第23話:日焼けにご注意!
「了解です。あの広い湖ですね」
私たちの「空飛ぶ船」が湖に近づくと、岸辺にいた水鳥たちが、驚いて飛び立った。
湖の点在するこの平野は、引っ越し先を探しているあいだに見つけた場所だ。
「それにしても、カナが泳ぎに行きたいと言ったときは、驚きました」
着陸ポイントを探しながら、ペト様が笑顔で言った。
「そんなに意外ですか? ほら、暑い日が続いてるし、冷たい水に入ると気持ちいいかなぁって」
この説明は、ウソでないけど、正しいのは半分だけだった。
最近ほとんど毎日猛暑日なのは、そのとおり。こちらの世界に転移する前、夏休みはコロナのせいで、ほとんど外出もできなかったから、遊びに行きたかった、というのも、まぁ、ウソじゃない。
でも、一番の動機は、「ペト様に水着を着せたい!」だ。
ペト様推しの人なら、わかってもらえるだろう。そう、今この人の着るものは、すべて私が作って(描いて)いる。しかも、人のいいペト様は、どんなものでも文句一つ言わず、喜んで着てくれてしまう! ラノベ本編でも出てきたことのない水着姿を生で見たいというこの気持ち、おさえられるはずがあろうか……。
ペト様は、すっかり手慣れた動作で、「空飛ぶ船」を着陸させる。
今日も快晴だ。気温もたぶん30度は越えている。
コックピットから外に飛び降りると、ペト様は、機体が目立たないよう用意した布のシートを手早くかぶせてくれた。
「ミズゥミー!」
地面に降りたミチャが、一目散に岸辺へとかけ出していく。水着の上に、日焼けよけのパーカーを羽織ったままだった。
「ちょっと待って!」
「マッテー?」
あいかわらずミチャの話す言葉はわからないけど、ミチャのほうは、簡単なことならわかってくれるらしい。私は、引き返してきたミチャのパーカーをあずかり、バッグから日焼けどめクリームを取り出した。
「ハ~イ! 日焼けすると、痛くなっちゃうからね〜。しっかり塗っておきましょうね〜」
「ネ~」
私は、わざとペト様に聞こえるように言った。
ミチャの水着は、ベビーピンクのワンピース。自分で描いておいて言うのもなんだけど、かわいい。まあ、それもそのはず。ミチャは、好みがうるさい。満足してくれるまで、何度もダメ出しを食らったのだった。
にしても、よく似合っているなぁ、この水着。身体は小さいけど、スタイルがいい(ていうか、発育がいい)。
ミチャの胸もとにクリームを塗りながら、手に伝わる、ボリュームのある柔らかい感触に、複雑な気分になる……。
「それは、なにを塗っているんですか?」
「あ! これですかぁ?」
よくぞ、聞いてくれました!
「日焼けどめのクリームなんです」
「ヒヤケドメ、ですか?」
「はい。えっと、今日って陽差しが強いじゃないですかぁ。あんまり日焼けしちゃうと、肌によくないっていうか? 紫外線とか、ええと、UVケア? みたいな……」
説明しながら、緊張で冷や汗が出てくる。
「あまりよくわかりませんが、つまり、陽射しが強いときには、塗ったほうがいいということですね」
「あ、はい! そんな感じ……です」
ペト様が興味をもってくれたのはよかった。けど、どうする? なんて言ったらいい? ためしに塗ってあげましょうか? ダメ! そんなの恥ずかしくて、自分からは言えない!
「じゃあ、せっかくなので、私も塗ってもらっていいですか?」
「へ?」
私は、思わず、ペト様をガン見した。2人で顔を見合わせる。
「ええと……。ひょっとして、男性がヒヤケドメを塗るのは、おかしいことなのでしょうか?」
「いえいえ! ぜーんぜんおかしくないです! UVケアです!」
水着姿のペト様に日焼けどめクリームを塗るという野望が、こんなあっさりと実現するなんて! クリームは、一年毎日塗っても使いきれないくらい、用意してきた。
「じゃ、じゃあ」
私は、チューブから日焼けどめを出し、手の上にとった。
「ぬ、塗らせてもらっても……いい、ですか……?」
「あ、はい。そうですね。お願い……します」
自分の手が、ペト様の肌に直接触れるのを想像しただけで、頭に血がのぼってくる。
「ミズゥミー!」
元気いっぱいに、浮き輪をかかえたミチャが走っていく。いきなり水に入ったらダメだよ、と注意したいところだけど、今そんな余裕はない。
「これは……脱いだほうがいいんですよね?」
ペト様は、羽織っていたTシャツを脱いで、私と向き合うように立った。
「あ、うん。ありがとう……」
ヤバい。ヤバすぎる。引き締まった胸の筋肉が、手を伸ばせば届く距離に……。なんだ、この神々しさは!
「では、お願いします」
手が震えてる。落ちつけ、カナ! 日焼けどめは、ほんとうに必要なもの。なにもやましさを感じる必要はないのだ!
「ぬ、塗ります、ね?」
「はい」
そう言って、にっこり微笑むペト様。――やっぱ、ムリだ! 恥ずかしくて直視できません!
「カナ? どうか……しましたか」
しまった。自分で仕組んだシチュエーションなのに、これは完全に誤算だ。心なしか、ペト様も顔が赤いような……。でも、まっすぐ顔見れないから、よくわからない!
「あ、いえ! なんでも……」
「やっぱり、ちょっと照れくさいですね。やはり、自分で塗りましょうか」
そう言うと、ペト様は、自分でクリームをとって、腕に塗ろうとする。
「え? ええ? あ、そうですか?」
「はい、私からお願いしておきながら、悪いのですが……」
いいのか、これで? ちょっとホッとしたような、でも、ちょっともったいないような……。
「あ、あの! せめて背中だけでも」
「ああ、背中なら。そうですね。お願いしましょうか」
ペト様の広い背中。こちらもスッと引き締まっているけど、どこかしら柔らかくすら見える、きめ細かい肌……。
マジ尊い。尊い以外の言葉が存在しない。
私は、おそるおそる、手にとったままのクリームを、背中に塗ってみた。その瞬間、ペト様の体が、ビクッと震える。
「ごめんなさい! 冷たかった?」
「いえ。だいじょうぶです。むしろ、温かくて、とても心地よいです」
「よかった」
日焼けどめをペト様の背中に伸ばすあいだ、私は頭がボウっとして、なにも言えずにいた。
恥ずかしいけど……。幸せすぎて、ヤバい。
「不思議な感覚です」
しばらく黙っていたペト様が、小さな声で言った。背中を向けているので、表情はわからない。
「不思議、ですか?」
「はい。なんというか」
一瞬、ペト様は、言葉を飲み込むように、言いよどんだ。
「このままずっとこうしていたいような、終わってしまうのがもったいないような……」
「うれしいです」
私もまったく同感です!
「もちろん、それだと日焼けどめの意味、なくなってしまいますね」
「アハハ、そうですね!」
背中に日焼けどめを塗り終わった。また短い沈黙が流れる。
「今度は、私がカナに塗ってさしあげましょう」
さしあげましょうって……。私、何者? ていうか――それ、絶対ムリ!
「いやいやいや! そんなの、恥ずかしくて、確実にショック死しちゃいます!」
「カナに死なれるのは、困りますが」
「ていうのは、言葉のアヤというやつで、死にません。けど、死にそうなくらい、恥ずかしいです!」
「背中だけでも?」
「背中、だけ?」
私は、一瞬、情景を想像した。背中だけ、ならいいか……?
「お望みなら、ほかのところも塗りますが」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて!」
ここは観念して、おとなしく背中に塗ってもらおう。
「カナー! ペーター!」
湖では、ミチャが楽しそうに水とたわむれているみたいだ。さっきからすごい水しぶきの音が聞こえてくるんだけど、なにをやっているのか、観察している余裕はない。
「ごめーん! すぐ行くよー!」
私は、思い切って、水着の上から羽織っていたカーディガンをとった。水着はラベンダーのセパレート。身体の線があまり出ないデザインにしたけど、背中はわりと深く開いている。私は、ペト様の手が背中に触れるのを、ドキドキしながら待った。
えっと……。
「ペーター?」
無言で後ろに立たれると、めっちゃ恥ずかしいんですけど?
「美しい……」
「え? なにが?」
「カナは、ほんとうにきれいな黒い髪なのですね」
「最初に会った日も、褒めてくれましたよね」
「はい、そうでした!」
まだ数日前のことなのに、ちょっと懐かしく感じる。
「失礼」
小声でそう言うと、ペト様は、私の背中に日焼けどめを塗り始めた。
この手の感触……。それだけで、頭が容量オーバーになる。でも、黙ってるとよけい緊張するから、なんかしゃべらないと……。
「私は……」
声がうわずってる。
「私は、ペーターのブロンドの髪のほうが、すてきだと思うけど」
「そうですか? 私の故郷に来れば、珍しくもない色なのですが」
「それは、日本人の黒髪も同じかな」
「ああ、なんというのでしたっけ」
「ん?」
「そう、日本語では『ないものねだり』、というんでしたね」
「そうだね!」
なんとなくおかしくなって、二人とも吹き出した。
好きな人と一緒に笑うって、こんなに幸せなんだな。私は、チラリとペト様の顔を見た。
「どうしました?」
「ううん、なんでもないです!」
湖のほうで、またひときわ大きな水の音がした。
「カナ! ペーター!」
ミチャが、私たちの名前を叫んでいる。
「はーい、今行くよー!」
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