すべて失った


クラーク元侯爵は……どこに行ったのかわかりません。

王都から乗合馬車で出たことは確認されていたようですが……

私財は押さえられておらず。

しかし、全部売り払って使用人たちに退職金も支払ったそうだ。


「あれは学生時代『孤高の狼』と呼ばれていた。彼の失敗は自分と周囲の差を知ろうとしなかったことにある。誰もが彼と同じ能力があり、指示しなくても自分の判断で動き、細かい指示をしなくても理解する。自分が異質なのだと……弟が亡くなったときに気付くべきだった」


さらに十年以上のときが過ぎた頃、元侯爵家の領地……今は王領地となった村で小さな学校を開く教師の噂が流れた。

そこはかつての領主の弟が七歳の幼さで生命を断った湖のあった近く。

ある年の初夏に領主がまだ幼き頃兄弟で遊びにきた。

兄は学園への入学直後で休み明けに試験があるため、勉強道具を持ってきていた。

そんな兄に遠慮して一人遊びに出た弟が夕方湖に浮いていた。


「ひとりで遊んでいた」


事故死、もしくは自殺として葬られた。

…………しかし、領主の息子と知って顔色を変えた者たちがいた。


のちに領主となったときに彼らを一人ずつ責任の重い仕事を与えて重圧も与えた。

重圧が領主の弟の死と関係があると気付いた一人から当時の告白を綴った手紙が届いた。


あの日、ひとりで近くの村に向かった弟を付け狙った者たちがいた。

ちょっとしたイタズラのつもりで船に乗せて湖の中央で置き去りにした。


「泳いで帰れる距離だった」


なぜ弟に護衛がつけられなかったのか。

理由は簡単だった。

のちに孤高の狼と呼ばれる自分に期待し、普通の少年だった弟を両親も使用人たちも蔑ろにしてきたのだ。

その結果、弟は殺された……自殺だったのかもしれない。


弟が買ったという品物はなぜか別荘の自分の机に届いていた。

薄い木に描かれた輝く湖と一本の木。

しおりとして購入されたのだろう。

それをいつもそばに置いて勉強を続けた。

無我夢中で勉強をし続けた。

弟の分も自分が勉強するために。


そして成人と同時に当主となった。

両親は領地に移り住み悠々自適の生活を送りはじめた。


一年後、弟の死を告白する手紙を手に隠居した両親に会いに行った。


「こちらの生活はいかがですか?」

「近くに湖もあり環境はいいね」

「程よい距離に村もありますもの」

「ここをそんな理由で選んだのですか?」


不思議そうな二人に手紙を見せた。

読み進めるに従って青ざめる顔色。


「ここは弟が最後に過ごした地。あなた方は謝罪のためにここに移り住んだと思いました」

「す、すぐにここをたつ」

「認めません」

「なにバカなことを」

「お分かりになりませんか? ここにいるのは全員あの当日にいた使用人たちです」


周囲を見て固まる両親の表情。


「あなた方の命令でこの湖に沈めた、そうですね。お二人にはここで死ぬまで住んでいただきます。彼らはあの日からここでをしてくれました。そしてこれからもお世話をお願いします」


では私は仕事がございますので王都に帰ります。

それだけ伝えて王都に帰った。

その年に二人で湖に船を浮かべて涼しんでいた姿が目撃された。

その日の夕方、船が転覆して二人が湖に《《沈んで》』いるのが発見された。

……風が吹いたのだろう。

あの日と同じく人為的な風が。

ただ、違ったのは弟のときは優しい風が吹いた。


「お兄様に勉強の間でも少し気分がリラックスできるように選んだんだ。木でできたものだから濡らしたくないの」

「わかりました。お預かりいたします」

「ゴメンね、ありがとう」


貴族の一人として覚悟はしていたのだろう。

船は泳いできた使用人に譲り、弟は自ら水底へ潜り、底にあった水草に足を縛った。

そして水面から覗く使用人に笑顔で手を振った……


貴族として遺された自分はすでに貴族を嫌っていた。

貴族の妻、息子たちを愛することはできない。

顧みることなく生きてきた。


そして……すべて失った。


そして辿り着いたのは弟が自らの未来を自分に託した場所。

湖の水が枯れ、いまは初夏にのみエメラルドグリーンの水をたたえる湖が現れる。

それはいまも兄を思い、疲れた兄を癒やしている。

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貴族のテコ入れは大切です アーエル @marine_air

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