第9話:魔術、始めました(後編)

「カナ、その服は……」


 私の姿を見て、ペト様が絶句している。


 やっちまったか。


 肩が広く開いた暗紅色のワンピース。イメージしたのは、イザベラ・デッラ・スカラのドレスだった。


 『チェリせん』で描かれるペト様とイザベラの恋愛は、もどかしいほど進展しない。けれど、強く意識し合っていることは、お互いに気づいている――そんな関係だ。


 いきなり私がイザベラみたいな服を着て現れたら、そりゃ、ペト様も驚くよな。


 あれ? でも、ペト様は、物語の時系列でいうと、まだイザベラと知り合ってないんだっけ?


「あ、やっぱり変ですよね。ハハハ」


 笑ってごまかしてみる。


「とんでもない! カナ、とても素敵ですよ!」


 あれ、ペト様、こういうの、好みなのか。


「ところで、そちらにあるのは何ですか? 替えのドレス?」

「あ、えーと、これは……」


 制服と並べて、色もデザインも同じドレスが脱いである。


「最初に描いた服。サイズが大きすぎて……。で、もう一回描き直したら、ちょうど入ったんです」


 ペト様には言わないけど、最初の服はイザベラのことを思い浮かべながら描いた。だから、私には大きかったのかもしれない。


 矢嶋ミウ先生の原作イラストだと、ペト様と並んだとき、ちょうどペト様の首の高さくらいだ。私の頭はペト様のみぞおちくらいまで行かないので、イザベラはけっこう背が高いことになる。


 二回目は、自分が着ることをイメージして描いてみた。どうやら私の魔術(?)、空気を読んでくれるらしい。絵描きの描こうとしていることをかなり忠実に実現してくれる。線画なのにちゃんと色がつく理由も、そういうことだったのか。


 ただ、イザベラみたいなナイスバディには映えるドレスを、私のようなガキが着ても合わないだろうな、とは思った。でも、ペト様の反応はすごくいい。ただのお世辞を言ってる感じでもないので、ひとまずグッドチョイスだったみたい。よくやった、私。


「日本でも、このようなドレスを着る人はいるのですか?」

「うーん、いないというとウソになるけど」


 てゆうか、『チェリ占』のコスプレ界隈なら、ドレス姿のイザベラは、めっちゃポピュラーです。


「世間一般では、あんまりみないかなぁ、と」

「そうですか。カナみたいによく似合うなら、フィレンツェではきっと毎晩のように招待が舞い込みますよ」

「ペーター、口がうまいんだから……」


 ちょっと話を盛ってるかもしれないけど、こんな風に言われて、悪い気はしない。ペト様、こういうところ、本当にそつないな。


「そうだ、カナ。一緒に撮影しましょう!」

「うん、撮りましょう!」


 スマホを適当な岩の上にセットして、二人の姿が画面に入るように調節する。私のほうは慣れないコスプレって感じだけど、相手は誰あろう、ペト様ご本人だ。


 いやぁ、なんてゼイタクな撮影会。ペト様も楽しそうだ。さりげなく私の手を取ったり、肩を抱いたりしてポーズをとってくれてる。目が合うとドキドキして、ヤバい。


 立派なドレスを着てるんだから、それらしい表情を作ったほうがいいんだろうな。でも、こんな状況でニヤけてきちゃうのはどうしようもない。


「そうだ。さっきの服にも着替えたほうがいいですか?」


 え、さっきのって、肌露出多めの服? の動画? うーん……。


「あ、いやいや! いいです、いいです!」

「そうですか? 残念ですね〜」


 一瞬すごく真剣に考えてしまった。もう~。またペト様にからかわれてるよ。


 異世界にいきなり放り出されてまだ2日目。昨日は生き残れるかすら不安だったけど、今日は修学旅行にでも来てる気分だ。ペト様がいてくれるおかげで、この先なんとかやっていけそうな気がする。


「あ、そろそろ止めないと。電池なくなっちゃう」


 撮影した動画を二人で見返してみた。私がムダにはしゃいでる様子が、画面から伝わってくる。こっぱずかしいけど、なんか嬉しい。


「自分の姿をこうやって眺めるのは、不思議な気分ですね。ところで、電池というのは何ですか?」

「ああ、機械を動かすためのちからがこの中に入ってるんです。ほら、ここに51%って出てるでしょ?」


 私は、ペト様に残量表示を見せた。少しずつだけど、着実に減ってるな。


「これが今残ってる電池の量なんです」

「ゼロになると、使えなくなる?」

「うん、そう。ゼロまで行かなくても、残りがちょっとだけだと、動かなくなるかな」

「便利な半面、電池がないとダメなんですね。その電池の量を増やすことはできるのですか?」

「ダメなんです。もとの世界に帰らないと」

「そうですか。では、大切に使わないといけませんね」

「ですね」


 ペト様なら、すぐにでも日本の暮らしに適応できそうだな。


     ◇


 川から戻ってきたペト様は、袋の中に入れた魚を見せてくれた。5~6匹くらいはいる感じだ。


「これ、全部ペーターが捕ったの!?」

「はい。カナが作ってくれたもりのおかげです。これで少しは食事の足しになるといいのですが……」

「うん、それはもちろん!」


 ペト様から魚の捕れそうなポイントがあると聞いて、魚捕り用の道具を描いてみた。


「あんな風に魚を捕るの、子供のころ以来でしたよ」


 なんか楽しそうだな。慣れないものを描いてみてよかった。


「それより、カナ、向こうに建っている建物は……」


 電池の話をした後、ふと考えた。スマホの充電ケーブルを作ったら、充電できるようになるんだろうか。いや、ケーブルだけじゃダメだな。コンセントもないと。でも、どうせコンセントを作るなら――家ごと描いたほうが早くね?


「コンセントから充電できるようにするためには、配電盤も、送電線も、発電所もないといけないだろう。もちろん、電力会社の社員も必要だな」


 ……てなことをユウトさんなら言いそうだ、と思ったけど、まあ、深く考えないことにした。失敗したらそのときだ。


 でも、ドレスを描くとき、着る人の身長まで思い浮かべるのがいいとわかったので、今回も描く前にできるだけ具体的なイメージを頭の中で思い描いた。二人で十分生活できるくらいの間取り、室内の装備、壁紙やカーテンの色まで念入りに想像してみる。


 沼の向こうにある少し広めの空き地で腰を下ろして、家の絵を描き始めると、案外すぐ描き終わった。ジャーン! 堂々2階建ての完成だ。


「中も見てほしいんです。来て!」


 私は、ペト様の腕をとってグイグイ引っ張りながら、新居を案内した。え、新居って…。


「日本の家というのは、こんなに立派なのですか?」


 居間からキッチン、バス、トイレと順に見せる間、ペト様はいちいち感心してくれた。


「そういう家もあるけど、私の家はもっとずっと小さいです。これだけ立派な家だと高すぎて、うちにはムリかな」


 視聴者の家をリフォームする番組が大好きで、よく観ていたのが役に立ったかもしれない。なんてったって、建築費用ゼロ、工期もほぼゼロだ。


「それからね」


 私は充電ケーブルにつないだスマホを手に取って、ペト様に見せた。


「なんと充電もできたんです!」

「それはよかった!」


 残量はもう68%まで回復している。照明や冷蔵庫も使えるし、キッチンや洗面の水はもちろん、シャワーのお湯も出た。しっかり事前にイメージした甲斐があって、キッチンにはパンと調味料があり、洗濯用の洗剤や、石鹸、シャンプー、リンスも完備している。


「ここは、寝室、ですか?」

「あ、はい。こっちがペーターの部屋」


 2階は、二人のそれぞれの部屋にした。高身長のペト様には大きめのベッドを用意してある。


「あっちは私の部屋です」


 私は、隣の部屋のドアを指さした。


「見てもいいですか?」

「え、うん……」


 家にあるのと同じくらいのベッド。そのかわり、絵が描きやすいように、かなり広めのアンティークっぽい机を窓際に置いていた。


「寝室は一緒でもよかったのに」

「だって……」


 もちろん、寝室をどうするかは描く前によく考えた。この家で、これからずっと二人で暮らすかもしれない。いつまでも別々に寝るわけじゃないよね――とは思ったものの、いきなりベッド一つにしちゃうのは、さすがにいろいろアレだし...。まあ、描き直せば、間取りはいくらでも変えれるんだけど。


 ペト様は真剣な表情だった。


「まだこの世界がどんなところかわかりません。一人で不安なときは、遠慮なく言ってくださいね」

「うん、ありがとう。ペーター……」


 ヤバい。涙出そう。ペト様、優しすぎ……。


 ペト様は、そっと私を抱き寄せた。


     ◇


 見学ツアーがひととおり終わると、二人ともお腹が空いていたので、すぐ食事の用意に取りかかった。魚は6匹。ペト様が持ち前の器用さを発揮して、あっという間に魚のワタを取ってくれたのですごく助かる。川魚だし、生はやめたほうがいいので、4匹だけ塩をふって焼いてみた。


 パンと魚だけだけど、この世界に来てはじめての食事らしい食事だ。食べ終わって、話をしていると、ペト様の表情が急に険しくなった。


「何の音でしょう?」


 私には何も聞こえない。


「え? 音?」

「はい。聞こえませんか? 聞いたこともない音です」


 ペト様は、ベランダのほうに駆け寄って、窓を開けた。


 本当だ。何かが飛んでるみたいな音が聞こえてくる。


「何の音だろう?」

「カナ、あれを見て」


 指さす方向に目を向けると、青白い大きな光が1つと黄色っぽい光が5つ、ゆっくり動いているのが見える。ゆっくりとは言っても、かなり遠いところなので、相当なスピードのはずだ。


「星ではなさそうですね」

「はい。違うと思います」


 見ていると、青白い光は時々方向を変え、それを追うように黄色い光が動くのがわかる。飛行機ならあんな突然方向転換できないはずだ。


「宇宙船かな」

「宇宙船? それは何ですか?」


 青白い光がもう一度大きく向きを変えた。ほぼ私たちのいる方向だ。


「宇宙を飛ぶ船のようなものです」


 音も大きくなってきた。追いかける黄色い光から、赤い光が放たれる。


「攻撃してる」

「戦闘ということですか?」


 光を発している本体部分も見えてきた。本当に、SF映画で見る宇宙船みたいだ。青白い光が小刻みに針路を変えるのに応じて、追手の攻撃も激しくなっている。赤い光の一つが大きく的を外して地上に落ちた。少し遅れて爆音が響いてくる。逃げる側からも撃ち返しているのがわかった。


 光を放ちながら、宇宙船らしき物体が通り過ぎる。ここからはかなり距離があるけど、青白い光のほうは数百メートルの長さがありそうだった。追いかける5機はそれよりもずっと小さい。


「私たち、すごい世界に来ちゃったみたい」

「どうやら退屈する心配はなさそうですね」

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