第58話:交渉成立?
口元をぬぐうと、ジャコちゃんは、まじめな顔つきになった。
「うちの商会にとって、
そう、ペト様は「業務上のパートナー」というのが、彼の決まり文句だ。
もとはと言えば、信用していた仲間にだまされて破産しかけたペト様に、救いの手を差し伸べたのが、ジャコちゃんだった。ヴェネツィアを拠点に、モグリの医者として活動するきっかけを作ったのも、この人ということになる。
仕事の上では、持ちつ持たれつの関係。でも、ジャコちゃんは、ペト様にずっとかなわぬ想いをよせ続けていた。
ペト様は、そのことに気づいているからこそ、あえて
「ジャコモが力になってくれたら、心強いです!」
ジャコちゃんは、返事の代わりに、にっこり微笑んでくれた。
「おっと! 朝から仕事の話なんて、無粋だったね」
「あ、ううん。そんなことないよ」
「いや、ほんとうに。無粋きわまりない!」
ぽわ男が、また横から茶々を入れる。
「
「おや、ジョフロワさん。美しい女性の次にあなたがお好きなのはお金だと、てっきり勘違いしていましたよ」
ジャコちゃんが、応じた。
「誤解、誤解! はなはだしい誤解だね!」
貴族といっても、けっして身分の高くない
「金なんてうす汚いものが、ボクの手もとに残らぬよう、一秒でも早く、次の持ち主に送り出してやるんだよ」
「ご婦人がたに関しては、別のお考えをお持ちのようで、なによりです」
ジャコちゃんの言葉に、みんなが吹き出す。ぽわ男の女好きは、定評あるしね。意味がわかってるかはあやしいけど、フェリーチャまで一緒に笑っている。
「ジョフロワ」
私は、すこしあらたまって呼びかけた。みんなの視線が集まる。
「昨晩お願いしたこと、ジョフロワにも、手伝ってもらえますか?」
ぽわ男は、困ったという顔で、ため息をついてみせた。
「まさか、よりにもよって、ピエール君の恋路の手助けを、ボクがすることになろうとはね」
「『恋路』って……」
「要するに、そういうことだろう?」
そう言いながら、ぽわ男は、レオ様のほうにチラッと視線を向けた。レオ様が、ちょっと決まり悪そうに目をそらす。ええと、レオ様、ぽわ男たちにどんな説明したの?
「それは……ちがわ……なくもないんだけど……」
みんなが見ている前で、こういうこと言うの、メッチャ恥ずかしい。あれ? でも……?
「『恋路の手助け』ってことは、ジョフロワも協力してくれるの?」
「まあ、すくなくとも、邪魔はしないよ」
「はあ」
「ただ、聞けば、けっこう物騒な相手らしいじゃないか。ボクなんか、出る幕なさそうな気もするけど?」
う、うーん、そう言われると、あながち否定はできませんが……。
「そ、そんなこと、ないよ!」
「ペーター殿の地図だが、ド・ポワスィ候が早速解読してくださった」
レオ様が教えてくれた。向かいの席から差しだされたペト様のノートを受け取って、地図のページを開いてみる。ペト様の書きこんだ文字の近くに、別の筆跡で、新しい説明が添えられていた。
「え……これ、何語?」
「イタリア語だけど?」
「読めない……」
「何語ならよかったの?」
「に、日本語……とか?」
「そんなの、ムリだよ!」
「ですよねー」
まあ、私以外の人たちが読めるなら、別に困らないか。
「ところで、カナ。『熊をしとめる前に皮を売るな』とは言うけれど」
「はい?」
「もしもだよ? もしも、無事にピエール君を救い出せたとしてだ……いや、もちろん! そうなることが望ましいし、ボクはむしろ、そうなるに違いないと、なかば確信しているのだけどもね」
「ごめん。なんの話?」
「成功したら、どんな見返りがあるのかってことですよね、ジョフロワさん?」
マテ君が、さらっと要点を述べてくれた。あ、そゆこと。
「キミの散文的才能には、まったく敬服するよ、マッテオ君!」
「おそれいります」
見返り……ねえ。
「ジョフロワは、なにがお望みなの? お金?」
「カナ、さっきの話、聞いてた?」
「聞いてましたけど」
「いらないよ、金なんか」
ぽわ男は、そう言いながら、ほんとうにイヤそうな顔をした。
「だいたい、この世界で金なんか持ってても、使いみちがないだろう?」
「まあ、たしかに」
「俗世のわずらわしさから離れて、衣食に困らない暮らしができれば、ボクは満足だよ」
そんな爽やかな顔で、思いっきり俗っぽいこと言われましても……。
「要するに、お金を使わないで済む生活がしたいってことね」
「それなら、カナの魔術でなんとかできるのでは?」
マテ君が、また無責任なことを言う。
「そ、そう? かな?」
「衣食は、まあ……よいとして……。その……もう一方の……問題は、どうだろう?」
言葉を選びながら、レオ様が質問した。
「もう一方の問題、ですか?」
マテ君は、キョトンとした顔をしている。
「オンナだろ、オンナ」
すかさず入るフェリーチャの一言で、みんなが、顔を見合わせて笑い出した。レオ様まで、苦笑している。フェリーチャ、ほんとうに意味わかって言ってるなら、怖いな。
「たしかに、そいつは大問題だね」
ぽわ男は、さも深刻な問題であるかのように、深々とうなずいてみせた。
「神が、アダムとイヴを造りたまいしとき、男と女を同じ数、しかもそれぞれ一人ずつとされた。神慮の、なんと深遠なことだろう! 同じ数にすることで、男も女も、あぶれる者はなかった。また、それぞれ一人ずつとすることで、男同士、女同士の無用な争いの芽を、あらかじめ摘まれたのだ――相手を選べたりしたら、すぐさま取り合いが起こったろうからね」
まったく。なにを言い出すのかと思ったら。
「だからさ」
ぽわ男が、私のほうに顔を向ける。なんだか楽しそうだ。
「ボクたちは、いかんせん男女の比率が偏っている。カナには、ぜひこの不均衡を是正してもらいたいね」
「不均衡……」
「そう。ボクたち成人男性四人に対して、大人の女性はカナ一人。でも、カナには――先約がある」
私もまだ未成年ですけどね?
「そして、カナ以外のお嬢さま方は……」
ぽわ男は、そう言いかけて、ミチャとフェリーチャのほうを見る。
「
本気で嫌そうな顔をするフェリーチャ。いや、あんたは子供だってば。レオ様が、小さく咳ばらいをする。
「望むらくは、ティツィアーノの絵のように
「そこまでは、責任もてません! 口説くのは、ご自分でやってください!」
なんか、ちゃっかり「女性」が複数形になってるし。
「ハハハハ! いや、もちろん! 女性を口説き落とす楽しみは、手放したくないからね」
「まあ、女性……たち? のほうは考えておきますけど……」
「では、ひとまず、交渉成立というところかな?」
ジャコちゃんが、話をまとめに入る。
「じょ、女性ということであれば」
恥ずかしそうに、マテ君が口を開いた。
「この世界にも、美しい人は、すくなくなさそうですね」
みんなの視線が、ミチャに集まる。美人が多いのかどうかは、サンプルが一人しかいないから、なんとも言えない。
どっちにしても文句なしの美少女さんは、視線に気づくと、食べかけのお菓子から顔をあげ、にっこり微笑んだ。
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