第99話:私としたことが!

 絵に描いたものが実体化する――それが、この世界で私に与えられた能力だった。


 線画だけで思いどおりの色になるし、乗り物の内部とか直接描いてないディテールまで立派に再現される。そのうえ、出現位置の指定もできちゃうとか、実は相当チートな能力なのかもしれない。


 ただ、よく考えずに描いてしまうと、その適当さが大きなアダになることもある。


 そう、私がペト様を召喚したのは、時系列でいうと『チェリゴの占星医術師イアトロマテマティクス』第一巻の終わりあたり。占星医術師としての活動をはじめる数年前だ。つまり、ペト様はまだ、今ここにいる仲間の多くと出会ってすらいない。


 そんなこと、最初からわかっていたはずなんだけど、みんなが直接出会ったらどうなるか、今の今まで考えてなかった。


 まったく、私としたことが! いったい何年『チェリせん』オタやってるんだよ!


     ◇


「ごきげんよう、先生ドットーレ! お久しぶりですわね」


 レオ様の肩車に乗ったまま、フェリーチャがやって来た。「先生」と呼びかけられ、ペト様が一瞬表情を曇らせる。そして、私に短い目くばせをした。


 ん? なんだろう?


「ペーター殿、ご息災でなにより!」

「おやおや! まさかこんなところで、お二人に再会できるとは!」


 レオ様の手をとり、そこまで言いかけたペト様が、私に向かってニッコリ微笑む。


 あ、ひょっとして?


「ペーター、フェリーチャにはだいぶ会ってないでしょう。レオンハルトさんのご養女なんだけど、覚えてるかな?」


 私は、二人の名前をゆっくり、ハッキリと発音した。ペト様が、うれしそうに何度もうなずく。どうやら正解だったらしい。


「忘れたりするものですか! ただ、リーチャさんが一段と可愛らしくなっておられて、驚きましたよ」


 おお、すごい! ペト様がペト様を演じている?

 

「もう、先生ったら、お上手なんだから!」


 見たこともないくらい、顔を真っ赤にして照れるフェリーチャ。


 わかる、わかるよ。たとえ100パーお世辞だとわかってても、ペト様に面と向かってこんなこと言われたら、そうなるよね。


 レオ様もフェリーチャも、ペト様にとってはなことに気づいていない様子。では、また後ほどゆっくり、などと言い残して戻っていった。


 その様子を見送りながら、ペト様はじっと考えこんでいる。


 困った……。この状況、なんて説明しよう?


 私たちを乗せたドデカ山車だしは、すこしずつ宮殿のほうへと進んでいる。ミチャは、沿道の市民たちの声に手を振ってこたえているみたいだ。


「カナ」


 ペト様が口を開いた。


「私は、記憶をなくしているんでしょうか? フェリーチャもレオンハルトも、まったく見覚えがない。そういえば、この世界に来た前後の記憶も、どことなくあいまいだったような……」


 もちろん、そうじゃない。ああ、ペト様を不安にさせちゃうなんて。


「えっと……ペーター、ちがうの」


 そう言いかけてはみたものの、うまい理由が見つからない。


「実はね……」

「はい」


 私の目をまっすぐに見つめるペト様。すこし不安そうな表情のまま、私の言葉を待っている。


「驚かないで聞いてほしいんだけど」

「そうやって前置きをされると、聞くのが怖くなりますね」


 ああ、すいません。


「私ね、ちょっとだけ、未来のことが見えるの」


 ちょっと、なにを言ってるんだ、私!?


「未来? ああ、それで私がこの街にいることもわかったんですか?」

「うーん、それはわからなかった。言ったでしょ? ちょっとだけなの。ほんとうに限られたことしか見えないから」

「なるほど。それで、未来が見えることとあの人たちとは、どういう関係が?」

「つまり、あの人たちは……」


 そう言いかけて、私は「あの人たち」のほうを見た。山車の上から、楽しそうに街の様子を眺めている。


「そう遠くない未来に、ペーターの仲間になる人たち」

「仲間? 私の?」


 私は、ゆっくりうなずいた。そう、ウソはついてない。


「ごめんね。隠すつもりはなかったんだけど」

「カナがあやまることではないでしょう。ただ、やっぱり驚かないわけにはいきませんね」

「まあ、こんなたくさん、一度に紹介されてもね」

「いえ、そのことではなくて」


 すっかり明るい表情に戻ったペト様は、すこし面白がっているように見える。


「最初に出会ったあの日から、カナには驚かされてばかりです」

「ああ、そういうこと」

「でも、どう思いますか」

「?」


 ペト様は、すぐに話をもとに戻した。


「レオンハルトたちには、面識がないことを隠したまま、あいさつしてしまいましたね。このまま、みんなには黙っておくほうがよいでしょうか?」


 正直、どっちがいいのかわからない。でも、みんながペト様みたいにすんなり納得してくれるとも思えなかった。みんなで苦労して探したペト様が、実は自分たちのことを知らなかったなんて――


「たぶん、黙っておいたほうがいいんだと思います」


 そう言いながら、心の奥がチクリと痛む。


「うん、そうしておきましょう。ええと……グアルティエーリさんは、ヴェネツィアで小さな商館を経営しているのですよね?」

「はい。ジャコモは将来、仕事の上で大事なパートナーになるはず」

「……ほう」


 こうして私は、『チェリ占』の主人公に、主要キャラを一人ずつ詳しく紹介するという奇妙な役割を演じることになった。


 ペト様は、私のつたない説明に質問を挟みながら、持ち前のすばらしい記憶力で、未来の仲間たちとの関係をインプットしていく。ひと段落したところで、ペト様がフウッとため息をついた。


「疲れたでしょ?」

「いいえ。カナのほうこそ、細かいことまで話してくれて、大変でしたね」


 まあ、推しの世界のことですから!


「それにしても、私がヴェネツィアで医者になるだなんて……」

「予想もつかなかった?」

「一度は完全に捨てた道ですからね」


 そう言いながら、ペト様が山車の進む先に目をやる。もう宮殿はすぐそこだ。


「ただ、私が将来、ヴェネツィアに戻るということは」

「はい」


 不意に、ペト様は私の手をつかんだ。


「カナも一緒に来てくれる、ということですよね?」

「え?」


 答ははっきりしている。どれだけ行きたくても、それはできない。私の見ているペト様の未来、『チェリゴの占星医術師』の世界に、奥菜おきな香南絵かなえなんてキャラはいないのだから。



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