第115話:欲ばり
「あれ?」
ソファーで目が覚めた。いつの間にか、眠っていたらしい。
「起こしてしまいましたね」
「え、なにっ!?」
近っ! 目の前にペト様のお顔が!
「カゼをひくといけないので、毛布をかけたのですが……」
「へ?」
気がつくと、薄手の毛布が肩までかかっている。
「ああ……ありがとう」
お礼を言うと、ペト様は笑顔で首を振った。
「ごめんね。私、寝ちゃってた」
「慣れない街歩きで疲れたんでしょう」
耳もとに響くペト様のやわらかい声。
「そう、かな」
あまりの近さに、ふと腕を伸ばして抱き寄せたくなる。
「ペーターは? 疲れてないの?」
「疲れてはいないのですが、ただ」
「うん?」
「カナがあんまり気持ちよさそうに寝ているので、添い寝でもしようかと」
さすがにそれは!
一気に目が覚め、ソファーから起き上がる。
「おや。そんなに添い寝はイヤですか?」
「ペーター、それ、絶対わざと言ってるでしょ」
「フフ」
いや、フフじゃなくて。でも、ペト様がイタズラっぽく話すときの表情、ちょっとわかってきたかも。
こんな他愛もない会話がうれしい、カナ、十七歳。
そう。この世界に来るまでは、ペト様というキャラがいるだけで幸せだった。『チェリ
ペト様が突然姿を消したときも、無事でいてくれさえすればいいと思った。いや、すくなくともあのときは、本気でそう願っていた――はずなのに。
再会してからは、よくわからなくなる。
そばにいられたら幸せってだけじゃおさまらない。今日一緒なら明日も、明日一緒ならまた明後日も。その先もずっとずっと一緒に……なんて考えてしまう。
幸せって、欲ばりなんだな。
ペト様は、私の初恋にして、最愛の人。それはそのとおりなんだけど、ようやく今になって思う。
私、全然わかってなかった。
好きっていう気持ちが、こんなにままならないものだってこと。こんなに、怖いものだってこと。
◇
「これからしばらく、どうやって過ごしましょうね」
カップにお茶を注ぎながら、ペト様が尋ねる。私が寝ている間に、
「やっぱり、まずは家に帰りたいかな」
「またあの家に住めたら、いいのですが」
私は大きくうなずいた。温かいカップを両手でもったまま、思い浮かべる。ペト様、ミチャと三人で一緒に暮らした家。大増築したところとか、ゆっくり見てほしかった。もう住めないなんて、ツラすぎる。
「四日後って言ってましたっけ?」
「はい、そうでしたね」
エフェネヴィクさんの話だと、
どうしてそんなことわかるのかと思って尋ねてみたけど、説明を聞いてもあまりよくわからなかった。なんでも、ラスヴァシオはものすごくゆっくり自転しているから、星のどちら側が見えているかによって、攻撃されたり、しなかったりするんだとか。
家に帰るまでの四日間、ていうか、この先ずっと、どう暮らしていったらいいんだろう?
王宮は快適で、ここにいるかぎり、生活には困らない。湖底ならひとまず安全そうだし、エフェネヴィクさんたちはとってもよくしてくれる。街の雰囲気も、ときどき出かける分には悪くなさそうだ。
でも——ほんとうに、このままでいいのかなあ。
「正直、
ペト様がクスッと笑う。
「えっ! 私、またなんか変なこと言いました!?」
「あ、いえ! まったく!」
あわててお茶をこぼしそうになるペト様。
「ごめんなさい! 子どものころ、まったく同じことを言われていたので」
「そうなの?」
「はい」
どこでも似たような言い回しがあるのね。
「まあ、働けという人ほど、自分では働かないものですけど」
そう言って、軽く肩をすくめるペト様。
「カナは、やりたい仕事があるんですよね?」
「え?」
「え?」
「私にやりたい仕事って、ありましたっけ?」
「ほら、以前、絵を描く仕事のこと、話していたじゃないですか」
「ああ」
もちろん覚えている。ペト様が行方不明になる前の日だ。
「やりたい仕事っていうか、できたらいいなあっていう、淡い願望みたいなもんです。私なんて、全然ヘタだし……遅いし」
「思う存分、練習したらいいじゃないですか。せっかく時間だってたっぷり……」
そこまで言うと、ペト様はハッとなにかに気づいた顔で口をつぐんだ。
「そうなんですよ」
私は今、二つの理由で絵を描くことができない。まず、エフェネヴィクさんの忠告で、魔術を使わないよう言われていること。それから、もし絵を描くことになれば、それが実体化してしまうこと。
おはぎとかを描いてる分には問題ないけど、私が描きたいのはペト様とかペト様とかペト様だ。いくら大好きなペト様だって、むやみに分身を増やすわけにはいかない。
絵が描けない
「ペーターは?」
「私、ですか?」
「うん。なにかしたいことってあるの?」
「そうですね……うーん」
考えるそぶりでチラッと私の顔を見るペト様。あ、この表情!
「カナと一緒にいたい、っていう答えはダメですよ」
「アハハ! 先に言われてしまいましたね」
そんなの、私だって一緒にいたいに決まってるし!
もしこのまま日本に帰れなくなったら——高校も中退、なんの知識もスキルもない。絵すら描けなくなった私に、なにができるんだろう。
「まあ、まずは早くマセトヴォの言葉を覚えたいですね。いつまでも通訳に頼っているわけにはいきませんし」
「……ハナムラさんのこと?」
ペト様がうなずく。
「彼はまたきっと、なにごともなかったような顔で戻ってくるにちがいありません」
帰り道でペト様が教えてくれた。ハナムラさんの姿がまるで魔法のように消えるのを自分も見たことがある、と。
白い湖が二つに割れるのを最初に目撃したのは、マテ君だった。私も疑う気にはなれない。
「一体、なにが起きてるんだろう?」
「私にもわかりません。でも、この現象には、なにかしら意味があるはずです」
「そうだね」
不安そうな私の顔を見て、ペト様がそっと手を握ってくれた。
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