第57話:フラッシュバック
「……救う?」
不思議そうな顔で、ジャコちゃんが尋ねた。
「ペトルス……リプシウスを?」
ジャコちゃんの質問を、ぽわ男が引き継ぐ。
「ピエール君をどこから救うって? 彼のことを憎からず思うご婦人に、連れ去られでもしたかな?」
冗談めかして、ぽわ男が言った。
「『連れ去られた』は、合ってますけど……」
あの晩のことが、フラッシュバックする。動画に映る、ペト様の不安そうな表情。なにより許せないのは、そんなことを知りもせず、すぐ下の階で眠りこけていた自分……。
面白そうに私の反応を眺めていたぽわ男の表情が、急にこわばる。
「ちょ、ちょっと、カナ……?」
ぽわ男の声が聞こえたときには、もう涙があふれ出していた。泣かないようにしてたのに。せめて人前ではやめようって、我慢してたのに……。
「ご、ごめんなさい! なんでもないんです!」
私は、2人から顔をそむけて、ハンカチを探した。
――ない。いつもなら身につけてるのに、こんなときにかぎって、ない!
「ボクの悪いクセだね。カナ、すまなかった」
そう言いながら、ぽわ男が、ハンカチを差し出す。真珠のような光沢のシルク。柔らかく滑らかな手触りで、高級そう――いや、まあ、私が描いたんだけど。
「あ、ありがとう」
これだから、眠いときに作業しちゃ、ダメなんだな……。
「
やりとりを黙って見ていたジャコちゃんが、口を開く。
「おいおい。いつものように呼んでくれよ、ジャコモ君」
「失礼、ジョフロワさん。私も、カナの依頼について詳しく聞きたいのは、やまやまですが……」
そう言って、ジャコちゃんは、すこしおどけた表情で、私のほうにウィンクした。
「ご覧のとおり、夜もふけています。どうでしょう、ひとまず夜が明けるのを待って、話を聞かせてもらっては?」
「名案だね! では、ひと足先にお部屋へどうぞ! ボクはここで、もうすこしカナと親交を……」
「ほら、帰りますよ!」
ジャコちゃんが、ぽわ男の腕をつかんで、強引に連れていく。
「では、カナ、これにて失礼! また明日!」
「おやすみ、カナ! さみしかったら、いつでもボクの……! わ、わかったよ、ジャコモ君! そう強く引っぱるなって!」
◇
窓からさしこむ日の光が、まぶしい。かすかに下の階から、話し声や食器の音が聞こえてくる。すっかり寝坊しちゃったらしい。
起き上がるタイミングをはかりかねていると、誰かが寝室のドアをノックした。
「あ、はーい。どうぞー!」
かすかな音とともにドアが開いて、ミチャが首だけのぞかせる。
「カナー!」
小走りにかけ寄ってきたミチャがベッドに上がってくる。上体を起こした私に、抱きついてきた。
「おはよう、ミチャ!」
「オッハヨー」
パジャマ姿のミチャの体温が伝わってくる。最近、フェリーチャにミチャの相手を任せちゃってたな。ミチャは、腕に力をこめ、ギュッとしてきた。
あ、これは「オナカ、スイテニョ〜」の流れだ。そっか、もう朝ごはんの時間だもんね。
「アサゴハン、デキテウ。イショニ、タベニョー」
「!」
ちょっと! そういうの、なしだぜ! フェリーチャが教えたのか?
ヤバい、涙が出てきた。もう、どうなってんの、私の涙腺!?
「うん、ごめんね。一緒に食べよう!」
◇
朝食のテーブルには、もう私以外の全員がそろっていた。
「みんな、おはよう」
おはようと返すみんなの目が、こちらに向けられる。ミチャに連れられるまま起きてきたので、いかにも寝起きって顔だ。さすがに、ちょい恥ずかしい。
「遅くなってごめんなさい」
「おはよう、カナ! 餓死者はまだ出ていないようだ。気にすることないよ」
ぽわ男の第一声にカチンと来るけど、平静をよそおった。すると、ぽわ男がすっと立ち上がり、私が座ろうとした椅子の背を後ろに引いてくれる。貴族のふるまいってやつか。
「ありがとう」
「昨晩は、すまなかったね」
耳元で、ほかの人たちには聞こえないくらいの声。ぽわ男なりに、気をつかってくれてるのか。
「どういたしまして」
それにしても、今日の朝食、めっちゃゴージャスじゃない? この香ばしい香り、なんだろう?
「パンも焼きたてですよ!」
エプロン姿のマテ君が、ドヤ顔で言う。
「ええ! 早速焼いてくれたんだ! すごい、すごい!」
昨日の午後、パンを焼きたいとマテ君から相談され、言われるままに必要なものを用意したんだけど、まさかこんなすぐにやってくれるとは。
総勢7人で囲む食卓は、にぎやかだ。ぽわ男とジャコちゃんも加わったので、余計に話が弾むんだろう。
それにしても、マテ君の料理の腕が、ハンパない。野菜のスープとか、まじでレシピ教えてほしいレベル(作れるとは言ってない)。
「カナ、なっかなか起きてこねーし」
たっぷりマーマレードを塗ったパンをかじりながら、隣に座るフェリーチャが言う。
「ああ。ごめんね……フフフ」
「え!? そこ、笑う要素なくね?」
「ご飯できたって言葉、リーチャがミチャに教えてくれたの?」
ミチャの食欲は、今日も絶好調。フェリーチャの隣で、大きなオレンジにかぶりついている。
「あ、うん! ちょっと教えたらさ、舌ったらずだけど、何回も繰り返してて。めっかわなの! 沸いたわー」
「ありがとうね」
「え? ああ……うん」
急に礼を言われて、とまどってる。
「カナも……遅くまでがんばりすぎ。あんま、ムリすんなし」
「うん。わかった」
この子の日本語のバグり具合は気になるけど、悪い子じゃないんだな。
「あの後、よく眠れたかな?」
ジャコちゃんが声をかけてくれた。
「はい。ジャコモは? あ、ジャコモでいいのかな?」
「もちろん!」
片手でカップをもちながら、さもスッキリしたという感じで、スキンヘッドの頭を撫でる。
「おかげさまで、熟睡できたよ。上質なベッドと寝具だ。
「じゃあ、お安くしときます」
「さきほど、お二人には、だいたい事情をご説明した」
テーブルの向かい側に座っていたレオ様が、話に加わった。
「ありがとう、レオンハルト」
「そう、昨晩は、カナの依頼の話が途中だったね」
「はい、引き受けていただけますか?」
「やられたね」
ジャコちゃんが、にっこりと笑う。
「あのベッドに、この朝食の後で、断るのはむずかしいよ」
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