第114話:神隠し?

 早めの昼食後、マテ君の要望で、街の市場いちばに寄り道した。


 まだヤジウマさんたちがついてきているけど、すこしずつ減って今は十人くらい。もの珍しさに寄ってくる人もいれば、しばらく歩いて気が済んだら離れていく人もいる。マセトヴォ人、ヒマなのか(二回目)。


 市場には、小さな露店が並んでいた。でも、ほとんどはもう店じまいしたらしく、まだやっている店にはパラパラしか客がいない。護衛の警備兵に尋ねたところ、朝早く来ると買物客でいっぱいなんだとか。


 私とペト様は、店を見てまわるマテ君について歩いている。


 通訳ぬきで味見とか交渉したりしながら、果物やお菓子をどんどん買っていくマテ君。さすが、ペト様の助手として家事を切り盛りしているだけのことはある。バイタリティーってやつ?


「お金、足りるのかな」


 隣を歩くペト様に尋ねる。


「まあ、だいじょうぶでしょう」


 お金はエフェネヴィクさんが持たせてくれた。でも、どのくらいの金額なのかわからないし、物価だって見当がつかない。


「護衛つきの私たちが王宮から来ていることは一目瞭然です。市場いちばの品物が支払えないなんて、王族の体面にかかわりますからね」

「ああ、なるほど」


 六人の警備兵たちは白地に鮮やかな緑の制服を着ているから、すぐそれとわかる上に、みんな体格もいい。街中だとなおさら目立つ。


 あれ? そういえば……。気がつくと、近くに警備兵やヤジウマさんがいない。


 遠くにレオ様とフェリーチャ、私たちからすこし離れたところをジャコちゃん、アル様、ぽわとハナムラさんが歩いている。それぞれのグループに警備兵が三人ずつ。


 いや、配分、おかしいでしょ。


 どうやら私たち二人に新規のヤジウマさんが近づかないよう、ガードしてくれているらしい。ふと目が合ったアル様が、私に向かって右手の親指を立てる。なに、それ? ガンバレってか?


「どうかしました?」


 ペト様が声をかけてくれる。気づかうように差し出される左手。


「あ、ううん」


 私はできるだけなんでもないそぶりで、ペト様の手をとった。耳が赤くなってるの、自分でもわかる。


「こういう市場、日本にもあるんでしょうね?」


 ペト様が尋ねた。


「うーん……市場か」


 築地とか? あ、今は豊洲? テレビでしか観たことないな。うちの近くにあるのは、ショッピングセンターのスーパーとかコンビニばかり。


「家の近くに、こういう感じのはなかったかな」

「おや、意外ですね。日本にはなんでもあるのかと思っていました」


 そういえば、ペト様とは前もよくこんな話したな。


「ねえ、ペーター」


 歩きながら、ふとペト様の横顔を見上げる。


「はい?」

「ヴェネツィアに帰りたいって思うことある?」

「突然ですね」


 すこし意外そうにペト様が言った。


「ほら、一緒に日本に行けたらいいねとか、前に言ってたじゃないですか」

「ええ、よく覚えています」

「逆に、私がペーターとヴェネツィアに行ったらどうなるかなと思って」


 私なんかが『チェリせん』の世界に入ったら、チェリオタは怒るだろうけど。


「カナは、行きたいですか?」

「ペーターとなら、もちろん!」

「……そう、ですか。フフフ」

「え? 私、なんかおかしなこと言った?」

「いえ、全然!」


 よくわからないけど、楽しそうに微笑むペト様。


「笑ったりして、ごめんなさい。ええと、ヴェネツィアに帰りたいとは思わないんですが……」


 向こうで、マテ君が荷物と格闘している。手伝ったほうがいいかな?


「ひとりでいる間、故郷のことを思い出したんです。すっかり忘れていたのに」

「故郷って、ドイツのこと?」

「ええ。辺鄙へんぴな村ですけど」


 けっして幸福ではなかったペト様の子供時代。少年ペト様の非凡な才能に気づいた親族たちは、彼を利用しようとした。そんな親族の思惑を逆手にとって、ペト様は故郷を離れる——二度と帰らぬ決意を胸に秘めて。


「帰りたくなったの?」

「いえ? 別に」


 ちがうんかい。


「ただ、もう戻らないつもりでいた故郷のことをなぜだか思い出して、ふと考えたんです。帰るのも悪くはないのかなって」

「今なら?」

「はい。カナと一緒なら」

「へ?」


 見上げたペト様と目が合う。それってもしかして、親族とご対面、的な? 情景を想像して、耳から湯気が出そうになる。


「そ、そういうとこですよっ、ペーター!」

「ええ!?」


 まともに顔が見れない。荷物運びを手伝うふりして、マテ君のところに逃げていく。


 そうだった! こういうことをサラッと真顔で言えちゃう人だった!


「なにか怒らせるようなこと言いましたか?」

「怒ってないですっ!!」


 テレてるだけです!


 ああ、そっか。さっきペト様が笑ったの、「ペーターと一緒なら」って私が答えたからなんだな。言おうとしてたのと同じことを私が先に言ったから――


「おや、カナ?」


 両手いっぱいにして買い物を続けるマテ君に近づくと、驚いたように振り返る。


「荷物、なにか持つよ」

「ああ……ありがとう。じゃ、これ、お願いします。おいしいですよ!」


 手渡されたのは、ブドウに似たピンクの果物。袋にあふれるほど入っていた。一粒だけとって食べると、すこし酸味のある甘さが口のなかに広がる。


「カナ?」


 追いついたペト様に、名前も知らない果物を一粒差し出した。かすかにただよう花のような香り。


「どう? おいしいでしょ?」

「ええ、おいしいです!」

「選んだのは私なんですが……」


 釈然としない様子のマテ君の顔がなんだかおかしくて、二人して噴き出してしまう。私は自分からペト様の手をとった。


「私、ペーターと一緒なら、どこへでも行くよ」


     ◇


 私たちが味見をしているとみんなも集まってきて、結局、近くの公園で試食パーティーをすることになった。マテ君の解説つきだ。


「これはジルーというそうです。すこし酸っぱいけど、しっかり甘さもあります」


 そう言って、さっきのブドウに似たフルーツをみんなにすすめる。


 すげえ。買ったものの名前や特徴、頭に入ってるのか。


「こちらの袋はなんですか?」


 アル様が、小さな黒い袋を取り出して尋ねた。


「ああ、香辛料ですね。歓迎会で濃い緑色のスープがあったのを覚えてますか? たぶん、あれに入っていたものだと思うんですよね」


 うれしそうに説明するマテ君。なんかめっちゃイキイキしてる。そういえば、早くマセトヴォ料理を覚えたいって言ってたしな。この調子だと、ほんとうにマスターしちゃいそう。


「マッテオ君、通訳もなしでたいしたもんだね」


 ぽわ男が感心しながら言った。ハナムラさんは、お煎餅のようなお菓子を黙々と食べている。


「いえ! で、でも、知らない食材ばかりでワクワクします!」


 こういうところ、まじ見習いたい。


 あれこれしゃべっているうちに、日が暮れてきた。ていうか、空が白い湖水に覆われているせいで、太陽の位置はよくわからない。


「そろそろ帰りましょうか」


 ペト様が提案すると、みんなも腰をあげた。あれだけたくさんあった食べ物が、いつの間にかけっこう減っている。でも、警備兵たちはどれだけ勧めても一緒に食べないし、休憩もとろうとしなかった。


「ああ、あーし、もう夕飯いらねーわ」


 ちっちゃなお腹をさすりながら、フェリーチャが言う。


「私も食べすぎたかも。でも、おいしい料理出てきたら、また食べちゃうんだろうな」

「カナ。デブるよ!」


 八歳児の容赦ないツッコミ。


「そういえば、カナ……」


 ジャコちゃんが口を開いた瞬間——


「ウワアァッ!!」


 一番後ろを歩くマテ君の絶叫が、あたりに響きわたった。なにごとかと思って、みんなが一斉に振り向く。


「どした?」

「ハ、ハナ、ハナ……」


 買い物袋を放り出して、街路にペタンと尻もちついたまま、右手で虚空を指さすマテ君。


「花?」

「ハハ、ハナムラさんが消えたっ!」


 え?


 あたりを見まわす。たしかに、ハナムラさんはいない。


 マテ君の指先をたどると——通りに面した家の壁しかない。ほかの通りと交差する場所は、左右とも数十メートルは離れている。


 どういうこと? 神隠しってやつ?


 ペト様は私と目が合うと、困りましたねとでも言いたげな表情で、ただ首を振った。



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