第35話:観測記録
「もう! なんなの? あれー!?」
家に着いたけど、まだ手の震えが止まらない。
光学迷彩で姿を隠したまま飛び続け、家に着いた後も10分くらい待って、追っ手が来ないことを確認してから、ようやく「空飛ぶ船」をガレージに入れた。
ミチャも、ずっとビクビクした様子だ。そろそろ、いつもの「お腹すいた」アピールがはじまってもおかしくない時間なのに。相当ショックだったのね。
ガランとしたリビング――
ちょっとだけ期待してたけど、ペト様が帰ってきている様子はない。
あらためて思う。一番不安なのは、ペト様がいないこと。一緒にいるだけで、どこか安心していられたんだな。
「カナー!」
ミチャが、ソファーに座る私のところに来て、抱きついてきた。
「ミチャ……」
私もギュッと抱き返す。
そうか、今、この子は、私が守ってあげなきゃいけないんだ。ペト様のことは、ひとまず後で考えよう。今、自分にできることをしないと!
とはいうものの、いったい何をすればいいものやら。防衛体制の整備? 今あるのは、えーと……。前に作った護身用の銃くらいか。さすがに、これだけだと心細いよなあ。うーん、うーん……。
グゥ……。
お腹が、鳴った。
ミチャ? いや、私か! そういえば、朝食もロクに食べてなかった。
「よし、なにかおいしいもの作ろうか!」
「オイシー!」
ミチャの「オイシー!」を聞くと、ちょっとだけ元気が湧いてくるな。
◇
雨は、午後遅くに降り
ミチャを寝かしつけた後、私は新居の3階に上がり、一人でソファーに座っていた。一日中いろいろ悩んではみたものの、これからどうすればいいのか、さっぱりわからない。
いや……。思いつくアイディアがないわけじゃなかったけど――ちょっとだけ考えて、却下した。
「どうすっかなあ!」
備えあれば憂いなし、と言うけれど……。
今日の午後、雨が上がってから、念のため、家の近くを巡回してみた。光学迷彩はうまく機能していて、ある境界を越えると、家はまったく見えなくなる。
「オオー!」
ミチャは面白がって、その境界を何度も出たり入ったりしていた。
「魔法の家」とペト様は呼んでくれたけど、ここにじっとしてたら、ひとまずは見つからずに済むのかな? でも、そうしたら――
私は、ソファーから立ち上がると、天井と傾めに交わる壁一面の窓から、空を見上げた。新居の3階は、ペト様の天体観測用スペースで、星がよく見える。今ちょうど、500円玉星が、木々の上に半分だけ顔を出していた。
昨日の今ごろは、一緒に星を眺めてたんだな。流れ星にお祈りしたら、ペト様とずっと一緒にいられる――そんな風に願ったけど、一日も経たないうちに、その望みが消えてしまうなんて……。
「どうせ、私なんかと一緒にいてもさ!」
私は、ソファーの上のクッションに顔をうずめて、泣き出した。
どれだけ考えても、ペト様が失踪した理由はわからない。でも、私がなにかマズいこと言ったせいじゃないかとか、疑い出すと止まらなくなる。そんなの意味ないとわかってても、気持ちはどんどん卑屈になっていく。
力のおよぶかぎり、守ります――
ペト様の言葉が、頭のなかをグルグル回っていた。
「なのに、なのに……」
もうダメだ。また涙が出てくる。
「なんにも言わずに、出てっちゃうなんてー!」
◇
私は、ペト様が机に置いていったノートを眺めていた。特徴のある筆跡。数字はなんとか読めるけど、メモのほうは私の知らない言葉で書かれていて判読できない。
そこには、太陽や500円玉星などの観測位置と時刻が書き連ねてあった。「まだ暫定的な結果ですが」と断りながら、この星の1日がおよそ地球の41時間に相当すると教えてくれたのが、昨日のこと。
1ページ目の観測データのうち、リストのように並んでいる時刻は、日の出と日の入、そして太陽が一番高く昇った時刻だろう。ペト様は時刻を測るとき、いつもスマホのロック画面に表示される時計を使っていた。記録されている最後の数字は、昨日の日没時刻にちがいない。
「やっぱり……」
昨晩が最後の記録になっているのは、今朝の日の出を観測していないせいだろう。今朝みたいに、天気が悪くて正確な観測ができなかった日は、時刻の代わりに横線が引かれていた。
寝室の前でおやすみを言ったのが、何時だったのか覚えてないけど、もうけっこう遅かったはず。ペト様、あの後、寝てなかったのかなぁ……。
そのとき、机の端に置かれたスマホが視界に入ったので、ふと手に取った。
朝からバタバタしてたから、スマホも開いてなかったな。いつもなら、毎朝、電波が来てないか確認するんだけど。今朝は、スマホのことなんか、すっかり忘れてた――。
「ん?」
ちょっと待って。ええっと?
昨日は、花火のあと、充電用ケーブルに挿しておいたはず。2階のバルコニーからわざわざ1階まで降りていったのを、はっきり覚えてる。
「なんで、ここにあるんだ?」
答えは、考えるまでもなかった。ペト様が、3階まで持って上がってきたにちがいない。電池残量が37%しかないのは、充電が途中だったせいだろう。
なんでわざわざここまでスマホを? しかも、夜中に起き出して、3階に来る理由って……?
「うーん、わからん」
スマホの日付は、9月2日(水)。登校日から数えると、もう2週間近く経っていることになる。ナギちゃんと通話した後、電波は一度も復活していない。
ペト様と、もう丸一日会ってないんだな。ああ、深刻なペト様不足……。
私は、アプリから、これまでに撮った写真や動画を、一つずつ開いていった。
湖畔で一緒に写る私たち3人。私、照れちゃって、カメラ見れてないや。そんな私に優しい視線を向けるペト様も、すごく楽しそうだ。つい昨日のことなのに、遠い昔のような気になる。
一瞬、もう二度とペト様に会えなくなる自分を想像した。
「……」
ああ。目の前が真っ暗になるって、比喩じゃなくて、ほんとにあるんだ。これ、マジきついわ。
ぼうっとした頭のまま、写真と動画をスクロールしていく。リストの最後は、昨晩ミチャが撮ってくれた線香花火の動画で――
「え! ちょ!! なに、これっ!?」
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