第21話:日食
「前にも来たことがある?」
「この辺の景色、見覚えある気がするんです。この世界に来てすぐ」
私たちは小高い丘と谷間とが入り組んだ、見通しの悪いところにさしかかっていた。
「バスという乗り物で、この世界に迷いこんだと言ってましたね」
「はい」
あの日、終点だと言われてバスを降りた場所と、どことなく雰囲気が似ている。まわりの丘はどれも同じような形で、自信ないけど、この近くだったかもしれない。
「こっちに行ってみていい?」
「行ってみましょう」
歩きながら考えた。
もし、またバスが通りかかったりしたら、どうする? 乗る? ペト様とミチャにも、一緒に乗ってもらう?
でも、そんなことしていいんだろうか? もちろん、せっかく出会えたペト様と離れたくはないけど、16世紀のヨーロッパ人が21世紀の日本に来て、幸せに暮らせるんだろうか? それに、ミチャだって、この世界にまだきっと家族がいるんだろうし……。
「たしか、着いた直後は、まだ電波があったのでしたね?」
「あ! そうでした!」
急いでスマホを取り出す。でも、やはり、電波は来ていなかった。
「ダメですね」
「はい……」
ほんの数日前なのに、ずいぶん昔のことみたいに感じる。あのときも、電波が来てないか、こうやってスマホを見ながら歩いてたんだった……。あれ?
私は、その場で立ち止まった。
「やっぱり、ここです」
窪地のように丘に囲まれたその場所から見上げる斜面は、あの日、私が登っていった坂にちがいない。今、私たちが立っているあたりで、私はバスを降りたのだった。
「ここを登っていってもいいかな?」
私は坂道を指さして尋ねた。同じ道を通ったからといって、なにか起こるわけではないんだけど。
「もちろん」
やっぱりけっこうな登り坂だ。ミチャを抱えたままのペト様には、申し訳ない気もする。
「この坂を登りきって、しばらく先を左に歩いていくと、あの川に出るんです。そのあたりで休憩しましょう」
「はい」
「ミチャ、重いでしょう?」
「重くはないんですが、起こさないように、気を遣いますね」
ミチャはぐっすり眠っていて、まだ目を覚ましそうにない。寝顔は、安定のかわいさだ。
「でも、心配しないでください。故郷からイタリアまで旅したときは、もっと重い荷物をもって、何日も山道を歩きました」
「ペーターってすごいね」
「いえいえ。今はカナと一緒だから、あのときよりずっと楽しいです」
「私も、ペーターと一緒だから、最初に歩いたときより、ずっと心強いよ」
話しながら歩いているうちに、長い坂を登りきった。あの日と同じように、歩いてきた道を振り返ってみる。雲一つない快晴の空の下、あいかわらず殺風景な丘陵地帯。最初は、異世界だってことも気づかずに歩いてたんだよね。
ペト様を案内するように、先を進んでいく。早く家に戻りたかった。もうちょっと歩いていくと、あの石碑みたいなやつがあるはず。そこを曲がっていけば、私たちの家のほうに出る。
「最初にここを歩いたときにね」
スヤスヤ眠り続けるミチャの顔を見ながら、私はペト様に説明した。
「ここは異世界だって書いてある大きな石碑があったの」
「『異世界』というのは、今までいたのとは別の世界、ということですね」
「うん、そうです。ええと、たしか、『異世界へようこそ!』って書いててね」
私は思い出し笑いをした。マジなんだったんだ、あれ。
「ちなみに、それは何語で書かれていたんですか?」
「え? もちろん日本語ですよ。私、それしか読めないですし」
「なるほど……」
ペト様は考え込んだ。
え? 私、なんか変なこと言った?
しばらくそのまま黙って歩いているうち、2人が、同じタイミングで声を出した。
「誰が書いたんでしょうね?」
2人の声がみごとにそろったので、顔を合わせて笑ってしまった。一瞬、笑い声に驚いて、ミチャが目を開く。そして、ペト様と私の顔を順に見くらべて、安心したようにまた眠りに落ちた。
「また寝ちゃった」
「いい寝顔ですね。というか、私たちも帰ったらしっかり寝ないと」
「それね」
今はなんかハイな状態だけど、緊張がとけたら一気に爆睡しそうなコースだ。
あの標識みたいな岩、そろそろかな。もう坂の上まで来てから、けっこう歩いているし……。
「この辺にあるんですか?」
きょろきょろする私を見て、ペト様が察してくれた。
「と思うんだけど……」
道を覚えるの、得意なほうじゃないんだよな……。
「あ、ちょっと待って。ここ、見覚えがあるかも」
やっぱりそうだ。左手に、草の茂った空き地が見える。私はここから曲がって、川の方へ向かって降りて行ったんだった。
「でも……」
「ありませんね」
私はうなずいた。「異世界へようこそ!」と書かれた標識があったはずの場所には、なにもない。撤去したあとに復旧作業までしたかのように、あとかたなく消えている。
「どこに行ったんだろう」
あの日、私は幻でも見てた? 位置的に、ここで間違いないはずなんだけど……。あんなに重い岩、誰かが簡単に動かせるものじゃないし……。
隣に立っていたペト様は、しばらくあたりを見回したあと、急になにかに気づいた様子で、空を見上げた。
「さっきから空が暗いこと、気づいていましたか?」
「え?」
雲一つない青空が広がっている、と思ってたけど、そう言われてみれば、なんとなく薄暗くなった気がする。ペト様に釣られるように、私も空を見上げた。太陽はさんさんと輝いている、はずなのだけど。あれ?
「ペーター、太陽が、ひょっとして、欠けてたりします?」
「はい。欠けてたりしますね」
日食というやつか。テレビで見たことはあるけど、リアルタイムの体験は初めてだ。太陽は3分の2くらい黒い影に切り取られている。
「これって」
「ええ。あの星が太陽の前を通過しているのですね」
500円玉星が光をさえぎる様子は、なんとなく気味が悪かった。ペト様は、私の気分を察してくれたのか、励ますように寄り添ってくれる。でも、その目は、日食のほうに向けられたままだ。
気がつくと、いつの間にかミチャも目を覚まして、この光景をじっと眺めていた。
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