第56話:招かれたる客

 マテ君とレオ様におやすみを言ってから、寝室をのぞいてみる。よかった。ミチャとフェリーチャは、爆睡中。今日は一日、いろいろあったからね。


 たまたま目を覚まして、私たちがいないのに気づいたら、とちょっと心配もしていた。まあ、ミチャは、かまわずそのまま寝るだろうけど。


 PC部屋に戻り、電源を入れる。


 夕方まで、絵の続きをけっこうがんばったので、もうひと息で描きあがるはず。できれば、今晩中に仕上げてしまいたかったけど――夜は、予定外の探査飛行が入ってしまった。


「やっぱり寝る前に、もうちょっとだけ描くか」


 眠気をこらえながら、描きかけの2つのファイルを開く。スクリーンに、ぽわとジャコちゃんの線画があらわれた。


 ジャコちゃんは、シンプルなデザインの胴衣プルポワン姿。『チェリせん』主要キャラのなか、唯一のスキンヘッドだ。


 ラノベのイラストを描かれている矢嶋ミウ先生は、どこかのインタビューで、往年の映画俳優――名前なんて言ったっけ?――をイメージしていると言っていた。鋭くキリッとした目元だけど、優しく愛嬌のある笑顔にファンも多い。


 ラフをもとに顔の線を仕上げれば、ジャコちゃんのほうは、ひとまず完成だ。


「問題は……」


 ぽわ男が着ているのは、エリマキトカゲみたいな襞襟フレーズのある豪華な上着に、白い羽根のついた黒い帽子。ま、線画だから、色は頭のなかでイメージしてるだけだけど、レースの飾りやら、宝石をめこんだボタンやら、いろいろと画面が騒がしい。


「これ、描くのけっこうめんどいんよね」


 めんどすぎるので、先に顔だけ仕上げてしまいました。


 そう! 見栄っぱりで女好きの困ったちゃんキャラでありながら、人気の衰えない文句なしの美形キャラ。ペト様のどこか悲しげでクールな表情と、いたずらっぽく微笑むぽわ男の組み合わせは、間違いなく絵になる!


 ええ、私の最初の二推しは、ぽわ男でしたとも。


 それにしても、描くたびに思う。16世紀の衣装って、ほんとうにこんな複雑だったの? 結城幻都先生の原作はもちろん、矢嶋先生のイラストも、時代考証の精密さには定評あるのだけど……。


 まあ、ゴチャゴチャ言わずに、ひたすら描くのだ!


     ◇


 髪に優しく触れられる感触。繊細な指で、まるで高価な織物をあつかうときのように――。


「へええっ?! なになに!」


 勢いよく立ち上がった私の目の前には、見知らぬ――いや、よく知った男の顔。


「お目にかかれてうれしいね。ボクのなま……」

「ジョフロワ・ド・ポワスィ!」


 思いきり食い気味に答える。ぽわ男は、驚いたように目を丸くした。ふと気づくと、PCの画面には、先ほど描きあげたばかりのぽわ男の姿が。


 ――ああ、そういうことか。


 朝になってから召喚するつもりでいたのに、勢いあまって完成させちゃったらしい。眠いときにムリするもんじゃないな。


「もちろん。つまりは、キミが、ボクのピュグマリオンというわけだね!」

「え、なんて? ピュグ……?」


 ぽわ男は、PCのディスプレイをのぞきこみながら、続ける。


「その象牙のように白い肖像から、血のかよった生身の男が生まれるのを、キミは待ちこがれていた。そうだろう?」

「ち、違います! あ、いや、違わないんだけど、やや、かなり? 違うの!」

「キミのその願いは、愛の女神アフロディーテに聞き届けられたよ」

「願ってないから!」


 私の言うことなど耳に届いてないかのように、ぽわ男は私を抱き寄せようとする。来たぞ! 心を溶かしてしまいそうな、甘い微笑み。


 わかった! あんたの顔がいいのは、よーく、わかった! けど、あんたは、盛大な思い違いをしている!


「はじめまして、ド・ポワスィ候。お目にかかれて光栄……なんですが、まずは誤解を解かせてください!」

「ああ! そんなよそゆきのあいさつ。キミとボクの関係には、似つかわしくない。ジョフロワと呼んでほしいなあ」

「関係? いや、なにも関係なんかないですよ?」

「ないのなら、今すぐはじめれば、遅すぎはしないよ。人生はけっして長くないが、そう、今までの遅れを取り戻すためにも……」


 そう言いながら、ぽわ男が間合いを詰めてくる。『チェリ占』ファンの言う「メッチャぽわすぃ!」展開だ。よりにもよって、みんなが寝静まった深夜に2人きりになるなんて、ほんとマズった!


「だいたい、ジョフロワ、私の名前すら知らないでしょ!?」

「気が合うね。今まさにボクもその質問をしようとしてたんだよ」

「名前も知らないのに、口説こうなんて……とにかく、落ち着いて、まずはこの手を離して……!」


 また口を開こうとしたぽわ男の背後から、渋い深みのある声が響く。


「その辺にされたほうがよさそうですよ、騎士様カヴァリエーレ!」

「モン・デュー! ジャコモ・グアルティエーリ! キミもいたのか?」


 開いたままになっていた戸口のところに、呆れ顔のジャコちゃんが立っていた。ありがとう、助かったよ! ジャコちゃんは、私と目が合うと、軽く会釈した。


「おあいにくさま。またそうやって、見ず知らずのお嬢さんに手を出したりしていると、今度こそ命を賭する羽目になりますよ」


 ああ、そうだった。ぽわ男は、どこかの令嬢の女性としての名誉をそこなったという理由で、その婚約者に決闘を挑まれたことがある。男は刃に毒を塗って、ぽわ男を葬りさろうとするのだけど、決闘の場に医師として立ち会うことになったペト様の機転で、あやうく難を逃れたのだった。


「ご冗談を!」


 ぽわ男が、肩をすくめながら言った。


「ボクも、ようやくわずらわしい俗世を離れ、エリュシウムの園へやってきたんだ。もう命の心配などいらないさ」

「いやいや、勝手に殺さないでくださいよ。私の見るところ、あなたも私も、そしてそちらのお嬢さんも、誰一人死んでなどいません」

「そうなの? というか、キミの名前をまだ聞いてなかったねえ」


 さも意外な事実を耳にしたような顔で、ぽわ男が私を見る。どこまで本気で言ってるんだか……。


奥菜おきな香南絵かなえです。カナって呼んでください」


 部屋のなかに入ってきたジャコちゃんも、私に近づいて握手を求めた。


「はじめまして、カナ。こんな夜遅く、女性の部屋に押しかけてしまい、申し訳ない。目が覚めて、廊下をさまよっているうちに、話声が聞こえてきたので」


 ほんと低くていい声だなあ。物腰の柔らかいところも安心する。


「ほかにも招かれた客がいたとはね。てっきりカナが、ボクのピュグマリオンだと思っていたのに」


 だから、そのピュグなんとかって、なに? まあ、いいや。


「はい。お二人をお招きしたのは、私です。よくご存知の友人ペトルス・リプシウスを救うのに、協力していただきたいのです」

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