第18話:川底の散歩
「カナ! ペーター!」
朝からミチャは、元気全開だ。二階から降りてきて、私たちを見るなり全速力で足もとに抱きついてくる。
大声でなにか話しかけてくるのだけど、あいかわらず意味はまったくわからない。ただ、たっぷり寝て気分がよさそうなのは伝わってくる。
「ああ、ミチャ! おはようございます! よく眠れましたか?」
ペト様も元気そうにミチャの相手をしている(それはそうと、ミチャにもずっと敬語ですか)。
実は、私もペト様も、あの電話のあと、まともに寝てない。また電波が入るんじゃないか気になって、ゆっくり寝る気になれなかったせいだ。
二人でソファに座ったまま、あれこれ話しているうちに時間が過ぎた。ときには私が、ときにはペト様が、ウトウトしていたけど、空が白みはじめたころになって、そのまま眠ってしまったらしい。
「ミチャ、おはよう!」
「オッハヨッ!」
ミチャはそう返事をすると、部屋のあちこちをぐるぐるまわりはじめた。なにかを探しているようなそぶり。テーブルできょろきょろ、台所できょろきょろ、ソファーできょろきょろ。わかりやすいな。
「ひょっとして、お腹すいてる?」
こう尋ねると、ミチャは目を丸くして私を見た。そして、すばやく三回ほどうなずく。
あんた、ぜったい日本語わかってるよな?
「オッケー、待ってて」
昨日のミチャのみごとな食べっぷりを思い出す。あの発育の良さの秘訣は、旺盛な食欲にありと見た。テーブルに紙をおいて、朝ごはんになりそうなパンとサラダとスープを三人分描いてみる。
「ホー!」
ミチャがうれしそうな声をあげた。
◇
まだ朝だけど、陽射しは強い。今日も暑くなりそうだ。新月のように細くなった五百円玉星が、また太陽の近くに見えていた。
ミチャがうれしそうに叫び声をあげながら、川岸のほうへ走っていく。朝食のあと、私たちはペト様の発案で、散歩に出たのだった。
「ミチャの家族は、どこにいるんでしょうね」
ペト様は、私たちに向かって手を振るミチャに笑顔で答えながら、こう言った。私の家族が私のことを心配してくれてるように、きっとミチャの家族だって心配してるんだろう。
「やっぱりミチャのこと、探してるかな」
「でしょう。見つかるまでは、私たちが親がわりですね」
親? そうか。もし通行人でもいたら、私たち三人は親子に見えるかもしれない。てことは、私とペト様がカップルか。なんか申し訳ないけど、想像したらうれしくなる……。
「ペーターさえよければ、喜んで!」
「もちろん。こちらこそ!」
フフフ。ついでに、弟か妹でも作っちゃいますか! なんてね(照)。
「でもミチャは、ほんとにどこから来たんだろう」
「私たちと会うまで、かなり長いこと迷い歩いてた様子でしたね」
そういえば、あちこちに傷もあったな。服もところどころ千切れてたし、まるで危険な場所から急いで逃げてきたような様子だった。
「カナ。呼んでいるみたいですよ」
ペト様の指さす方向には、ミチャが見えた。川岸からこちらに手をふり、なにか叫んでいる。ぴょこぴょこ跳びはねてる姿はかわいいけど、なにを伝えたいのかはわからない。
「なにがしたいんだろう」
「ひょっとすると、向こう岸に渡りたいのかもしれませんね」
「え?」
そう言われてみると、ミチャはときどき向こう岸を指さしているようだ。対岸は小高い丘に続いていて、きれいな水色の花が一面に咲いているのが、ここからでもよく見えた。あの花のところに行きたいのか。でも、向こう岸まで三十メートルくらいはありそうだ。
「ミチャ、川を渡るのは、ちょっと難しいんじゃないかなぁ」
私たちが近づいていくと、ミチャは一生懸命なにかを訴えながら、嬉しそうにぴょこぴょこ跳ね続けている。しまいには、私とペト様のそでを引っ張り始めた。
本気で向こうに渡ろうとしてる? うーん、流れはそこまで速くないけど、けっこう深いぞ。場所によっては、ミチャの背より深いかもしれない。
「どうしても行きたいみたいですね」
ペト様が言った。
「しょうがない。諦めさせるのは難しそうだし、橋でも描いてあげるか。でも、紙とペン、家からとってこ……」
そう言いかけた瞬間、ミチャが川に突進し始めた。
「ちょ! 待って、ミチャ!」
手を伸ばし、ミチャを止めようとする。でも逆に、私がその勢いに引っ張られた。
「カナ!」
すかさず、ペト様が私の腕をとる。バランスを崩したまま、私は、ミチャに引きずられるように、水のなかに体ごと落ちた。
と思ったら……。
「いったーっ!」
「ホー!」
倒れた私の手の下には、ひんやり濡れた石があった。でも、その石の上を流れているはずの水は――ない! ちょうど私が腕をついている周りだけ、半径五十センチくらい水の空洞ができている。まるで、私の腕のまわりだけ、水が避けて通っているようだった。
「なに、これ?」
ペト様が、私を抱き起してくれた。すると、やっといなくなったと言わんばかりに、先ほどの空洞が消え、水が流れ込んでくる。
「ごめんなさい、カナ。いきなりだったので、間に合いませんでした」
私を抱き起しながら、ペト様が謝ってくれた。
「ううん、平気です! ありがとう」
私たちの様子を見ながら、ミチャは得意げに立っていた。
川底に。
その場所はちょっと深くて、ミチャの腰よりすぐ下まで水が流れている。でも、やはりミチャの周りだけ、水がなかった。ミチャが動くと、まるで体の周囲にバリアでも張ったみたいに、空洞も合わせて移動していく。
「これ、ミチャの超能力ですね」
「え、超能力?」
「お風呂のときと同じでしょう。石鹸やシャンプーを動かす代わりに、川の水が体の周りだけ避けて通るように、コントロールしているのですよ」
そんな器用なことが?
「面白いですね。そうだ。試してみましょう!」
「試すって?」
「ミチャ!」
声をかけると、ペト様はそのまま川に飛び込んだ。
え? えーっ!? けっこう無茶するなあ、この人!
でも、ペト様は、ひざ上あたりまである川のなかで、水には少しも濡れずに歩いていた。様子を眺めるミチャのドヤ顔。さっき一生懸命私たちに説明しようとしてたのは、こういうことだったの?
「流れている川の底を歩くのは、不思議な感覚ですよ。カナも試してみてはいかがですか」
ペト様が差しのべてくれた手にすがりながら、私も向こう岸へと歩き始めた。
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