第17錠 契約


「それでは、ありがとうございました」


 見晴みはらしの良いホテルの一室。そこは、サラリーマンがよく仕事で利用する、ビジネスホテルだった。


 簡素かんそなテーブルと椅子いす、小型のテレビに、シングルサイズのベッド、あとはシャワールームあるだけのいたってシンプルな部屋。


 そして、その中で接客を終えた彩葉いろはは、部屋の入口まで移動するて、朝、待ち合わせをしていた女性、近藤こんどう 千夏ちなつに声をかけた。


「帰りの道は、分かりますか?」


「はい、大丈夫です」


「では、またご利用になる際は、遠慮なくご連絡ください。まぁ、連絡は、全てメールでの対応になりますけが……あと、急な呼び出しには、お答えできない場合もありますので」


「はい。わかりました」


「では、お気を付けて」


 淡々たんたんと事務的な言葉を並べながら、扉を開くと、軽くエスコートしたのち、彩葉は、近藤を部屋から見送った。


 そして「お客様」が帰ると、彩葉は扉を閉め、深く息をつく。


(はぁ……やっと、終わった)


 気だるい身体を動かし、ベッド横のサイドテーブルの前に移動すると、その上に置いていたタブレットPCを手にとりながらベッドに腰掛け、その後、端末たんまつをオンにする。


 一通りの仕事が終わったら、上に報告をすることになっていた。


 彩葉は、慣れた手つきでカタカタとキーボードを打ち、客の情報を入力していく。


 ヴーヴー…!


「?」


 すると、その瞬間、内ポケットに入れていたスマホが、ブルブルと振動しだした。


 長めの振動に、電話が来たのだと分かると、彩葉はキーボードを打つ手を止め、変わりにスマホを手に取った。


「はい」


『よぉ、彩葉ー。どうよ、そっちの方は?』


 電話口で響いたのは、少し陽気ようきな男の声だった。


 彩葉は、その声を聞いて、たちまち顔を曇らせると、少しぶっきらぼうな言葉を返す。


「どうって?」


『お客さん、帰った?』


「あー…今、終わったとこ」


『そーか。なら、今から、もう一件頼むわ!』


「は?」


 だが、その言葉を聞いて、彩葉は不機嫌そうな言葉を放つ。


「ふざけんなよ、この前も言っただろ。親が再婚して引っ越すから、しばらく忙しいって!」


『あー、親父おやじさん、再婚するって言ってたな? でも、これでも、セーブしてやってるんだよ?』


「どこがだよ。放課後も土日も、ひっきりなしに連絡入れてくるくせに」


『仕方ねーじゃん! お前を指名する客が多いんだから』


「つーか、学校行って、客に会って、引っ越しの準備って、俺マジで休むひまないんだよ」


『あはは。なら、学校なんて、やめちまえよ! 進路なんて気にしなくても、このまま、ずっと、うちで働けばいいし!』


「……っ」


 うちで働けば──その言葉に、彩葉はぐっと息をつめた。心に黒いモヤがかかって、先の言葉が、なかなか出てこない。


 このまま、ずっと……?



「ねぇ、俺の借金…あと、どのくらい残ってんの?」


『………』


 小さく問いかければ、その言葉に、電話先の男が、一瞬だけ言葉を詰まらせる。


『あれれー? どうしたのー? 今までそんなこと聞いてきたことなかったのにー』


「俺は何度も聞いてるよ。でも、そっちが、はぐらかすんだろ」


『ちゃんと完済したら、教えてやるっていっただろ? とりあえず、今から客データ転送するから、ちゃんと確認しとけよ!』


 そういって、逃げるように電話を切られたあと、一分もしないうちに、客のデータが送られてきた。


 受信マークの着いたメールボックスをクリックし、送られてきたメールの内容を確認する。


 すると、そのメールには、顧客こきゃく情報の添付てんぷファイルと共に、先程の男からのメッセージがそえられていた。



 ────────────────────


 彩葉、ご指名だってー♪


 松田和彦様、33歳。男性。

 待ち合わせ時間は、18時希望。


 場所は、またメールで確認よろ!


 あと、新規のお客様だから

 サービスしてあげてね~( ^ω^ )


 山根


 P.S. 変わった性癖をお持ちとの情報あり。

 スタンガン忘れずに持ってけよ!


 ─────────────────────


 不愉快な文字の羅列られつと、年甲斐もなくあしらわれた顔文字に苛立つ。


(また新規? しかも、男かよ…っ)


 先程の近藤もそうだったが、新規の客は何かとめんどくさい。しかも、P.S.の内容が物騒ぶっそうすぎる。


「はぁ……っ」


 瞬間、彩葉はドサッと、ベッドの上に倒れ込むと、その後、タブレットPCをベッド上に放り投げた。


 気分が悪い。疲れた。

 なのに、また今夜も……?


「このまま、一生、飼い殺されそう…っ」


 先が見えない。

 いったい、いつまで、こんなことを続ければいいのだろう?


『お前さん、なかなかいい顔してるなー』


 すると、その瞬間、幼い日の光景が、脳裏に蘇った。


『これなら沢山、客を取れそうだ』


『ん……客?』


『あぁ、あと数年もすれば──』


『っ、痛い…っ』


『あはは、痛いか。よし、彩葉。お前さんの願い、俺が叶えてやろう』


『……願い?』


『あぁ…俺が、お前のを治してやろう』



 あの日、交わした、あの男との契約。


 それは、終わりの見えない悪魔との契約だった。



 いつまで、続ければいい?


 どれだけ「色」を売れば




 俺は……自由になれる?






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