第93話:こんなところにいたのかよ

「こっこここ……!」


 モニターを指さしたまま、興奮で言葉が出てこないマテ君。


 号機に乗り一人でパトロールした日、マテ君は二つに割れた白い湖を見たと言っていた。疑っていたわけじゃないけど、信じられたわけでもない。まさか、ほんとうにだったとは。


「あの日、を見たんだね」


 私が尋ねると、マテ君は激しく縦に首を振った。そりゃまぁ、驚くよね、こんなの見たら。


 私たちの位置からは、湖がほぼ左右対称に分かれているように見える。切り立った断崖のような水の壁。たぶん、ちょっとした高層ビルくらいの高さだ。左の水壁から右の水壁までの距離も、余裕で数キロメートルありそう。


 でも、ただでさえ信じがたいこの光景は、湖のにあるもののせいで、いっそう現実離れして見えた。そこには、まるで水の城壁に囲まれるかのように、整然とした区画の街並みが広がっている。


「異世界人たちの街?」


 モニターを見つめたまま、ジャコちゃんがつぶやいた。


「っぽいね」


 ぽわが短く答える。


 五百円玉星の異様な建造物よりは、こっちのほうがずっと地球の街に近い。でも、いつもは湖水が空を覆っているんだろうか。


 モニターで見ている間にも、おびただしい数の「空飛ぶ船」が、あらゆる方向に飛び出したり、もどってきたりしている。


 こんなにたくさんの船が飛んでいるなら、日ごろから見かけていてもよさそうなものなのに、今まで遭遇したことは数えるほどしかない。気づいてなかっただけ?


「カナ、どうします?」


 ちょっと冷静さを取り戻したマテ君。こちらをまっすぐ見つめて、私の判断を待っている。「貴族の館」号は、もうまもなく湖の上空に出るはずだ。


 このまま進んで湖底の都市を調査するのか、それともアル様たちのもとへ帰るのか? ほとんど考えるまでもなかった。


「ミチャたちのこと、気がかりだし……。帰りましょう」


 アル様はまだ船を操縦できないので、避難するにはミチャたちを連れて歩いて逃げるしかない。それはムリだ。


「はい。私も、それがいいと思います」


 マテ君が、安心した表情を浮かべる。ジャコちゃんとぽわ男も賛成してくれた。


 光学迷彩のおかげか、異世界人たちがこちらに気づいた様子はまだない。次に湖の底が姿をあらわすのは、いつになるかわからないから、今のうちに偵察しておきたいのは、やまやまだけど――


「アルフォンソさん、聞こえますか?」


 ジャコちゃんが、通信装置に向かって呼びかける。しばらく待っても、応答はなかった。


「アルフォンソさん?」


 私も声をかけてみたけど、近くにいないのか、返事がない。


「心配ですね。急ぎましょう」


 そう言いながら、マテ君は大きく左に針路を変えた。船外スクリーンいっぱいに、この不思議な街のパノラマが、すこしずつ視角を変えながら映し出される。


 せめてこの映像だけでも記録しておこう。私はパネル上で録画の操作をしながら、スクリーンを眺めた。


 街の規模は相当なものだけど、大小さまざまな建物のほかに、広い街路や公園らしいものも見える。日本の街よりずっと広々とした感じだ。でも普段は、空が湖水にふさがれているせいで、圧迫感がすごいのかもしれない。


 映像を拡大すると、地上を走る乗り物や人影らしきものまで見える。


「こんなところにいたのかよ、異世界人」


 私は思わずつぶやいた。


 ちょうど湖底の真ん中あたり、ひときわ立派な、淡い象牙色の建物が目にとまる。ほかの建物とはデザインや大きさがまったくちがっていて、宮殿とか政府機関とか、そういう感じ。


 周囲の様子も、ここだけちょっと浮いている。一方の側には、建物を中心にして放射状に伸びる五本の道路。反対側は、建物より何倍も大きい広場になっていた。立入禁止にでもなっているのか、ここには人影もない。


 、なんだろう?


「ちょっと」


 あの色……まさか。


「ちょっと待って」


 操縦するマテ君が、私のほうを振り返る。


「カナ、なにか言いましたか?」


 私は、ゆっくりとうなずくことしかできなかった。マテ君に答えるというより、まるで自分の疑問に答えるみたいに。


 次の言葉を発するより前に、操縦席のパネルから通知音が鳴った。


「みみみ、見てください! レオナルドさんからですよ!」


 さっきと同じ、GLBα5から接続許可を求めるメッセージだ。マテ君がすぐ画面の「OK」にタッチした。


 レオ様の顔が画面に映る。よかった、無事だ。安心する気持ちと裏腹に、心のなかには別の不安が湧き上がってくる。


「こちら、レオンハルト。聞こえているか?」

「レオナルドさん!」


 マテ君たちが、大喜びで叫んだ。


「心配をかけて、すまなかった。もうだいじょうぶだ」

「勝手に通信を遮断して、もうしわけありません。パイロットの安全を最優先いたしました」


 α5も謝罪する。


「安心しましたよ、レオナルドさん。今、どこに?」


 ジャコちゃんが尋ねる。


「非常に遠くまで来ている。帰還するのに、しばらく時間がかかりそうだ。そちらの状況は?」


 さっきの様子とはうって変わって、レオ様の目に普段の鋭さが戻っていた。マテ君は、白い湖のことや、アル様たちに危険が迫っていることを説明してくれている。


 ふと気づくと、また胸ポケットのスマホが振動していた。いや、たぶんずっと振動していたんだろう。また新しい着信通知だった。お母さんからだ。


「――ですよね、カナ?」


 マテ君がなにか言っているみたい。ああ、ゴメンね。ぜんぜん聞いてなかった。


「どうかしたの、カナ?」


 今度は、ぽわ男が心配そうに尋ねる。答えようとして、声が詰まった。私の手はバカみたいに震えていて、スマホが手から滑り落ちそうになる。


「……引き返して、ほしいの」

「引き返す? どこにさ?」

「白い……湖」

「白い湖? どうして?」


 マテ君、ぽわ男、ジャコちゃんが、いぶかしげな顔で私を見た。


「いるの、あそこに……ペーターが!」




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