第23錠 兄と弟

 夕方6時過ぎ。


 観覧車に乗った後、またバスと電車にのって、城ヶ崎じょうがさきに戻ってきた誠司とセイラは、薄暗くなり始めた歩道を進み、セイラの家に向かっていた。


 誠司の家から、10分ほどの距離にある一軒家。


 モデルハウスのようなお洒落な外観をしたその家が、セイラの自宅だった。


 家につくと、玄関の前でセイラが立ち止まる。だが、その表情は、泣きはらした後だからか、とても暗かった。


「誠司…今日は、ごめんね」


「……」


 俯いたまま、小さく呟いたセイラをみて、誠司は心を痛めた。


 あの後、突然泣き出したセイラを、誠司は、ただ抱きしめてなぐさめることしかできなかった。


 それどころか、今のセイラは、自分のせいで、こんな顔をしている。


「本当に、ごめんね……私、誠司のわがまま…叶えてあげられなくて…っ」


「セイラ。俺のワガママは、って言っただろ? セイラは、ちゃんと叶えてくれてるよ」


「……」


 その言葉に、どこかに落ちないような表情を浮かべたセイラは、またじわりと目に涙を浮かべた。


 セイラが、なぜ先に進みたがらないのか?

 結局、その理由は、わからないままだった。


 でも、それでも、これだけ落ち込んでいるセイラの姿を見れば、自分の事を受け入れようとしてくれたことだけは、しっかりと伝わってくる。


 なら、今はそれでいい。


 この先もずっと、セイラを思い続けていいのだ。

 それが、わかっただけで……


「セイラ、無理しなくていいから。お前が、大丈夫だと思えるまで、ずっと、待ってる」


「っ……でも」


 その言葉に、セイラの瞳にたまった涙が、またあふれ出しそうになる。


 そして、その瞳を見て、誠司は無意識に唇をみしめた。


 どうすれば、セイラの気持ちを、軽くしてあげられるだろう?


 誠司は、涙目のセイラの頬に、そっと手を伸ばすと


「じゃぁ、もう一つだけ、俺のワガママ聞けるか?」


「……え?」


 その言葉に、セイラが顔をあげ、誠司を見つめる。

 すると、優しく笑った誠司は


「来週、俺の誕生日が来るだろ? だから、プレゼントにクッキー焼いて」


「クッキー?」


「うん。手作りな! めちゃくちゃ甘いの作ってこいよ!」


「でも、誠司、あんまり甘いの好きじゃないでしょ?」


「バカ。気持ちの話だよ」


「あはは…」


 目尻にたまった涙を、そっと拭ってやれば、セイラはくすぐったそうにした後、ほがらかに笑った。


「うん……とびっきり甘いの、作ってくるね」


「あぁ、楽しみにしてる」


 頬に添えられた手に、セイラが手を重ねると、二人は、いつものように笑い合う。


 ──今は、これでいい。


 悲しませるよりも、泣かせるよりも、セイラが笑ってくれるなら。


 今は、それだけで──


「じゃぁ、俺、帰るから」


「うん。今日はありがとう。すごく楽しかった。また、二人で行こうね?」


「あぁ」


 触れた手が離れると、誠司はセイラの元を離れ、軽く手をふりながら、走り去っていった。


 そして、そんな誠司の後姿を見つめ、セイラは一人呟く。


「ゴメンね、誠司……私、ずっとついてるの」


 言えない嘘を

 知られたくない嘘を


 だけど──


「もう少しだけ、待ってて……?」


 あと、少し。

 どうか、あと、もう少しだけ──





 *


 *


 *





「ただいまー」


 その後、誠司が自宅に帰ると、玄関に見慣れない靴があるのに気づいた。


 スポーツメーカー製の黒のスニーカー。

 誰か来ているのだろうか?


 誠司が、顔を上げると、リビングの中から、聞きなれた声が聞こえてきた。


「ゴメンね、彩葉いろはちゃん。書類、持ってきて貰っちゃって」


「いいよ。俺もこっちによる用事があったから」


(……彩葉が、来てるのか?)


 音を立てないよう、すり足で廊下を進み、こそっとリビングをのぞき込む。すると、朝と同じように、黒のジーンズとジャケットを着た、彩葉が視界に入った。


 そして、その瞬間、今朝の事を思い出した誠司は、もくもくと表情を曇らせる。


(朝のあれは、なんだったんだ?)


 今朝、遊園地に行く前、彩葉を見かけた。

 しかも、大学生くらいの女の人と怪しい会話をしていた。


 もし、本当にヤバいことをしているのなら、このままほっとくわけにはいかない。


「あ! そうだわ、彩葉ちゃん。もうすぐ、誠司も帰ってくるの。良かったら一緒に夕飯、食べていかない?」


 すると、また母の明るい声が聞こえてきて、誠司の思考は、一旦停止する。


「いや、俺はいいよ。ごめんね、優子ちゃん」


「そう? 残念。でも、来週には引っ越してくるし、もう少ししたら、毎日一緒に、ご飯食べられるようになるね!」


「毎日は……どうかな? でも、早く帰れたら、一緒にたべるよ」


 優子の言葉に、彩葉が苦笑いをうかべる。


 すると話を終えたのか「じゃぁ、まあね」と彩葉は挨拶をし、バッグを肩にかけ、リビングの扉の方へ歩き出した。


 ガチャッと扉を開け、彩葉がリビングから出る。すると、その瞬間、リビングの前にいた誠司と鉢合はちあわせした。


「「…………」」


 二人、無言のまま、視線だけを合わせる。


 すると、挨拶一つ交わすことなく、彩葉は誠司の横をすり抜け、玄関に向かう。


 これから「家族」になるというのに、明らかに空気が悪い。


 だが、家族になるからこそ、今朝のことを簡単に見過ごすわけにもいかず、誠司は意を決して、話しかけた。


「あのさ! お前、今日……」


「あ?」


 すれ違いざまに声をかければ、彩葉の冷たい声が響いた。そして、その声に、誠司はジワリと汗をかく。


 聞けない!!

 今日、知らないお姉さんと、ホテルに行った?


 ──なんて、聞けるわけがない!!


「……なに?」


「え、えと……お前、帰るの…か?」


「あぁ(……今から仕事あるし)」


 誠司の問いかけに、心の中だけで、彩葉が呟く。


 今の時刻は夕方5時半。この後、6時から、彩葉はまたホテルで客に会うことになっていた。


「それだけ?」


「あ…いや、その……っ」


「用がないなら、引き止めるなよ。じゃぁな」


 すると、きびすを返した彩葉は、また玄関へ向かう。


 誠司は、そんな彩葉の後ろ姿を見つめ、再び思考を巡らせた。


 どの道、仲の悪いこの状態で聞き出しても、彩葉が素直に話くれるとは思えなかった。なら


!!」


「……!」


 瞬間、名前を呼べは、彩葉が足をとめた。


 いきなり呼び捨てされ、反射的にふりむいた彩葉は、眉一つ動かさず、誠司に視線を移す。


「あ、あの……この前は、俺の勘違いで、雰囲気が悪くなっちまったけど、俺は別に、お前のこと嫌ってるわけじゃねーから。その……これから家族になるんだし、仲良く……しよーな?」


 誠司がしどろもどろしながらそういって、彩葉の目の前に、そっと手を差し出してきた。


 初めて対面した日。

 彩葉が差し出してきた手を、誠司は取らなかった。


 だが、まるで、打ち解けようとでもするかのように、差し出された手を見れば、誠司が、彩葉のことを家族として、義兄弟として、受け入れようとしているようにも見えた。


 すると、彩葉は、誠司を真っ直ぐに見つめかえし


「へー、アンタ、俺と仲良くする気があったんだ」


「……っ、あのな! こっちが和解しようとしてんだろ! 素直に手取れねーのかよ!」


「じゃぁ『お兄様の言うことには逆らいません。だから握手してください』って言ってみろよ」


「何だそれ!? お前、どんだけ性格悪りーんだよ!? 仲良くする気ねーなら、ねーで、そう言え!!」


「はは。いや、冗談だよ」


 すると、彩葉は、今までとは少し違う、柔らかな笑みを浮かべた。


 誠司が、その顔を見て、一瞬目を見開くと、その後、彩葉は、差し出されて誠司の手を取り、またいつものように、妖艶な笑みを浮かべる。


「じゃぁ。これから宜しくな、


「あぁ……宜しく」




 それぞれの思いを胸に、今日も日は沈む。


 しっかりと握手を交わした、この日。それは「家族」となることを、実感した日でもあった。


 そして、この一週間後。


 誠司は「黒崎くろさき」と名を変え、彩葉と正式な「義兄弟きょうだい」となる。



 全く対象的な、この「二人」の出会いが


 吉とでるのか

 凶とでるのか


 それがわかるのは、もう少し先のお話───…





*あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330655774984930

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