第67話:「ニ・ホン・ゴ?」

 部屋には、私一人。PCだけが、かすかに音を立てていた。


 テーブルに伏せてあったスマホを見る。やっぱり、電波は来てない。ナギちゃんと最後に話したの、何日前だっけ?


 ナギちゃんのアイディアではじまった『チェリせん』キャラ・ハーレム(?)化計画も、アル様を召喚したら、完了だ。まあ、「ハーレム」なんて呼んだのもナギちゃんで、実際は、ちっともハーレムっぽくなかった。


 でも、ペト様がいなくなった後、ミチャと二人っきりだったら、不安で押しつぶされてたにちがいない。みんなには、どれだけ励まされたことか。


 ――なんてことを考えながら、みんなが寝静まった真夜中に、アル様の絵を描いている。


 ある朝、突然姿を消したペト様。私たち二人を救うため、になってくれたけど、その後の消息は、さっぱりわからない。捕まったんだとしたら、誰に? なぜ? そして、今どこに?


 この星で続いているらしい戦争が、ペト様の失踪とどうかかわっているのかも、謎のままだ。かかわりは、ありそうな気もするし、まったくない気もする。


 どっちにしても、この世界のもともとの住人で私たちが知っているのは、ミチャだけ。生まれも育ちもわからないけど、戦っている勢力のどれかとは、かかわりがあるんだろう。だから、ミチャのことがわかれば、誰と誰が、なにをめぐって戦っているのか、見えてくるかもしれない……。


 いろいろ考えごとをしているうちに、気がつくと、画面の絵はほぼ出来上がっていた。


     ◇


 私は、静かにドアをノックした。


 返事が聞こえたけど、なんと言ったのかはよくわからない。


「入ってもよろしいですか?」


 やはり、返事の言葉が聞きとれない。どうしたものかと迷っていると、コツコツと早足に近づいてくる音がして、ドアがちょっとだけ開いた。

 

 部屋のなかはうす暗くて、ほとんど相手のシルエットしかわからない。部屋の主が、今度ははっきりした声で、なにか言った。でも、言っている意味がわからない。え? それ、何語ですか? なんとなくスペイン語っぽいけど……。


「あ、あの……なかに、入れてもらっても、いいですか?」


 聞きとりやすいように、ゆっくり話す。相手は、たっぷり三秒ほど考えてからドアを開き、「入れ」と身ぶりで合図した。


 ていうか、言葉、通じないのか? 今まで召喚した人は、みんな最初から日本語できたのに。


 私が部屋のなかに入ると、数歩離れたところから、様子をうかがっている。ああ、メッチャ警戒されてるぞ……。


「アルフォンソ・デ・トレドさん、ですよね?」


 アル様は、私から目をそらさずに、ゆっくりとうなずいた。そして、近くのソファに座るようすすめる。


「あ、ありがとうございます。グ、グラシアス!」


 スペイン語、これくらいしか知らない。でもこれ、スペイン語で合ってる?


「デ・ナダ」


 お、通じた?


 アル様は、部屋の奥にあった小さな椅子に腰をかけた。数メートル離れて、向かい合う形になる。気まずいなあ。


 と思うが早いか、アル様は、ものすごい勢いでしゃべりはじめる。ああ、これ、やっぱりスペイン語だ。


「ちょ、ちょっと!」


 私は、アル様の言葉をさえぎった。


「ゴメンナサイ! スペイン語、一言もわかりません! 日本語、わかりませんか?」


 アル様は、驚いた顔をして黙った。どうしよう! やっぱり日本語、通じないのか?


「ニ・ホン・ゴ?」


 イントネーションがどこかおかしくて、さっきまで話してたスペイン語に比べて、急にかわいらしい口調になる。


「そう、日本語。わかります?」


 ふたたび短い沈黙。ああ、通じない。どうしよう? 誰かに通訳を頼むしかないか。レオ様、まだ起きてるかな? それでもダメなら、ぽわ男か。できれば、ヤツには頼みたくないけど……。


「……いえ、わかります」


 わかるんかーい!!


 ――なんて、ツッコミ入れてる場合じゃない。


「よかったあ! てっきり言葉が通じないんじゃないかって」

「これは、日本語……なのですか?」


 キツネにでもつままれたような顔で、アル様は言った。


「ハビエル師がすでに宣教に訪れているとは聞いていたが……。いや、それはともかく、なぜわたくしが日本の言葉を?」

「ええと、あのう……」

「ああ、これは失礼!」


 そう言いながら、アル様は立ち上がり、こちらに歩いてきた。


 黒髪に鋭い目。黒い服とあごひげ。スラリと高くほっそりした体に、いかにも繊細そうな指。カッコイイのはたしかだけど――やっぱり、なんか苦手だ。

 

「私は……いや、私の名前は、ご存知でしたね?」

「あ、ええ、まあ」

「失礼ですが、あなたは日本のかたなのですか?」

「はい、日本人です。奥菜おきな香南絵かなえといいます。カナって呼んでください」

「カナさん、ですね」


 そう言うとアル様は、その場でひざまずいた。


「神よ。ご加護に感謝いたします」


 そのまま、アル様は座っていた私の右手をとって、手の甲にキスした。


 ちょっと! 急にそういうの、やめて!


「カナさんが、どうやってこちらまで来られたのか、ぜひうかがいたいですね」

「こちらって……」


 マテ君もそうだった。召喚されたことが異世界だということに、まったく気づいていない。まあ、それはムリもない。


「いつか、このヨーロッパを出てみたいと思っているのです。そして世界に福音を……」

「えーと。実はここ、ヨーロッパじゃないんです」

「は?」


 やっぱり論より証拠だ。ちょうど今なら――。私はソファから立ち上がり、窓辺に立った。


「こちらへ来てもらえますか?」


 不審そうな顔のアル様が、窓際に立つ。空にはちょうど、満月に近い500円玉星が、煌々と輝いていた。

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