第6話:せめて今日だけ――

 いつの間にか眠ってしまったらしい。寝る前、なにしてたっけ? 地面がゴツゴツして痛かったことだけ、なんとなく覚えてる。思い出せ、私!


     ◇


     ◇


 そうだ。木の実を食べた後、私は川岸に降りていったんだった。


 勇気を出して飲む水は、冷たくておいしい。運よくお腹が痛くなることもなく、〈いきなりバッドエンド〉的な展開は回避できた。ペットボトルにもしっかり詰めておこう。


 落ちついてよく見ると、川にはいろんな種類の魚が泳いでいる。


 うーん、川魚なら食べれるかなぁ。生ものは危険だけど、火ってどうやって起こしたらいいんだっけ?


「おーい! キミたちのうちで一番うまいのは誰だ?」


 道具もないし、手でつかまえるのは難易度高そう。やっぱり、食べ物の心配は残るなぁ。さっきの木の実で少し落ち着いたけど、すぐまたお腹減るだろうし……。


 なんてことを考えながら歩いていたら、あたりはだいぶ平坦な地形になってきた。川の流れは少しゆるやかになり、岸辺には私の身長より高い草が生い茂っている。大きな木が何本か立つほうに進んでいくと、木や草のおかげで、ちょうどいい具合にまわりから目隠しされる形になっていた。


 今、最大の懸案事項は、お風呂と洗濯と寝る場所だ。一日中かなり暑かったから、汗もいっぱいかいてて、ちょっと気持ち悪い。どこかで水浴びでもできればいいけど。そのためにはもちろん――裸になる必要がある。


 誰も見てないなら、気にすることない? いや、気にしないのもうら若き女子高生として、どうよ。


 そもそも誰も見たがらないだろ、とかいうツッコミはおくとして、まあ、裸を見られたくらいで死にはしない。でも、服を脱いじゃったら本当に無防備だ。体を拭くタオルも着替えもないから、乾くまで裸族でいなきゃいけない。


 うーむ。明日にしとこう。


     ◇


 川と並行するように細長い沼ができている。これって三日月湖ってやつだ。蛇行した川のカーブした部分が、本流から取り残されてできる地形。この沼と川に挟まれた一帯なら、ちょっとだけ安全かもしれない。一日中歩き通しで、さすがに疲れてきたしなぁ。


「うん、この辺ならちょうどいいかも」


 木に囲まれた草地で、横になるにはちょうどいい。まだ日が沈むまでしばらくかかりそうだけど、決めた! 今日はここで寝ることにしよう。危ない生き物とか来ませんように!


 そもそも、この星に人間みたいな生物はいるんだろうか? いない場合、私はこの星でロビンソン・クルーソーみたいにサバイバルしてかなきゃならんわけだ。


 そう考えると、いてほしい気はする。小人でも巨人でもエルフでもかまわない。いれば、文明の恩恵にあずかれるかもしれないから。でも、善良じゃない種族だと厄介だな。


 一体、なんでこんなところに来ちゃったんだろう。


 ラノベでもアニメでも、主人公が異世界に来るストーリーでは、その世界にとどまり続けるパターンと、元いた世界に戻っていくパターンの両方がある。私のストーリーは、どっちかな。


 もちろん、私はまだ帰る気満々だ。でも、そのためには、まずこの世界で生き残らなきゃならない。どちらにしても前途多難そうだ。どこかに攻略本とか落ちてないかな。


 あ、待てよ。ひょっとして……。


 小さな岩の上に腰かけたまま、私は、目の前の虚空をあちこちみた。なんかVRMMO的なユーザー用操作メニューみたいの、出てくるとか…?


 はぁ。やっぱ、ないか。


 ゲームなんかで異世界に転生したプレーヤーが備えてるスキルは、ゼロなんだな。もともと運動神経や反射神経はいいほうじゃないし、成績だって下から数えたほうが早い。こりゃ、先が思いやられます。


     ◇


 普段なら、こんなとき、『チェリせん』読み直したり、ペンタブでペト様を描いたりして、気を紛らわすことができるのに。


 カバンの中身を取り出してみた。


 まずは『完全版〈宇宙艦隊ギルボア〉詳細設定集』。


 ……。


 うん。重かったよ、あんた。ユウト先輩からの借り物じゃなければ、とっくに放棄してたな。まだ帰れる望みは捨てたくないから、持ってくけど。やっぱりアニ同の会室に置いとくべきだった!


 いつもならカバンにほかの本を入れておくこともあるけど、この本がかさばるので、諦めていた。


 あとは、登校日に配られたプリントが四枚、ペンケース、リップとかを入れた小型のポーチ、財布、スマホ、折りたたみ傘、それにペットボトルで全部だ。使えん。


 寝る前は、ベッドに入って好きな本を読みながら、そのまま寝ちゃうことが多い。けど、今日はそれもできないな。


 いや、ちょっと待って。


 そういえば、しばらく前、『チェリ占』の電子版をスマホにダウンロードしてた。これですぐ、愛しのペト様のもとに行けるのね! なんて便利な時代に生まれたのかしら、私!


 いやいやいや、待て。早まるな。スマホに落としてあるということは、その気になれば、いつでも読めるということだ。充電レベルが着実に減っていく中、ここで電力を浪費するのは、はたして得策と言えるのか、香南絵かなえよ。


 うむ、なるほど、御説ごもっとも。しかし、しかーし、だ! わけもわからぬ異世界に放り出され、明日をも知れぬ我が身。せめて今日だけはペト様の尊いお姿を胸に、眠りにつきたいというささやかな望みを誰が責められるだろうか!


 うん、やっぱ、そーだなー。スマホ、まじ便利。


 完全に忘れてたけど、ダウンロードしてからも何度か読んだことがあったみたい。前回開いたページが開かれた。第一巻の最後から第二巻までを占める「チェリゴ篇」の触りの部分だった。


     ◇


 北方の国サクソニアからボローニャ大学に遊学した若き日のペト様は、故郷に戻らず、ヴェネツィアの商館で働き始める。あるとき、ペト様を乗せた船は嵐に見舞われ難船し、海賊らの手に落ちた。その頭領イザッコはペト様を奴隷のように虐げるのだが、ペト様は海賊どもの内紛に乗じて脱出し、ギリシアのキティラ島、通称チェリゴ島へ難を逃れる――これがチェリゴ篇のあらすじだ。


 イザッコは、チェリゴ篇の前半にしか出てこないマイナーキャラではあるけど、その狡猾で残忍な暴君ぶりは読者に鮮明な印象を残す。ペト様の身を案じるファンたちにとっては、ハラハラとドキドキが連続する数十ページだ。


 なかでも、敵船に襲撃を受けた晩、船の中で二人きりになり、イザッコがペト様の部屋に鍵をかけて閉じ込めるくだりは、イザッコとペト様の間に何があったのか(それともなかったのか)をめぐり、ファンの間で激烈な論争が続いている。腐女子でなくても、いろいろ妄想をかき立てられるシーンだ。


 次のBLマンガの冒頭にナギちゃんが選んだのは、まさにこの箇所だった。ボロボロになった服をまとい、顔はすすで汚れ、かすり傷を負ったペト様。


 ナギちゃん渾身のネームを読んで、私はちょっとだけ抵抗した。


「イザxペトは正直きついよ」

「いや、認めん」

「アルフォンソならまだ許せるけど、イザッコはないわー」

「わかってないなぁ。そこが狙いどころだろう?」

「てゆうか、このボロボロの服、何? なんかタンクトップみたいじゃね?」


 そう言うと、ナギちゃんは笑ったけど、絵はまかせるから、ということで押し切られてしまった。


「描きたい」


 思い出すと、突然インスピレーションがわいてくる。ペンタブがあればなぁ! 描きたい気持ちが抑えきれず、もう『チェリ占』さえも読んでられない。スマホの電源を切り、私はカバンからプリントを1枚取り出した。裏は白紙だ。


 ペンケースを開けると、使えそうなのはシャープペンシルだけだった。


「シャーペンかよ……。まあ、いいや」


 私は、脳裏に浮かぶペト様のお姿を紙の上につなぎとめようと、慣れないシャープペンシルで必死に描き続けた。


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