第81話:手はじめ

 アル様はペンをとって、メモ用紙にササっとなにかを書きつけている。なにを書いたのかと思っていると、今度はジャコちゃんを指さしながら、ミチャに尋ねた。


「ウ・ストゥーフナ? ?」


 え? なになに、どういうこと!?


「ガーイ! ウ・ジャコモー!」


 一瞬だけ不思議そうな顔をしたけど、ミチャが即座に反応する。


「ウ・ジャコモー?」

「ウー!」


 ちょ、ちょっと待って! 読者を置き去りにしちゃダメ!


「あの、アルフォンソさん。もしかしてこれ、ミチャとしてるの?」

「であるとよいな、と思っているのですが」


 そう言いながら、アル様は、またメモをとっている。


 こんな調子で、アル様がワンフレーズの質問をすると、ミチャが答える、というやり取りがしばらく続いた。ひさしぶりに自分の言葉で話すせいか、ミチャもうれしそうだ。


 マテ君もジャコちゃんも私も、わけがわからず、ただ傍観していた。


「手はじめとしては、まあ、こんなものでしょうかね」


 十個くらいのフレーズが並んだメモ用紙を見返しながら、アル様が言う。


「アルフォンソさん、どっどど、どうして、ミミミ、ミチャさんの言うことが、わかるんですか!?」


 さっぱり訳がわからない様子のマテ君が、尋ねた。はい、先生! 私も知りたいです!


 ミチャはまだ、謎の彫刻をめずらしそうに眺めている。アル様は、その「作品」のほうを指さして、マテ君に聞き返した。


「マッテオさんは、を見て、どう思いました?」

「どうって……これはいったいなんだろう、としか――」

「まさにそれです!」

「?」


 アル様が、いたずらっぽく微笑む。


「ミチャさんも、まったく同じ疑問をもったでしょうね」


 いや、それじゃ答えになら――


 あ! ああ、


 私より先にジャコちゃんが口を開く。


「ミチャから『これはなに?』という質問を引き出すのが目的だったと?」

「ご名答」


 マテ君は、まだ首をかしげている。


「だから、わざとジャコモを指さして、『カナか?』って尋ねたのね」

「はい。おそらくミチャさんの答えは『ちがう』だったはず」

「なっなな、なるほど!」


 の像を彫ったのは、そういう理由だったのか。


「私たち宣教師が、まったく見知らぬ土地に行ったとします。もちろん、現地の人々とは、おたがい言葉も通じません」


 アル様は、ミチャのほうに目を向けながら、説明した。


「そのとき、最も頼りになるのは、でしょう」

「子ども? どうして?」

「どんな国へ行っても、子どもは好奇心が旺盛で、見慣れないものにも興味を示します。大人とくらべて、よそ者への警戒心もうすい。だから、異国の宣教師にも、すぐ『これはなに?』と尋ねてくれそうじゃないですか」

「すすす、すごいです! アルフォンソさん!」


 感激したマテ君が叫ぶ。


「ぜひ、わわ、私も、ミチャさんに、なにか尋ねてみたいです!」

「ふむ。それはいい案ですね。どんな質問をしてもらいましょうか」


 その瞬間、ある光景が、ふと頭のなかをよぎった。あの晩、浴衣を着て、三人で一緒に花火をした――


 ポケットから急いでスマホを取り出し、写真のフォルダを開く。


 あった。この写真だ。私は、そのままスマホの画面を三人に見せた。 


「テオ、これをミチャに見せてくれないかな?」


 マテ君は、そこに写る人の姿を見て驚愕した。


「こここ、これは!?」

「いいから!! お願い!」


 アル様は、マテ君にメモ用紙を見せながら、何度か小声で練習させている。


「はい。それで通じるはずです」


 ゴーサインをもらったマテ君は、スマホを手にもってミチャに近づいた。


「ミ……ミミ、ミチャさん! ウ、ウ……ウ・ストゥーフナ?」


 振り向いたミチャが画面に写るを目にすると、うれしそうな声で叫ぶ。


「ペーター!!」


 その名前を聞いたとたん、私の目から涙があふれ出した。そのままミチャに駆けよると思わず抱きついた。


「そうだよね、ミチャ! ペーター、だよね!! ありがどぅ! あでぃがどぅ、ミヂャァア!!」


 ワンワン泣き出した私。みんなはちょっと戸惑いながらも、静かに見守ってくれている。ジャコちゃんなんか、もらい泣きしているみたいだ。


「カナー!」


 そう答えながらミチャも、その華奢な腕で、私をぎゅっと抱きしめてくれた。


     ◇


「これは、ほんとうに面白い」


 スマホの写真一覧をスクロールしては、ときどき拡大して眺めるアル様。


 私たちはテーブルに座っている。私がちょっと落ち着きを取り戻すと、マテ君がすぐ温かいお茶をいれてくれた。


「あんまりじっくり見ないでくださいよ! 恥ずかしいから」


 浴衣姿のペト様の隣で、デレすぎて液状化した私の顔が、どアップになっている。


「見たままの情景をそのまま写しとるなんて、すごい技術だね」


 隣に立っているジャコちゃんも、感心して写真に見入っていた。みんなを召喚する前のもので、ほんの数日前のことだけど、もうずっと前のような気がする。


「これは、なんですか?」


 アル様が、一枚の写真に目をとめた。一部が焼け焦げて無残な姿になった「旧居」だ。弐号機で様子を見にいったとき、撮影していたことを、自分でもすっかり忘れていた。


「ああ、それは……私たちが最初に住んでいた家です」

「最初に?」

「はい。その家の近くで敵の攻撃を受けたことがあって。危ないかもしれないって、ペー……リプシウスさんの提案で、今の家に引っ越してきたんです」

「あの……。カナさん」

「?」

「いちいち『リプシウスさん』って言いなおさなくていいですよ」


 そこかい。


「でも、みなさんの前で『ペーター』って呼ぶの、なんかちょっと恥ずかしくて……」

「あれだけ号泣した後で、いまさら……」

「はいはいはい! わかりましたよ!」


 旧居の写真を見つめていたジャコちゃんが、口を開く。


「今これ、どうなってるんだろう?」

「さあ……。その写真を撮ったのが最後だったから」


 ペト様と暮らしはじめた家。なつかしいような気持ちと、焼け跡になった光景を見たときの恐ろしさが、脳裏によみがえってきた。


「ウ・ストゥーフナ?」


 マテ君が写真を指さしながら、またミチャに尋ねる。さっきの質問がうまくいったので面白くなったのか。


「……ヴェトゥ」


 ミチャはまじめな顔で答えた。すぐにアル様がメモをとる。


「マッテオさん。ミチャさんの答えを記録しておきたいので、質問するときは、あらかじめおっしゃってくださいね」

「すっすす、すいません!!」

「いえ、だいじょうぶです」


 マテ君は恐縮してしまった。


「今のは、なんと答えたんでしょうね?」


 私も気になって尋ねてみる。


「さあ……。たとえば、『家』という意味かもしれません。でも、この絵だけだと、ほかの可能性も排除できませんね。『火事』とか『焼け跡』とか」


 なるほど、質問の出し方も、いろいろむずかしいんだな。




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