第22錠 初めて


 ラビットランドの観覧車は、パーク内でも特に目玉の一つと言われている、高さ50メートルほどの大観覧車だった。


 所要時間は12分ほど、広い遊園地内を一望できるのは勿論だが、天気がいい日には富士山や秋の紅葉を楽しむことも出来るため、家族連れやカップルにも人気のアトラクションだ。


 そして、夕方4時を迎え、遊園地を楽しむのもこれが最後という頃、順番待ちに少しだけ並んだあと、二人の番が回ってきた。


「どうぞー」


 園内スタッフの声にみちびかれ、ゆっくりと進む観覧車に誠司が先に乗り込むと、セイラの手を取り、ゴンドラの中に招き入れた。


 扉が閉まり、係員がしっかりロックをすると、両側に分かれた座席の片側に、二人並んで座る。


 すると、誠司の横に座ったセイラが


「ねぇ、あの透明なやつ、怖くないのかな?」


 と、一つ前のゴンドラを見て、問いかけた。


 十数個あるゴンドラのうち、二つだけが、スケルトンタイプのゴンドラで、セイラはそれを見て言っているようだった。


「まー、スリルはあるんじゃねーか?」


「高い所が苦手な人とか、怯えちゃいそう」


「高いところが苦手な奴は、まず観覧車に乗らねーだろ?」


「あ。確かにそうかも」


 雑談を繰り返しながら、観覧車はゆっくりと回り、小さなゴンドラは上へ上へとのぼっていく。


 外をれば、少しづつ空が近くなって、窓に手をつき、外をながめるセイラは、夕日をびて、とても綺麗だった。


 あわい栗色の髪が、とてもつややかで、白い頬は、ほのかに赤く染まっていて、そんなセイラの姿に、いつもと違う感覚を覚えたのは、ここが、観覧車という、密室だからかもしれない。


 この二年で、自分たちは、お互いに成長したと思う。


 セイラは髪が伸びて、見た目も体つきも女らしくなって、自分は、セイラを見下ろすくらい背が伸びて、力もついた。


 二年前、初めてここに来た時には、手をつなぐことすらできなかったのに、今じゃ、どちらともなく手を繋いで、指を絡めるまでになった。


 そして、成長するにつれて、一緒にいる時間が長くなるにつれて、その先を求める感情も強くなった。


 だけど、なぜか、そこから先に進むことはなくて、時折、セイラが冷たいと感じるようになったのも、きっと、さっきのように、避けられていることに少なからず、気づいていたから。


「セイラ」


 窓の外を見つめ、背を向けているセイラに、誠司が声をかける。


 すると、狭いゴンドラの中、その声に反応したセイラの肩が、ピクリと揺れる。


 だけど、その後も、セイラが振り返ることはなく。


「セイラ──こっち、向いて」


 目を合わそうとしないセイラに、また見えない壁のようなものを感じて、誠司は、そっと距離をつめると、手を伸ばし、セイラの髪に指をからめた。


 サラサラの髪をもてあそびながら、かまってくれと言わんばかりに、首筋に触れる。


「んっ……誠司、くすぐったい」


「じゃぁ、俺の方みて。ちゃんと、話を聞いて」


 このまま、何事もなく『いつも通りの二人』で終わるなら、それでもいい。


 だけど、どうしても、二人きりになって、聞いておきたいことがあった。


 今日、ここに来た目的は、セイラの


 確かめることだから──…




 *


 *


 *





「ちゃんと、話を聞いて──」


 その言葉を聞いて、セイラは息を詰めた。


 窓には、どこか不安そうな顔をした誠司が映っていて、口を真一文字に結んだその真剣な表情と、切なげな声に、胸の奥がズキリとなった。


 不安にさせてるのが、分かった。


 誠司の優しさに甘えて、ずっと気づかないフリをしてきた、自分のせいで。


 一年半前のあの日から、自分たちは、何一つ進むめていない。


 普通の恋人同士が、当たり前にすることを、誠司が求めていることを、ずっとずっと、気づかないふりをして避けてきた。


 でも──


(っ……もう、こんな顔させちゃ、ダメだよね)


 そう、思った。


 そして、振り向いてしまえば、きっとこの先に進むことになるのだろうと。


 でも、いくら好きだと言葉で伝えても、ダメな時がある。触れ合って埋まる、不安もある。


 好きだからこそ。

 大切な人だからこそ。

 これ以上、待たせちゃいけない。


 セイラは、そう言い聞かせると、一呼吸おいた後、ゆっくりと振り向き、誠司を見つめた。


 至近距離で視線が合わされば、今までにも、何度と目を合わせてきたはずなのに、自然と体温が上昇する。


「誠司」


 名前を呼べば、髪を弄んでいた誠司の手が、そっと頬に触れた。観覧車はゆっくりと進んで、もう直、頂上に到達しようとしていた。


 夕日に照らされる中、真剣な表情をした誠司が、セイラをまっすぐに見つめる。


 すると、一言一言、確かめるように、誠司は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「俺は、セイラのことが好きだ。この先もずっと。お前といると安心するし、居心地がいいって言うか……だから、この先もずっと、セイラと一緒にいたいと、俺は思ってる」


 ──嬉しい。


 その言葉に、心は満たされる。

 誠司も、同じ気持ちなんだって。


「うん……私も誠司と……ずっと一緒にいたい」


 恥じらいながらも囁けば、誠司が、ホッとしたように微笑んだ。


 すると、触れた頬から一旦手を離すと、誠司は、何かを決意したように、キュッと唇を噛み締め、またゆっくりと話しはじめる。


「セイラ……俺、お前の事、もっと知りたい」


「……」


「セイラは……どうしたい?」


 優しい目をして、そうたずねる誠司は、まだ逃げ道を与えてくれていた。


 強引に押し進めることはなく、こちらの気持ちを尊重してくれる。


 今までだって、ずっと、そうだった。無理に理由を聞くこともなく、ただ待ち続けてくれた。


 でも──

 

「誠、司…っ」


 緊張で声が震えた。でも、必死に名前を呼べば、セイラは、誠司の首にそっと腕を回した。


 まるで「大丈夫」と、その意思を伝えるように、ぎゅっと抱きつくと


「私も……知りたい……誠司の、こと」


「……っ」


 顔を真っ赤にして発したその言葉に、誠司の瞳がわずかに艶を含んだものに変わった気がした。


 すると、その瞬間


「じゃぁ…目、閉じて」


 キスを、されるのだと思った。


 そっと腰に腕を回され、抱き寄せられた身体は、更に深く重なって、それでも、怖がらせないよう優しく抱きしめる誠司の腕に安心して、セイラは、ゆっくりと瞳を閉じる。


 ──大丈夫。


 触れる感触も

 見つめる眼差しも

 この香りも


 すべて、あの頃と変わらない「誠司」のまま


 だから、もう


 何も、迷うことなんて──…


 


『後悔してる?』



「……ッ」


 だが、その瞬間、頭の中に声が響いた。


 あの日、自分をベッド組み敷いて、見下ろしながら言った、男の声。


「……っ」


 脳裏に過ぎった光景に、頭の中が真っ白になった。


 そして、同時に押し寄せたのは



 ───底知れない、罪悪感。



「セイラ……!」


「っ……!」


 瞬間、唇が触れる寸前、呼び戻すように誠司が呼びかけた。


 その声に、セイラが、ゆっくりと瞳を開くと、誠司は、とても心配そうに


「なんで、泣いてんの?」


「え?」


 その言葉に、セイラは、そっと自分の頬に触れる。

 すると、そこには、涙が伝っていて


「ぁ…ちが──」


 そして、それに気づいた瞬間、一気に顔が青ざめる。


 これじゃ、まるで、誠司を拒んでるみたい。


「ちがう! ちがうの…これは…っ!」


「……」


 必死に縋り付くセイラは、涙をこらえながら、誠司に訴えた。


「ごめん…っ、誠司。違うの……っ!」


「セイラ、やっぱり、あの時」


「違う、そうじゃない! だって、あれは、誠司が助けに来てくれたもの! そうじゃ……そうじゃない…の」


 違う、違う、違う。


 私が、迷っているのは

 

 私が先に進めずにいる『原因』は


 じゃない。



 誠司のせいじゃない!



 全部、全部、私のせい…っ




 あの日




『──後悔してる?』




 そう『あの人』に言われて


 私は「後悔してない」って答えたはずだった。



 でも、本当は



 ずっとずっと、後悔してたんだ。




 あの時──




『そう。なら、いいよ。じゃぁ、君の初めて──俺が貰うね』




 あの日、あの人から



から





 ──『色』を買ったこと。



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