの!?」


 すると、少女が声を荒らげ、青年は、困りはてながら


『そう怒らないでください。上の話では、この城ヶ崎じょうがさきで、目撃情報があったと』


「城ヶ崎でって……どんだけ広いと思ってんの? もう少しまとはしぼれないの?」


『これでも、しぼったつもりなんですけどね?』


「どこがよ──っ…!」


 だが、その瞬間、少女が口を噤む。


 人並みを凝視し、訝しげに眉をひそめた少女は、その後、青年に再び語りかける。


「ごめん、れい! 一回切る」

『え?』


 すると、有無を言わさず電話を切ると、少女は、そこから男の元に、一直線に向かっていく。そして──


「きゃ!」


 と、サラリーマン風の男にぶつかれば、その後、可愛らしい悲鳴をあげる。


「おい! なにしてんだよ、あぶねーな」


「ご、ごめんなさい。よそ見してて!」


 ぶつかった反動で、男に密着する。


 だぎ、上目遣いで謝る少女を見て、まんざらでもないのか、男は、軽く頬をそめながら


「き、気をつけろよ」


「はい。すみませんでした……!」


 去っていく男に謝罪をし、少女は、背後からこっそり写真をとると、その後、改めて、自分の手元を見つめた。


「…ちょろすぎ」


 少女の手の中には、さっきまではなかったが握られていた。男が鼻の下をのばしていたせいか、あっさり


 すると少女は、くるりときびすを返し、今度は、70代くらいのお婆さんの元へ駆け寄り


「おばあちゃん! 財布を落としましたよ」


「え? あらまぁ、いつの間に。ありがとねぇ、助かったわ」


「いいえ~」


 男からスッた紫色の財布を渡すと、お婆さんがぺこりと頭を下げ、少女はにこやかに笑いながらも、颯爽とその場から走り去っていく。


 そして、スマホを少しだけ操作した少女は、また先程の男に電話をかける。


「ごめん、玲。画像、届いた?」


『はい。それで、この男は?』


 少女が送った画像は、先程ぶつかったサラリーマン風の男の写真だった。


。お婆さんから財布スったのよ、そいつ。名前と住所特定して、警察にして」


『わかりました。でも、わざわざそんな事をしなくても、その場で、捕まえればよかったのでは? 君なら、取り押さえくらい雑作もないでしょう』


「仕方ないじゃない。あまり目立つことすると、怒られるんだから」


『まぁ、そうですけどね。じゃぁ、引き続き『黒』の捜索をお願いします。こちらも、何か情報がはいったら、また連絡を入れます』


「はいはい、わかりました」


『あ、それと……もし『黒』を見つけても、にしてくださいね』


「……」


 だが、その後、青年に言われた言葉に、少女はスっと目を細めると


「わかってる。でも、忘れないでね。私が『黒』を──、憎んでるってこと」




 *


 *


 *




「ただいまー」


 その後、誠司が自宅にもどると、引越しの作業が終わったのか、母の優子がは、夕飯の準備を始めていた。


「誠司、おかえり~」


 いつものように、優子がにこやかに声をかければ、誠司は、料理中の母に、セイラから預かったクッキーを差し出す。


「これ、セイラから」


「え! 私たちの分もあるの! さすがセイラちゃん~!」


 どうやら、セイラは、誠司用のクッキーとは別に、もうひとつ用意していたらしい。


 別にそんなことしなくてもいいのに……とも思うのだが、相変わらず、律儀な彼女だ。


 とはいえ、母親と彼女が仲が良いのは、決して悪いことじゃない。


 この調子なら、のちのちセイラと結婚しても、嫁姑で揉めることはないだろう。


 なにより優子は、セイラのことを、かなり気に入っている。


 ──ガチャ。


「「……!」」


 だが、そこに、今度は彩葉がやってきた。


 風呂上がりなのか、真っ黒なスエットにTシャツをきた彩葉は、タオルで頭を乾かしながら、キッチンにいる優子に声をかける。


「優子ちゃん、水もらってもいい?」


「あ、はいはい。いいよ~。それに、もう家族なんだから、冷蔵庫、勝手に開けていいからね!」


「そう……」


 優子が、冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだし、コップに注ぐと、彩葉に差し出す。


 だが、その光景を見て誠司は


(……なんか、慣れねぇな)


 今日から『黒崎家』としての新しい1日がスタートした。だが、それは、なんとも見慣れない光景だった。


 今まで、母一人子一人でやってきたのに、いきなり『父』と『兄?』が増えたのだ。慣れないのは、当前だが、それにしても、居心地が悪い。


「あ、彩葉ちゃんも、セイラちゃんのクッキー食べる?」


 すると、優子が、そういって、彩葉は首を傾げる。


「セイラ?」


「あ、セイラちゃんはね、誠司の彼女! ホント、誠司にはもったいないくらい、可愛い彼女でね! 今日は、誕生日だからって、わざわざクッキー焼いてくれたみたいなの!」


「……へー」


 優子がクッキーの入った袋を差しだせば、彩葉はそれを一つ手に取り、口に運ぶ。


 サクッと口の中でクッキーが砕けると、程よい甘さのクッキーは、なかなかの出来栄えで、甘党の彩葉でも納得のいく味だった。


(案外いけるかも……)


「ありがたく食えよな、彩葉!」


「てか、お前、彼女とかいたんだ?」


 クッキーを食べ終わると、彩葉が、誠司を流しみて


「なんだその顔は!! 俺に彼女がいるのが、そんなにおかしいのか!? 言っとくけど、俺の彼女マジで可愛いからな!」


「別に、何もいってないだろ」


「ちょっと、誠司、なに喧嘩うってるの!」


 いきなり喧嘩っぽくなった二人を、優子と止めにはいる。男の子とはいえ、初日からこれとは、先が思いやられる。


「じゃぁ、俺。部屋にいるから、夕飯が出来たら、呼んで」


「はーい。あ、誠司も先にお風呂はいちゃいなさい」


「はいはい」


 優子の言葉を聞いて、誠司と彩葉は同時にリビングをでると、その廊下で別れ、彩葉は二階の自分の部屋に向かった。


 誠司の部屋を通り過ぎ、奥の部屋の前に立つと、彩葉は中に入り、デスクの鍵付きの引き出しから、タブレットPCを取り出す。


(そう言えば、前に一人──)


 するとふと、誠司の彼女の名前を思い出し、彩葉は目を細めた。


 そう言えば、数年前に『セイラ』という名の『客』がいた。


 自分にとっても、初めての客だったからか、彼女のことは、やけに印象に残っていて──…


(──まさか、な)


 彩葉は一人苦笑すると、タブレットPCを起動し、メールの確認しはじめた。



 それぞれ、不安や憤りは感じつつも、新しい家族と過ごす最初の夜は、何事もなく静かに、過ぎ去っていくのだった。






*あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330656070939564

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