第108話:平常運転ハナムラさん

「すこしうなされていましたね」


 そう言いながら、ペト様がすっと立ち上がる。窓のほうに歩いていくその後ろ姿を、私はぼんやりと目で追った。


「すこし、だけ?」


 カーテンが開けられ、まだぼうっとしている私をやわらかな光が包みこむ。


「ええ、そう、ですね……すこしだけ」


 答えに一瞬のがあった。ペト様、ウソつくの下手すぎて、かわいい。


「あ、けっこうヒドかったんですね」

「怖い夢でも見ましたか?」


 怖いといえば怖い夢だったのかも。ていうか、かなり意味不明だった。ユウトさんやナギちゃんまで出演していたっけ。


「怖かった気もするけど——」

「はい」

「ペーターの顔を見たら、忘れちゃいました!」

「それはよかった」


 うれしそうに微笑むペト様。


 ああ、朝起きたら、目の前にペト様がいるなんて! そっちのほうが夢みたい!


 昨日の夜は不覚にも寝入ってしまったけど、もうこの先、一人で目を覚ますことはないんだと思うと、悪夢くらいドンと来やがれって気になる。


 不意にペト様がクスッと笑った。ん、心読まれてます?


「どうしました?」

「ええと、なんと言ったらいいか――カナと一緒にいるだけで、こんなに気分が変わるんだって、あらためて思ったんです」

「気分が変わる?」

「ええ」


 ペト様は軽くうなずくと、窓のほうを指さした。


「ここにいると、太陽を直接見ることはほとんどありません」

「そうですね」


 私たちのいる湖底都市は、五百円玉星ラスヴァシオからの攻撃を防ぐため、湖水のバリアでカムフラージュしている。


「おかげで昨日までは、空を見上げるたびに憂鬱ゆううつになっていたのです。でも、カナと一緒だと、そんなこと気にならなくなります」


 もう、うれしいこと言ってくれちゃって! 思わずペト様に抱きつこうとすると、ノックの音がした。


 こんな朝からお客さん? ああ、朝食のお知らせかも。いや、そもそもまだ「朝」でいいのか? けっこう爆睡した気がする。


 ペト様がドアを開けると、エフェネヴィクさんの顔が見えた。うやうやしくお辞儀し、ペト様になにやら説明している。


 それにしても、片言とはいえ、こんな短期間で言葉を覚えちゃうんだから、すごい人だな。今さらだけど。


「朝食だそうです。入ってもらってかまいませんか?」

「え? ええ、もちろん」


 エフェネヴィクさんが合図すると、五人の女官さんが台車を押して部屋に入ってきた。これまた豪華な料理がたっぷり載っている。


 ああ、こっちが行くんじゃなくて、運んできてくれたのね。


「リプシウス様。おはようございます」


 聞き覚えのある声がする。顔を向けると、ハナムラさんが立っていた。あいさつを返すペト様を無視するかのように、私のほうへ近づいてくる。


「ああ、ハナムラさん。おはようご――」

「オキナ・カナエ様ですね?」

「えっ?」


 まるで初対面のような口ぶり。昨日会ったばかりなのに、覚えてない?


「そうですけど、昨日もでいいって……」

「かしこまりました、カナ様」


 昨日と同じ、なんだか表情のとぼしい顔。


「オウツクシイかたですね」

「はい!?」

「お美しい方だと申しました」

「いや、そうじゃなくて」


 口先だけのお世辞でも、もうすこしそれらしく言えるでしょ。もしかして、マセトヴォ流のジョークなのか?


「あ、あの! 私のこと、揶揄からかってます?」

「とんでもございません。本心より申し上げております」


 まあ、冗談言ってる顔には見えないけども!


「ああ、もう! いいですっ!!」


 朝っぱらから、人を馬鹿にするにもほどがある! せっかくペト様といられて、いい気分になっていたのに!


「朝食、いただきましょうか」


 用意のできたテーブル。ぷんすか言ってる私をなだめるように、ペト様が椅子を引いて私を座らせる。


 うん、美味しそうだ。カラフルなジュースが並んでいるのもうれしいな――などと感心していると、ハナムラさんの声が聞こえてきた。


「いただきます」


 姿は見えないけど、大きな家具の向こうにいるっぽい。私はムッとして、思わず席を立った。朝から人の部屋に押しかけてきて、なにノンキに朝食食べてんだよ!


「ちょっと、カナ!」


 あわててペト様が私を止めようとする。

 

「どういうこと、あれ!? 図々しい。昨日だって食べるだけ食べて、なにも言わずに帰っちゃうし!」

「私が、エフェネヴィク様にお願いしたのです」

「え、ペーターが? どして?」


 私を部屋の隅に招きよせると、ペト様は小声で話しはじめた。


「昨日のパーティーの後、ハナムラさんが突然いなくなったのを気にしていましたね?」

「ああ。うん」

「実は、あれが初めてではないのです。というより、彼はいつもまるで大地に飲みこまれたようにいきなり姿を消してしまうのですよ」

「え、そうなんですか?」


 真顔でペト様がうなずく。昨晩は気にとめていないように見えたけど、そうでもなかったのか。


「ただ、翌日には何事もなかったような顔で現われ、前日のことはすっかり忘れているらしいのです」

「どういうこと?」

「私にもわかりません。カナがやったように、私も『ペーター』と呼んでくれと何度か言ったのですが、次の日にはまた『リプシウス様』に逆戻りで」


 たしかに。ずっと「リプシウス様」って呼んでるな。


「てことは、ハナムラさん、私に対してだけじゃなくて、いつもあんな感じなんですね」

「はい、そういうことです」


 なんか釈然しゃくぜんとしないけど、悪意があるわけじゃないんだな。


「でも、ハナムラさんに、朝ご飯まで食べさせるのって……」

「昨日も話したとおりです。どういうわけか、彼はいつもお腹を空かせていて」

「うん、それは聞いたけど」

「今日は、ハナムラさんにお願いする通訳、長くなりそうですから」

「そうなの?」


 ふと目を向けると、エフェネヴィクさんたちは、ちょっと離れたところで待機している。食事を運びに来ただけじゃないってことか。


「昨日の晩、エフェネヴィクさんは話の続きがあると言ってましたよね」

「ああ、そういえば……」


 ごめんなさい。すっかり忘れてました。ファレアさんが帰るタイミングで、話が途中になったんだった。


「ミチャさんを残してお一人で来られたということは、込みいった話なのかもしれません。ことによると、ミチャさんにも聞かれたくないような」


 うーん、そんな話、異世界人の私たちにしますかねぇ。



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