第116話:「もう付き合っちゃえよ!」
「黙っていても食事が出てくる。これにまさる幸せはないね!」
ぽわ
今朝は、ミチャを入れた総勢九人で朝食。エフェネヴィクさんに、一日一回くらいはみんなで食事したいと伝えたら、早速手配してくれた。私たちの部屋の大きなテーブルなら、余裕で座れる。
ハナムラさんの姿はない。
「でも、世話になり続けるのって、どうなんだろう」
ぽわ男の言うことなんか聞き流せばいいのに、つい余計なことを口走ってしまう。
「私は、できれば自分で働いて生活できるようになりたいな」
ま、いうて私、バイトもしたことないけど。
「働くだって!?」
大げさに驚くぽわ男の顔を見て、スルーしなかったことを早くも後悔する。めんどくせー。
「カナ、働いて、金でも稼ぐ気かい?」
「ていうか、ほかになにがあります?」
「ジョフロワさんは、金なんて
ジャコちゃんが言うと、ぽわ男は大きくうなずいた。
「金なんかあったら、いつかなくなるんじゃないかって、気苦労が増えるだけさ。食客こそ理想の生き方だよ」
「ショッカク?」
「
アル様が説明してくれた。ぽわ男がまたうなずく。
「
「はぁ」
そんなことをドヤ顔で言われてもね。古人って、そんなふざけたこと言う人、ほんとうにいたの?
「それだけ、食客になるのは難しいということだね」
私があきれ気味なのを見て、話題を流そうとするペト様。ぽわ男が首を横に振る。
「ピエール君なら、造作ないさ。ええと、どこだかの
隣に座るジャコちゃんの動きが、ピタッと止まった。マテ君はカップを手にしたまま、激しく
「うーん、ボクとしたことが、あんな美女の名前を忘れるなんて!」
ぽわ男の隣でアル様が、できるだけ私に見えないよう、ぽわ男を
「イザベラ」
私の声が驚くほど冷たく響いた。
「なんだって?」
「イザベラ……デッラ・スカラ」
ペト様の視線が私に向けられるのを感じて、思わずうつむいてしまう。
「ああ、そうそう、イザベラ! カナ、よく知ってるね!」
上機嫌に言うぽわ男。そして、シーンと静まるテーブル。ただならぬ気配にやっと気づいたのか、ぽわ男まで黙ってしまった。
「オイシーカ!」
突然、ミチャが立ち上がり、大きな皿を私のところにもってくる。大急ぎでやって来た女官さんが、その皿をうやうやしく受けとった。
皿には、フルーツを散りばめたケーキが載っていた。
「カナ! オイシーカ!」
ミチャがもう一度そう言って、私にすすめる。「これ、おいしいよ」って言いたいのね。正直、それほど食欲わかないけど、ひと切れだけいただいた。
「ありがとう、ミチャ」
「カ、カナ! これも食べてみ! この味、めちゃヤバなんだけど!」
今度はフェリーチャが、別のデザートを食べさせようとする。
「あ、うん、ありがとう」
「ひょっとして、ボク……なんかまずいこと言った?」
ぽわ男が、アル様に小声で尋ねている。
「さあ、どうでしょう。ただ、ジョフロワさん、今朝はもう会話を控えていただくのが得策かと」
「え!! どうして!?」
「より深刻なダメージを避けるためです」
アル様の大真面目な説明がなんだかおかしくて、私は吹き出してしまった。ちょっとだけ、場がなごむ。
ぽわ男はともかく、みんな気づかってくれるのがわかるから、落ちこまずにすみそう。
◇
——と思ったんだけど。
甘かった。やっぱり、どうも気が晴れない。なんだろう、このモヤる気持ち……。
朝食を終えて帰っていくみんなをペト様が送り出している。その後ろ姿に見とれていたら、振り向くペト様と目が合ってしまった。
「カナ」
「あ、はい!」
いきなり名前を呼ばれて、びっくりする。
「今日の朝食も、おいしかったですね」
「そ、そうでしたね!」
なんでもない会話。でも、言葉が続かない。また思わずうつむいてしまう。
「あの……これは、聞かないほうがよいのかもしれませんが」
そう言いながら、ペト様は私の隣に腰を下ろした。
「イザベラ・デッラ・スカラとは、誰なのでしょう?」
ま、その質問になりますよね。
ペト様は、まだイザベラを知らない。私が召喚したのは、彼女と出会うよりずっと前のペト様だからだ。
他の『チェリ
「イザベラも、そう遠くない未来に私の……仲間になる人なのでしょうか?」
そう尋ねるペト様は、なぜか申し訳なさそうに私の目を見た。まるで、自分の罪が明かされるのを恐れる犯人みたいに。
でも、その淡いグレーの瞳を見つめていると、むしろ私のほうが取り調べを受ける犯人になった気がしてくる。実際、もうなにもかもお見通しなのかもしれない。
「はい。ペーターにとっても、イザベラにとっても、お互いを大切に思うような友人になるはずです」
「お互いを、大切に」
ペト様は、私の返事の一部を繰り返した。
「でも、彼女は貴族なのですよね? たしか
「はい……未亡人ですけど。ペーターが知り合うころには、ね」
それを聞いて、驚いたように私の顔を見つめるペト様。
「――なるほど」
ペト様とイザベラは、身分が違う。たとえイザベラが未亡人でも、十六世紀の社会で二人が結婚することはほぼ不可能だ。せいぜい愛人の関係になるほかない。
だから二人は、お互いの気持ちに気づいていても、いや、気づいているからこそ、相手への敬意からずっと「親しい友人」のままでいる。
そんな二人のもどかしい関係に胸をキュンキュンさせるのが、『チェリ占』ファンだ。新しい巻が出るたび、「もう付き合っちゃえよ!」みたいなポストがSNSにあふれる。
私がこの世界に転移したのは、ちょうど第八巻の発売日だった。もしあのまま日本にいたら、私も同じようなことをネットでつぶやいていたかもしれない。
「ごめんね。イザベラのこと、隠していたわけじゃないんだけど」
「いいえ。それは、カナが謝るようなことではないでしょう」
うん、まあ。それはそう……なんだけど。
「ただ」
ペト様が、優しく私の手をとりながら言う。
「未来を見るカナの能力を疑うわけではないんですが、正直に言うと、まったく想像できません。カナ以外の人を大切に思うようになる自分が」
私は無言でうなずいた。そうであってほしい。でも同時に、胸の奥をチクリと刺すような痛みが走る。
ああ、そうか。モヤモヤした気持ちの理由、わかっちゃった。
いつかペト様が、私よりもっとふさわしい(イザベラみたいな)
私は、イザベラのことも大好きなんだ。イザベラのこと嫌いな『チェリ』オタなんていない(異論は認めません)。
まるで親友の好きな人に抜けがけして
「カナ!」
ペト様の声でわれに返る。
「は、はい!」
「この音。スマホが鳴ってませんか?」
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