第32話:処女飛行

 ガレージの入口は、暗証番号でロックする仕組みにしてある。間違えてミチャが入ったりすると危ないから、というペト様の発案だった。そして、暗証番号を知ってるのは、私とペト様だけだ。


 つまり、昨晩、寝室の前で別れてから、今朝、私が目覚めるまでの間に、ペト様はここの扉を開け、PY37γ5(仮)に乗って1人でどこかに行ってしまったことになる。行き先も告げずに。


 空っぽのガレージを見て、ミチャは不安そうに私を見上げた。


「ああ! そーだー! すーっかり忘れてたー!」


 伝わらないかもしれないけど、ミチャを心配させたくないので、とっさに芝居がかったセリフが口をついて出てくる。


「あのね、ペーターは、えっと、ちょっと大切で、大事で、超重要なお仕事があるから、朝早く出かけるって、昨日の晩、言ってたんだった! だから、朝ごはん、今日は2人で食べないとね!」


 ペト様の「お仕事」ってなんだよ。言ってしまってから、ミチャのためというより、自分に言い聞かせるためだったような気がしてきた。


 ミチャは、キョトンとした顔をしていたが、ダイニングに戻り、朝食を食べるようにうながすと、いつもどおりの食欲を発揮しはじめた。私は、ボウっとしていて、ほとんど食事がのどを通らない。


 どうしちゃったんだろう。どこにいるんだろう。なんで一言も言わずに消えちゃうんだろう。私のせい? やっぱり、それしかないよね……?


「ゴッピトーナマー!」

「はい、ごちそうさま」


 ミチャが普段と変わらず、元気いっぱいなのは、ちょっとだけ気持ちが救われる。いつものように、外へ遊びにいくつもりらしい。


「あんまり遠く行っちゃダメだよ」

「ホー!」


 うれしそうに声をあげてドアから出ていこうとしたミチャが、急に立ち止まる。そして、クルリと向きを変えると、私に抱きついてきた。


「カナ〜!」


 それだけ言うと、ミチャはそのまま出ていった。


 なに、それ? ひょっとして、私を励ましてくれてる?


 広いダイニングに1人きり残された私は、涙をこらえきれなくなり、声もおさえずに泣き出した。


     ◇


 川辺ですこしだけミチャの川遊びに付き合った。家の近くは、流れが割とゆるやかで、水もよく澄んでいるせいか、大小いろいろな魚が泳いでいる。


 ミチャは魚を見つけると、例の超能力を駆使して、サイコキネシス釣り(?)を披露してくれた。まず、魚が、水面から垂直に飛び出す。そして、バタバタ身動きすることもなく空中を水平に移動し、手前のバケツの上まで来ると、突然落下した。


 見る見るうちに、バケツいっぱいの魚が釣れる。なんかこの釣り方、エグいな。この世界の魚にだけは転生するまい。


 まずまずの釣果ちょうかに、ミチャは満足したらしい。私も、気晴らしにはなったけど、頭のなかは、ペト様のことでいっぱいだ。


 やっぱりこうしてはいられない! とにかく、探しにいかないと!


 私は、家に戻ると、紙とペンを取り出した。ギルボアの『詳細設定集』を参照しながら、もう一度PY37γ5を描く。ただ、ペト様が提案してくれた改善のアイディアを取り入れ、操縦方法もできるかぎりシンプルなものをイメージした。なにしろ、今度は私がパイロットになるのだから。


 描き終わると、ガレージに「空飛ぶ船」が姿を現す。


 えーと、マジでこれ操縦するのか、私が? 自転車以外のものを運転したことないのに? ゲームでも、レース系とか空中戦系とか、苦手なんだよなぁ。


 まあとにかく、これをクリアしないと、前に進めない。まずは、コックピットをのぞいてみた。


 「弐号機」の外観は「初号機」とほぼ同じだけど、操縦系統はかなり簡素化されている。でも、自分で飛ばせと言われたら、不安しかない。ペト様に操縦方法を説明したときは、私、相当アバウトな表現ばっかり使ってたな。今にして思うと、よくあの説明で飛べたものだと感心する。


 私はまず、もしものことを考えて、一緒に乗りたがるミチャを残したまま、操縦してみることにした。


 ガレージのゲートを開け、操縦席に座る。緊張が高まる。


「だいじょうぶ。だいじょうぶ……」


 窓の外で手を振るミチャを横目に見ながら、エンジンを起動させた。


 基本操作は、いたってシンプルだ。真ん中の操縦かんで機体が進む方向、左手のレバーで垂直方向の動きをコントロールする。スピードは、このレバーをひねるように回せば、調節できる――はずなんだけど、ほんとにできるのか、私?


 操縦席の目の前には、ほぼ真っすぐ下流に向かって、川が伸びていた。両岸から木々の葉がせり出して、天然のトンネルのように見える。ペト様が操縦してくれている間は、ほとんど気にも留めなかったけど、木の枝がけっこう邪魔そうだ。ほんと、なにからなにまでペト様に頼りっきりだったな。


 私は、覚悟を決めた。


 ためしに、左手のレバーをすこしだけ手前にひねってみる。音と振動で、出力が上がるのがわかった。そのままゆっくりレバーを引き上げると、すこしふらつきながらも、機体が浮上していく。


 ヤバい! すっごい手汗が出てきた。


 緊張でふるえる右手で、操縦桿をほんのちょっと、奥に倒す。「空飛ぶ船」は、スローモーションのように、ゆるゆると前に進んだ。窓の外で、ミチャがうれしそうに跳びはねてるけど、よそ見する余裕は、まったくない。


「行っけー!」


 アニメの戦闘シーンとかでよく叫んでるやつ。一度、言ってみたかった。まだ三輪車なみのスピードだけど、左右の木々がすこしずつ視界から後方へ消えていくのがわかる。


 よし、スピードを上げるぞ。レバーを思い切ってひねると、表示される速度が、見る見るうちに上がっていった。フロントガラスに雨粒がパラパラとあたっている。


奥菜おきな、行きまーすっ!」


 これも、一度、言ってみたかった。上昇レバーを徐々に引き上げると、眼下の川と森が、一気に遠ざかっていく。


「え、なにこれ? めっちゃ気持ちいいかも?」


 自分の操作に反応して機体が動く。周囲の景色も動いていく。それだけのことなんだけど、たぶん今、私、めっちゃアドレナリン出てるはず! 操縦する快感と、いつ落ちるかという不安感が、入りまじっている。


 上空から見下ろすと、新居そのものは光学迷彩のせいで見えないけど、川の流れだけがかろうじて確認できた。


「私、飛べてる!」


 あいにくの雨空だけど、私の操縦するPY37γ5(仮・弍号機)は、異世界の空で大きく旋回していた。


 これが、ほんとの処女飛行だな(二重の意味で)。

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