第105話:懐かしい味
説明の途中で、エフェネヴィクさんが空を指さした。ハナムラさんも、一瞬つられるように上を見上げてから、通訳を続ける。
「たとえば、あそこに見える漁船は、みな王女殿下の力を借りて動いています」
「漁船?」
「たくさん出ているでしょう? 見えませんか?」
ていうか、なんで頭上に漁船がいるのよ? そんなわけ……あ、いや……いるわ。
外はすっかり暗くなり、地上から見上げる湖面は、曇った夜空のようだった。星は出ていないけど、そのかわり、ぽつりぽつりと小さな光がたくさん浮かんでいる。といっても、ゆっくりだから、よおく見ていないと動いているかどうかもわからない。
「天井に貼りついた虫みたいだね」
近くにいたジャコちゃんが、空を見上げながらつぶやく。なかなか言い得て妙だ。
うすく張りわたした湖の水。その水の板の下っ側にひっつくような感じで「漁船」が動いている——あれ?
「エフェネヴィクさん。ひょっとして、ああやって空が湖の水で
私の質問をハナムラさんが通訳すると、エフェネヴィクさんはうれしそうな顔でうなずいた。
「よくお気づきですね。ご明察のとおりです」
なるほどと思う一方、ミチャの力はどんだけ強いんだって、ちょっと恐ろしくなる。
「水の防壁を作るのも、漁船が空を飛ぶのも、すべて王女殿下のお力だということはわかりました。ただ、殿下が直接コントロールしているわけではないのですね?」
今度は、ペト様が質問した。
「そうですね」
すこし長くなりますがと前置きしながら、エフェネヴィクさんが説明を続ける。
ミチャは、同時にいくつもの物体を思いのままに操ることができるけど、マセトヴォじゅうの乗り物や機械を直接動かしているわけではない。それぞれの乗り物は、ちょうど帆船が風の力を利用して進むように、ミチャの放射するエネルギーのようなものを動力にしているという。
「殿下の行方がわからなくなったとき、国内は大きな混乱に
「備蓄? ミチャの力って、どこかに貯めておけるものなんですか?」
風力をイメージしていたら、なんか石油みたいな話になってきた。
「はい。この宮殿の地下にそのための空間がございます。明日にでもお目にかけましょう」
エフェネヴィクさんによると、この「力」の蓄えを絶やさないようにすることが、王族のつとめなのだという。
そもそもミチャが王都を離れたのも、王国内のほかの街(どれも湖底にあるらしい)の備蓄量が心もとなくなってきたためだという。エネルギーが底をつく前に、あちこち補充して回るってことか。
「ミチャが行くはずだった街は、その後だいじょうぶだったんですか?」
私の質問をハナムラさんが翻訳すると、エフェネヴィクさんはちょっと困ったような顔をした。
「ええ、問題はありませんでした。それについては、またあらためて……」
あれ? なんか、触れちゃいけない話題だったか?
「ともかくご説明したかったのは、王女殿下が長時間なにも召し上がらないと、殿下のお力も衰え、最後には消えてしまうということです」
「えっ!?」
ミチャは、隣のテーブルでフェリーチャとしゃべりながら、まだデザートを食べていた。あのモンスター級の食欲には、そんな秘密があったのか!
「私もはじめて事情を知ったときには驚いたのですが、ミチャさんの豪快な食べっぷりを思い出して、なるほどと思いました」
ビックリする私に、ペト様が言う。
「ただし、カナ様の魔法のことは」
ハナムラさんが通訳を続ける。
「ぜひご内密にしていただきたいのです」
ああ、そうそう。その話だった。
「ええと、はい。言うなとおっしゃるなら、誰にも話しません。そもそも私たち、マセトヴォの言葉、話せないですしね」
「ご理解いただき、感謝いたします。宮廷には、あの魔術のことを快く思わぬ者もおりますので……」
「快く思わない人?」
エフェネヴィクさんが口を開こうとした瞬間、近くにいた女官さんたちが一斉に動き出す。ひざまずく彼女たちの前に現われたのは、
みんなが一歩下がってできた通り路を、これ見よがしにゆっくりと歩くファレアさん。その後を、お付きの女官たちが総勢三十人ほど通ってゆく。
そのままお帰りかと思いきや、不意に立ち止まると、ファレアさんはミチャを呼びつけるような身ぶりをした。
やっぱり私たちには、まったく目もくれない。
ミチャはファレアさんの前にひざまずき、ファレアさんがなにか言うのをじっと聞いている。そうしてようやく、ご一行様は歓迎式の会場を後にした。
「んだよ、あれ? 超感じワル」
気がつくと、フェリーチャが隣に来ている。ほんそれな。
エフェネヴィクさんはもう一度、私たちのところまで来ると、小声でなにか言った。
通訳してもらおうと見まわしたけど、ハナムラさんがいない。
「明日またお話されたいそうです」
かわりにペト様が訳してくれた。
「わかりました!」
ほかの客たちも、すこしずつ帰りはじめている。私たちもそろそろ部屋に戻ろうかと話していると、ミチャが私の名前を呼んだ。
「ん? どうしたの?」
手にもった小皿を差し出しながら、「オイシーカー」とひと言。美味しそうなケーキがひと切れのっていた。まるでファレアさんの傲慢な態度のお詫びか、機嫌なおしにデザートをすすめているような感じ。
もういっぱい食べたから、お腹は空いてないけど、私の好きなシナモンのような香りが悩ましい。せっかくだから、いただいておくか。
「ありがとう、ミチャ」
「ドーモイタチマシ!」
ひと口食べてみる。
「あ!」
「どうしました?」
ペト様が尋ねる。この味、どこかで食べたことがある気がした。なんだろう?
もうひと口、ゆっくり味わっていると、ある情景が記憶によみがえってきた。高い木の枝を伝って駆けていくリスのような小動物——。
この世界に来た最初の日、決死の覚悟で食べたあの木の実だ。アーモンドに似た風味。ケーキとかに入れて焼いたら美味しそうって思ったけど、ほんとうに美味しい。ちょっぴり懐かしいな。
不思議そうな顔をするペト様。
「また後で話すね!」
なんだかうれしくて、思わず顔がほころんでしまう。
「おじさま、おじさま!」
私がケーキを食べ終わると、フェリーチャが楽しそうにレオ様を呼んだ。
「今日、ミチャと一緒に寝てもいいかしら?」
ミチャとエフェネヴィクさんたちも、レオ様の答えを待っている。
「くれぐれもミチャ殿に失礼のないように」
「もちろんですわ!」
ああ、そうだ。
空を見上げると、まだそこかしこに「漁船」が浮かんでいる。
「ねえ、レオンハルトが前に見たのって、あれだったんじゃない?」
湖水の下側をゆっくりと進む船影。湖の上から眺めたら、ちょうど「木の葉の裏側を這う虫」のように映るにちがいなかった。
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