第129話:王女様はお年頃

「あんな大きな調理場、はじめて見ましたよ!」


 興奮気味に話すマテ君。女官さんたちの案内で宮殿の厨房キッチンを見学させてもらい、戻ってきたところだ。


「パパ、パスタだけなら、すぐにでも作れそうです!」


 さっきまで途方に暮れてたけど、すこし元気になったみたいで、ひと安心。


 そういえば、歓迎会の日の食事、量も種類もすごかったし、次から次へと新しい料理が運ばれてきていた。あれだけ用意するには、キッチンもめちゃくちゃ広くないといけないんだろう。


 この宮殿って、ちょいちょいスケール感おかしいんだよね。


「あとは招待人数の問題だけ、か」


 ペト様が言うと、マテ君もうなずいた。ファレアさんからの返事は、まだない。


「心配してもしょうがないさ。ボクたちじゃどうにもできないし、結局、恥をかくのは摂政ファレアさんだろう?」


 ぽわが、いつもの調子で口をはさむ。


 ハナムラさんが翻訳すると、突然、女官さんの一人が口を開いた。みんなの視線が集まるなか、ハナムラさんが通訳する。


「お言葉ですが、ジョフロワ様」


 エフェネヴィクさんと一緒に私たちの家まで来てくれた一人だ。三人のなかで一番小柄な女官さん。今朝は、ずっとマテ君に同行していた。おっとりした印象だったけど、真剣な顔になると芯の強さを感じる。名前は……なんていったっけ?


「そのようなことになれば、料理人であるマッテオ様の名誉もそこなわれかねません」

「損うほど名誉があるなんて、うらやましい」


 自虐? 女官さんが、ほんの一瞬、眉をひそめる。


「ジョフロワ様は、高貴なお生まれとうかがいました。きっとなにか良い解決策をおもちなのではないでしょうか」


 えっと。生まれ、関係なくない? ぽわ男は、残念そうに首を横にふった。


「うーん、ボク、料理は食べるほうが専門でね。作るのは管轄外なんだよ」


 なんだ、その謎管轄。ぽわ男に向けられた女官さんの視線がまた険しくなる。こういういい加減な男、苦手そう。


「まずは、ファレア様のお返事を待ちましょう」


 エフェネヴィクさんがそう言って取りなすと、肩をすくめるぽわ男。その様子をなんとなく目で追っていたら、目が合ってしまった。ウィンクしながら近寄ってきて、小声でぼやく。


「いやぁ、おっかないねぇ。ユヴェイラちゃん」


 そうそう。名前、ユヴェイラさんだった。


 あれ? でも――ぽわ男が昨日、ずっとプールサイドで話してたのって、彼女じゃなかったっけ?


 突然、大きなノックの音がして、入口のドアが勢いよく開いた。


 それ、ノックする意味ないじゃん。


 入ってきた女官さんの様子で、相当慌てていることがわかる。エフェネヴィクさんのところに駆け寄り、ひと言だけ伝えると、まわりの女官さんたちまで顔色が変わった。


 なになに? なにが起こった?


「みなさま」


 緊張した声でエフェネヴィクさんが告げる(のをハナムラさんが訳す)。


「ファレア妃殿下が、こちらへお見えになります」


     ◇


 マテ君の表情が、完全に死んでいる。


 それもそのはず。


 マテ君の腰かけるソファーの前には、三十人ほどの女官さんがズラリと整列している。その真ん中に座る摂政のファレアさんは安定の無表情さで、まるで感情が読めない。圧迫面接でも始まりそうな雰囲気。


 ファレアさんには独特の存在感オーラがある。これが、威厳ってやつか。携帯式の(空中浮遊)椅子に座っているだけなのに、立派な玉座に腰かけているかのようだ。


「マッテオ殿」


 ファレアさんの声が響くと、マテ君は判決を待つ被告みたいに身体をこわばらせた。


「このたびは、すまなかった」

 

 へ?


「そなたらの都合も聞かずに準備を進めてしまい、さぞ当惑されたことと思う」


 ファレアさんは、そう言って椅子から立ち上がり、マテ君の手に自分の手を重ねた。謝罪のジェスチャーとか?


 でも、マテ君のほうは、なにを言われてるのか、頭に入ってきてない感じ。大きな丸い目を見開いたまま、固まっている。


「妃殿下」


 エフェネヴィクさんが口を開いた。


「では、五百名の招待は取り消されると?」


 ファレアさんはエフェネヴィクさんのほうに向き直り、静かにうなずく。


「幸い、正式な案内を出す前に止めることができた。エフェネヴィク、そなたにも礼を言わねばならない」

おそれ多いこと。しかし、礼であれば、どうぞジョフロワ様に」


 ぽわ男のほうを指すエフェネヴィクさんに、ファレアさんは不思議そうな顔をした。


「ジョフロワ様のご指摘がなければ、私も気づかずにいたことでしょう」


 説明を聞いてまた軽くうなずくと、ファレアさんはぽわ男に歩み寄り、マテ君にしたのと同じ、手を重ねる仕草を繰り返した。


「そなたにも苦労をかけた。すまない」


 ぽわ男は優雅にお辞儀を返す。


「お気遣いなく! まあ、『どれほど優れた御者ぎょしゃでも馬車を転倒させる』って言うしね。——あ、これ、訳さなくていいやつだから!」


 そう言い終わる前に、ハナムラさんはもう訳し終えていた。


「そなたの国の格言か? 面白いな」


 などと言いながら、ニコリともしないファレアさん。訳、間違ってない? やっぱり、この人、愛想のなさですっごく損してそう。


「それにしても、五百人って数字はどこから出てきたのかな?」


 普段のノリで、ぽわ男が尋ねる。いきなり聞きにくい話をブチこんでくるなあ。


 ファレアさんが怒るんじゃないかと一瞬ヒヤッとする。ま、怒っても、どのみち表情からはわからないか。


「いや、さしたる意味はない」


 しばらく考えてから、ファレアさんが答えた。


王女ミチャ殿下が主催される会だ。宮廷内外のお歴々を招き、しかるべき形で祝おうとしたまでのこと」

「それで、五百人?」


 思わず私も質問してしまう。


「申したとおりだ。五百という数にさしたる意味はない。宮殿での宴におおよそ必要な数ということ」


 なるほど、宮殿内パーティーのデフォルト値って感じか。


「ファレア妃殿下」


 今度は、ペト様が口を開いた。


「王女殿下がはじめて主催されるとおっしゃいましたね?」


 たしかに、言ったかも。ミチャ、まだ子供だしね。


「ああ、いかにも」


 そう答えるファレアさんの表情が、ほんのすこし明るくなった気がした。あ、いや。やっぱり気のせいか?


「年が改まれば、王女殿下もいよいよ成人される。先の一件がなければ、姉上の慰霊祭を主催されていたはずであった。だが……」


 え。


「『姉上』とおっしゃるのは、亡くなられた女王陛下のことでしょうか」

「そうだ。余にとって姉上は、亡き姉上のほかにおられない」


 え?


「亡き姉上から託された形見ともいうべき王女殿下が、ようやく成人される。はじめて催される会とあって、余も気がいていたようだ。そなたらには苦労をかけた。許されよ」


 えええ!! ミチャが……成人!? 来年!? いや、聞いてないし!!


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