第7話:ペト様の腕に抱かれて?

 そうか、ペト様の絵を描いているうちに、力尽きて眠ってたのか。


 ――ということは、こっちにおいといて。


 そのペト様が、なぜここにいらっしゃる? ひょっとしてこの世界、ペト様のご実家? いや、あの五百円玉みたいな星、あれはここが地球じゃない証拠。


 頭のなかで渦巻く疑問をよそに、目のまえのペト様は、スーパーフレンドリーに私と会話してくれている。


「なるほど、カナは、水を浴びたいのですね」


 昨日お風呂に入れなかったことを説明すると、ペト様はすぐに納得してくれた。


「いいアイディアですが、どうせなら二人で一緒に浴びては、どうでしょう?」

「いや、ダメダメダメ! ペトルス様と水浴びなんて、恥ずかしくて死んじゃいます!」

「冗談ですよ!」


 ペト様が悪戯っぽく微笑む。もう、真顔ですごいこと言うんだから……。想像しただけで、耳まで赤くなったぞ。やはり、本物の破壊力は一味違う!


「それと、『様』は、やめませんか? よかったら、ペーターと呼んでください」

「え、ペトルスではなくて?」

「ああ。それは、ラテン語式ですね。言ってみれば、よそ行きの名前です。故郷では、いつもペーターと呼ばれてました」


 聞きましたか? 全国数十万のペト様ファンの皆さん! ペト様のことを「ペーター」と呼ぶお許しをじきじきに頂戴するなんて! なんかハイジにでもなった気分。


「ペーターさん?」

「よろしければ、『さん』もなしで」


 あぁ、優しい声だなぁ~。もうこの声だけで幸せな気分!


「それにしても、問題は着替えがないことですね」

「はい。そうなんです」

「会ったばかりの男を信用するのは難しいでしょうけれど、恥ずかしいなら、カナのほうを向かないようにしますよ。幸いなことに、暖かい一日になりそうです」


 昨日は、日が沈む前に眠ってしまった。その後、どうやら一晩ずっと目を覚まさず、朝まで寝てたらしい。太陽はもう高くまで昇っている。


「どこか木陰で待ってたら、体を拭かなくても服を着られるくらい乾くかもしれません。とにかく、カナが水浴びをしている間は、私が見張っているので、安心して水に入ってください」


 ペト様、こういうところは紳士だなぁ。


「あの、信用してないとか、全然そんなんじゃないです! 恥ずかしいだけですから……」

「それを聞いて、安心しました。では、どうぞ、お先に」


     ◇


 私は、沼の前に立った。水は澄んでいる。たしかに、よく陽が当たっているので暖かそうだ。振り返ると、ペト様は茂みの向こうにいるようで、ここからは見えない。私は服を脱いだ。


 まぁ、冷静に考えたら、こんな小娘の裸に興味ないか。


 おそるおそる水の中に入ってみる。思ったよりも冷たいけど、気持ちいい。


「カナ」


 突然の声にびっくりして、あやうくバランスを崩しそうになった。すぐ後ろで呼ばれたような気がして振り向くと、誰もいない。姿は見えないけど、思ったより近いんだな。あたりが静かなせいで、余計に声が響くみたいだ。


「教えてほしいことがあるのですが、いいですか?」


 え、何だろう。ドキドキ。


「私に答えられることであれば、何でも」

「私たちはいま何語で話しているんでしょう?」


 そうきたか!


「日本語です」

「日本語……というのはニホンで話されている言葉ですね」


 あれ? ひょっとしてペト様、ちょっと天然?


「ニホンというのは……ジャッポーネのことでしょうか」


 ジャッポーネってジャパンかな?


「あ、そうですね。たぶん」

「この世には不思議なことが数えきれないほどあるし、私自身これまでいくつかの奇跡を見聞きしてきました。でも、自分が学んだこともない言葉を突然話し始める経験はこれが初めてです」


 ああ、そういうことか。ペト様は、語学の才が豊かな人という設定だ。でも、さすがに日本語はムリだよね。もちろん、小説の中の会話は日本語で書かれてるんだけど。


「では、カナは日本から来たのですね」

「うん、だから日本語しか話せません」

「この紙の裏に描いてあるのは、日本の文字でしょうか」


 え、紙ってどの紙? ま、まさか?


「紙の裏というのは……?」

「私のことを描いてくれた絵です」


 アーーッ! 昨日描いてたイラスト、どこ行ったのかと思ったら、ペト様が持ってたのか!


「あ、あの、その、ごめんなさいっ!」

「どうして謝るのですか? とても素敵な絵じゃないですか」


 まあ、ご本人にそう言っていただけるのは、絵描きとして大変嬉しいのですが……。


「ええと、変な女だと思いませんでしたか? 気持ち悪いとか、不気味だとか?」


 ペト様の笑い声が響いた。


「カナは面白い人ですね」

「面白いことを言ってるつもりがないとき、よくそう言われます」

「この絵を描いたのは、私に来てほしかったから?」


 いきなり核心つく質問、来たー!


「そ、それは……」

「もしそうなら、私はとても嬉しいな。今朝、気づくとカナが私の腕の中で眠っていました」

「えっ、ペーター!?」


 ペト様の腕に抱かれて寝ていただと!?


「信じてませんね? 本当ですよ」

「ごめんなさい! 私、自分が寝るまでのこと、全然覚えてなくて」

「その点は、実を言うと、私も同じなんです。ここに来るまで、自分がどこにいて、何をしていたのか、まったく思い出せない。少なくとも、自分のいた場所がここではなかったことくらいしか……」


     ◇


 沼の水は心地よかった。あたりは静かで、私が動くたびに、しずくが音を立てる。ペト様は、考えごとをしてるようだった。


 私も少し気が動転している。男の人に添い寝してもらった経験なんてないし、初めての相手がペト様だったなんて。しかも、その記憶が一ミリもないなんて――!


 気持ちを落ち着かせようと、私は髪まで水につけた。シャンプーないけど、少しはマシかな。


「ここは」


 髪の水気を絞っていると、またペト様の声がする。


「私たちの地球ではないのですよね?」


 さすがは天文学と占星学をきわめた秀才! グイグイ核心ついてくるなぁ。


「わかりましたか?」

「目覚めたときにはまだ星が出ていたのです。見たこともない星座なので、これは別の世界にちがいないと」


 はい、正解です。星座を見ただけでわかるなんて、さすがだな。


「あの大きな星も見ましたか?」


 例の五百円玉星のことを思い出して尋ねてみる。


「あれは一体なんでしょうね。不吉な徴を感じます」


 私は、ゆっくり沼から上がった。ペト様の言ったとおり、陽射しが強いせいで、寒くは感じない。すぐに服は着れないので、岸辺の草の上に腰を下ろして待つことにした。


「水浴び、終わりました」

「気分はどうですか」

「すごくさっぱりしました!」

「それはよかった!」

「はい」

「服を着たら、教えてくださいね」


 なんだろう、この感覚。


 この星にペト様と一緒にいられたら、毎日こんな風に過ごせるのかな。だとしたら――


「ペーターも着替えがないのは同じでしたね」

「そのことなのですが」

「はい」

「なぜ絵の中の私にこのような服を着せたのです?」


 しまったぁ! 地雷だったぁ!


「ああ、ええっとお……」


 ペト様はまた楽しそうに笑った。


「カナの描く絵によって、私はこの世界に現れることになったと考えてよいのでしょうね」

「そう、なのかな……」

「少なくとも、そう仮定すれば、いろいろなことが説明できそうです」


 突然こんな状況におかれても、冷静に情勢の分析ができるんだなぁ。


「そこでね、カナ。私にいい考えがあるのだけど、ちょっと協力してもらえますか?」

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