第50話:アプリにお願い

 アプリの本棚から、『チェリゴの占星医術師イアトロマテマティクス』第三巻を開いた。


 何日ぶりだろう? なんか懐かしい感じ。たしか、ペト様とレオ様の出会いは、レオ様視点のエピソードだったはず――――


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 レオンハルトは、焦りを覚えていた。治療代がかさんでいくばかりで、フェリーチャの熱はいっこうに下がらない。すぐ故郷に戻るつもりが、ヴェネツィアに足止めをくらったため、所持金も尽きかけている。


 やむをえない。同郷の仲間から聞いたジャコモという男を訪ねてみよう。表向きは貿易商、裏では傭兵の仕事の斡旋などもしているという。胡散臭いが、背に腹はかえられぬ。


 グアルティエーリ商会の建物は、すぐに見つかった。さびれた事務所の入口で紹介状を手渡す。ジャコモのほか、部屋の奥にもう一人、来客中らしい男が座っていた。貿易商にしては、やけに人の出入りが少ない。


「ええと、ツィーグラーさん。傭兵の働き口をご希望、と……」

「いかにも」


 レオンハルトは、手短に要望を伝えた。条件はどれだけ悪くてもかまわない、ただし、自分の留守のあいだ、報酬から養女むすめの療養代を工面してもらいたい、と。


「はぁ」


 気乗りしないのを隠そうともせず、ジャコモが応じる。すると突然、奥に座っていた若い男が、口を挟んだ。


「失礼ながら、ご自身は、かならず戦地から帰還なさるおつもりですか?」


 レオンハルトの表情が、さっと険しくなる。


「どなたか存じませぬが、貴殿には関わりのないこと。心配はご無用」

「だとよいのですが」

「どういう意味か?」


 男は、すっと立ち上がった。当惑した様子で振り返ったジャコモが、心配そうに声をかける。


先生ドットーレ……」


 男は、「わかった」という手ぶりでこたえながら、レオンハルトに近づいた。傭兵の間でもかなり長身の自分より、さらに背丈がある。くすんだブロンドの髪と薄いグレーの瞳は、北方の人間らしく思われた。


「この男に依頼なさるおつもりなら、養女むすめさんの治療は、私が引き受けることになるでしょう」

「貴殿は医者なのか?」

「いちおう、ボローニャ大学医学博士ドットーレですよ」


 ジャコモが、素っ気なく答える。


「はい。街の医師組合コッレージョには入ってませんけどね」

「なるほど。だが、申し訳ない。ご覧のとおり、貧しい外国人傭兵だ。高額の報酬がお望みなら、他をあたっていただきたい」


 医師を名乗る男は、唇に微笑を浮かべた。


「誤解されているようですね、ツィーグラーさん。むしろ逆です」

「おっしゃりたいことが、わかりかねるが?」

「私のような医者にとって、リスクは二通りある。治療に失敗するリスク。そして、報酬を取り逃がすリスク。おそらくより重大なのは、二番目のリスクです」

「……腕前には、相当の自信がおありということですかな」


 男は、肯定も否定もせず、軽く肩をすくめる。


「どちらにせよ、減らせるリスクは減らしたほうがいい。そうは思いませんか?」

「理屈はわかるが、私にどうしろと?」

「まず、戦場には行かないこと。これで、二番目のリスクが回避できます」


 ここまでのやりとりを聞くと、ジャコモは呆れたようにため息をつき、そのまま事務所の奥に引っ込んでしまった。


「いや、私が戦地に赴かなければ、報酬もなくなる」

「必要ありませんので」


 一瞬、からかわれているのか、とレオンハルトは疑った。


「では、養女むすめの病はどうなる?」

「もちろん、私が引き受けます。よその医者に任せるよりは、治る見込みもあるでしょう。おおかた、効きもしない薬を処方されているのでは?」

「つまり、第一のリスクも、心配しなくてよいということか。で、見返りは?」

「私の身辺警護です」

「身辺警護!?」


 レオンハルトは、つい大声を出した。ジャコモはこちらを向いて肩をすくめながら、「ほらね」とでも言いたげな顔をしている。


「ええ。最近、どうも厄介な連中につきまとわれているのです」

「それはまた……」

「自分で蒔いた種ってやつでね!」


 即座にジャコモが付け足した。


「なるほど、戦場よりは安全な仕事ということか」

「実はそれが、こちらへ出向いた用件でしてね。あなたにとっても悪い話でないとよいのですが……」

「街から離れずにすむなら、こちらとしてもありがたい」

「では、決まりですね」


 そう言うと、男は握手を求めてきた。


「自己紹介が遅れました。私、ペトルス・リプシウスと申します」


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 ここまで読んで、私はアプリを閉じた。


 何度も読んでる箇所なのに、登場人物のうち二人と実際に会った後だと、まるで映画のワンシーンみたいに、新鮮な感じがする。この場面に、フェリーチャ自身は登場しない。でも、レオ様に案内されて診察に向かうペト様の姿が、目に浮かぶようだった。


「よし!」


 私は、ペンタブに向かって、一気に描きはじめる――


     ◇


「えっ? ちょ! ここ、どこ? てゆーか、アンタ、誰!?」


 少女は、ビックリした様子であたりを見まわすと、いきなり質問をぶつけてきた。声、メッチャかわいいのに。なんだ、この話しかた、ギャルかよ?


「えっと、フェリーチャちゃん、だよね?」

「だから、誰よ、アンタ!?」


 肖像画にかなり寄せて描けたつもりだったけど、まさかの――召喚失敗? やっぱり見たこともない人物を描くのは、ムリがあったか?


 いかん、顔が引きつってしまう。スマイル、スマイル!


「私、カナっていうの。よろしくね!」


 フェリーチャ(?)は、怪訝そうな顔で、私を見ている。


「カナ? 何者なの? アンタ、異国の人間よね? なにが望み? 金?」

「イヤイヤイヤ、なにも望んでなんかないから!」


 この子、まだ八歳とかじゃなかったっけ。てことは、日本なら小二くらいよね? 妙に世間れしてやがる。

 

 私が困っていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「カナ殿、入ってもよろしいか?」


 レオ様の声だ。


「え! おじさま!?」


 突然、フェリーチャの顔が、ぱあっと明るくなった。

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