第66話:まあ、いろいろありまして

「そういえば、カナ」


 隣に座ったジャコちゃんが、話しかけてくる。


先生ドットーレとも日本語で話してたんだよね?」

「え? ああ、はい」


 ちょうどパスタを食べ終えた私は、口もとを拭きながら、答えた。


「学んだこともないのに日本語が話せるって、驚いてました」

「ハハハ! だろうね」


 ペト様と最初に交わした言葉。なんだか、なつかしいな。


「ミチャとは、どうだったんだろう?」

「どうだった、というと?」

「ほら、彼は、知らない土地の言葉でもすぐ覚えてしまうから。ひょっとすると、ミチャとも話せたんじゃないかってね」

「いや、さすがにそれは……」


 ミチャの言葉は、ペト様にもわからなかったと思う。ミチャは、よく一人でしゃべってたけど。


「ペーターって、そんなにすぐ外国語を覚えちゃうの?」

「まあ、早いと思うよ」


 たしかに『チェリせん』のペト様は、語学の才能に恵まれた人として描かれている。


「最初に会ったのは、彼がヴェネツィアに来た直後だけど、とても外国人とは思えない流暢なイタリア語でね」

「ああ、なるほど」

「まったく、うらやましい才能だ」


 ぽわ男が、横から話に加わった。


「ボクも、ミトリダテス王のように、あらゆる言葉を通訳なしで話せたらなあ!」

「そうしたら、世界中の女性を口説くことができますもんね」


 マテ君が、からかうように言う。


「親睦を深めると言ってほしいな」


 ええと、親睦を深めようとして、決闘沙汰になったのは、誰でしたっけ?


「たしかにピエーロさんなら、ミチャさんと話せるようになっていたかもしれませんね」


 マテ君が言う。


「うーん、どうかなあ……」


 何ヶ国語もできちゃう人って、どんな感じなんだろう。英語もあやしい私には、想像すらつかない。


「まあ、そのピエーロがいないから、こうして私たちが集まっているんだけどね」


 デザートのヨーグルトを食べながら、ジャコちゃんが言った。


「ただ、先生ドットーレも、あの男には舌を巻いていたな」

「あの男?」

「うん。スペイン人のイエズス会士で……ええと、名前が出てこない」

「もしかして、アルフォンソ・デ・トレド?」

「そうそう! アルフォンソだ!」


 名前がわかって、ホッとした顔のジャコちゃん。


「次に召喚しようとしているのが、彼なんです」

「そうなんだ! というか、カナは、なんで彼のことなんか知ってるの?」


 なんでって言われても……。『チェリ占』の話、するわけにもいかないし。


「まあ、いろいろありまして」

「まったく、世界は狭いねぇ」


 全然ごまかせてないけど、ジャコちゃんはあんまり気にしてないみたいだ。


「まあとにかく、あの二人は、けっこう古い知り合いなんだよ」


 そうだった。ペト様は、ボローニャに来る前、プラハでの学生時代、すでにアル様と出会っている。


 医学を学ぼうと、ボヘミアの王都プラハにやってきた若き日のペト様は、あまりに活気のない大学に失望していた。


 ある日のこと、イエズス会の学校の評判を耳にして、ペト様は見学に訪れる。このとき彼を案内したのが、若き修練士としてプラハに配属されていたアル様だった。


「たしかアルフォンソが、お芝居の稽古をしている生徒たちにペーターを会わせたんですよね」

「ちょっと待って、カナ。そんなことまで知ってるの!?」

「うん……まあ」


 イエズス会の学校では、教育の一環として演劇を取り入れていたという。生徒たちの劇は、学年末の発表会のような形で公開され、町の名士たちがこぞって見物に来るほどのものだった。


 芝居なんてほとんど観たことがないと話すペト様に、アル様はふと思いついて台本を手渡し、生徒たちの練習に加わるよう提案した。それも一興と、ペト様はセリフを読み始める。


 殉教する聖人の役だった。初見の台本なのに、あっという間にセリフを覚えてしまうペト様。迫真の演技は、見るものの心を打った。まるで本物の聖人がその場に現われたかのように、足下にひれ伏す生徒まで出る。


 ええと、なんていう聖人だっけ? たしか、首にいかりをつけたまま、海に突き落とされるんだよな……。


「その芝居、ラテン語で上演されるはずだったんだけど、生徒たちの親も理解できるように、アルフォンソがボヘミアの言葉に変えさせたんだよ」

「え?」


 『チェリ占』第一巻の場面を思い出していた私は、突然のジャコちゃんの発言に驚いた。


「ボ……ヘ?」

「ボヘミアっていう国なんだ、彼らが出会ったのは」

「それは知ってる」

「ああ、知ってるのか」


 ボヘミアってことは……チェコ語? てか、あのシーン、チェコ語の劇だったのか! ダメだ! 想定外の情報が多すぎて、頭の処理が追いつかない!


「ペーターって、ボヘミアの言葉もできちゃうの?」


 私は、思わずジャコちゃんに尋ねた。


「そうらしいよ。話してるのを聞いたことはないけどね」

「聞いたって、何語なのか、わかりゃしないさ」


 ぽわ男がツッコミを入れる。


「たしかにね。とにかく、イエズス会から派遣されたばかりのアルフォンソが、もう現地の言葉をマスターしていたので、先生ドットーレもビックリしたらしい」


 それって、つまり、どっちもどっちということだと思うんですが。

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