第55話:木の葉の裏側を
一瞬、なにを言われているのか、わからなかった。
「え? 飛ぶ? 白い湖? 今から?」
「そそそ、それはいったい?」
「事情は、現地に向かう間に話そう。カナ殿、大きいほうの船を出していただけぬか?」
大きいほうの船? ああ、「貴族の館」号のことか。
「わかりました!」
弐号機や参号機でも乗れないことないけど、3人だとちょっと狭いしね。
「その船なら、最小限の武装は積んでいるのでしたな?」
「はい?」
どゆこと? レオ様の表情は、真剣そのもの。気晴らしに深夜クルーズを提案しているわけじゃなさそうってことは、尋ねるまでもなかった。
◇
白い湖を目指して私が操縦する間、レオ様が説明する。
午後の探査飛行では、南の海の沿岸部を飛んだのだけど、気がつくとかなり南東の空域まで来ていたので、思い立って白い湖まで迂回してみたということだった。
「そうですか。白い湖に寄られていたんですか……」
落ちこんだ様子で、マテ君が言った。
「黙っていて、申し訳ない」
「い、いえ! そそそ、そんなつもりでは!」
「リーチャが聞いたら、きっと自分も行くと言い出すので、あえて触れずにおいたのだ」
「リーチャたちが一緒だと、なにか困るってこと?」
「安全とは言い切れぬ」
ああ……。私たちなら、少々危険があってもいい、と。
「湖は、どうでした?」
マテ君が尋ねる。
「結論から申せば……なにもなかった。湖が割れている様子も見ていない」
「そうでしたか……」
「ええと、レオンハルト。異常なかったのなら、どうして今もう一度?」
「うむ」
レオ様は、すこし考えこむように、船外に目をやった。あたりは真っ暗。ただぼんやりと500円玉星の明かりに照らされた木々が、船尾の方向に消えていく。
「見えたのだ」
と言ったまま、ふたたびレオ様は黙ってしまった。話の続きを期待しながら、しばし沈黙が続く。
……え、主語は? すごく気になるんですが!
私は、すこしスピードを上げてから、自動操縦に切り換えた。こらえきれずに、マテ君が尋ねる。
「みみみ、見えたって。ななな、なにがですかあ?」
「私にもわからんのだ。自分の見たものが、なんだったのか」
はあ……。つまり、その正体を確かめたくて、私たちを連れてきたのね。
「どのあたりです? 湖の南側? それとも北側?」
確認のため、私は尋ねた。ペト様の地図が間違ってなければ、白い湖はすこし南北に長かったはず。北と南では、向かう先もかなり変わってくる。
「どちらでもない。言うなれば、真ん中だ」
「湖の西側? それとも東側?」
「いや、文字どおり、真ん中だ」
「へ?」
あ、なるほど。なにかが見えたって、てっきり湖の岸なのかと思ってた。湖の中心ね。
「マッテオ殿のいう裂けた湖の秘密を探ろうと、湖面近くを飛んだのだが」
「ままま、まさか! かかか、怪物ですか?」
「いや。さほど大きなものではない。私たちの乗る偵察機より、ひとまわり小さいくらいだろう」
「船ですか……異世界人の?」
「それが、よくわからないのだ」
「どんな形をしていました?」
「それが……なんとも形容しがたい」
ええと、なんか幽霊的な? 見えちゃうと逆にヤバい系の?
「たとえて言えば、分厚い木の葉の裏側を、見知らぬ虫が這っているところを想像していただきたい」
「え、ちょっと待って。なんの話ですか?」
「カナ殿のように、絵に描けたらよかったのだが……」
レオ様が、困惑している。
「ひょっとして、湖の、水のなかに、なにかが見えたんですか?」
「ああ、いかにも」
「水のなか!? 浮いてたんじゃなくて?」
想像してた情景とちがうので、思わず大声が出た。あの湖、入浴剤でも入れたみたいに白かったはず。形がはっきりわからないって、そういうことか。
「いや、水面に出ていたものは、ひとつもない」
「ひとつも、ない?」
「そのとおり」
「てことは、いくつも見えていた?」
「すくなくとも、二十は」
葉っぱの裏側を元気いっぱいにウネウネしている虫さんたちの映像が、脳裏をよぎる。
「魚でしょうか?」
外の景色を気にしながら、マテ君が尋ねた。
「魚が……光ったりするものだろうか?」
頭のなかの虫さんたちに、急遽ライトを点灯してもらう。
「海のなかで光る生きものなら、地球にもいますよね?」
「いや、私は聞いたことないが……」
レオ様、山国育ちだしな。
なにかに気づいた様子で、マテ君が立ち上がった。
「着いたんじゃないでしょうか?」
あいかわらず、モニターを通して見える景色は、ほぼ真っ暗だ。ただ一点、500円玉の姿が反転して映っているので、広い湖面の上を飛んでいることがわかった。
「みたいね」
急いで飛行速度を落とし、高度も50 mまで下げてみる。
モニターカメラの方向やズームレベルを調節しながら、周囲の状況を調べたけど、予想以上に暗い。かろうじて周辺の山の稜線がわかる程度。白い湖は、夜の闇のなかで黒い鏡のように感じられ、すこし気味が悪い。
「光っているなら、夜中に来たのは、かえって好都合かもしれませんね」
前方斜め下を映すモニターに目を向けながら、マテ君が言う。たしかに、そうだ。ときどき方向転換するたびに、湖面に反射する500円玉星が映りこむ。拡大表示しているせいで、モニターで見ると、まぶしすぎるくらい。
そんな感じで飛びながら、けっこうな時間が経過した。でも、湖面の上にも下にも、なにかが動くような気配は感じられない。
「もうすっかり遅くなった。申し訳ないが、今日のところは引き返そう」
腕組みをして画面を凝視していたレオ様が、切り出す。
「いえ。レオナルドさんの情報が確認できなかったのは残念ですが、大事なお話をうかがえました」
「そうですね。またあらためて調査しましょう」
私たちは、北西方向に針路を定め、帰還することにした。
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