第32話 本気

 優しい彼の手が私の手を握り、陸の方へと強く引っ張る。


 ずっと、触れていたかった。


 「つーかさ…、なんで俺たち…」


 水位が足元くらいになったところで、彼は我に返るように疑問符を浮かべた。


 「祈祷師さんの言い伝え通りに行動したからだよ」


 私は泣いたばかりで少し荒くなった息遣いで呟いた。


 「でも、結月は生きてるし…、俺の方が何らかの条件を満たしたってことか?」


 「ううん、違う」


 「じゃあ、結月が命を落として…、もしかして、俺の夢か!? ここは!」


 「それも違う。ちゃんと生きてるよ」


 冗談のようなことを本気で口にする彼に、思わず笑みがこぼれた。笑いたくなかっ

たのに、彼のこういうところが、悔しいけど本当に好きだ。


 「私が、命を賭けたからだよ」


 「えっ…」


 「私がノートで書いた言い伝え、思い出してみて」


 「『宵の子』が命落とせば、呪いは解かれる…。そのまんまじゃん」


 「私、それをどうやって知ったっけ?」


「確か、結月が小さいころに祈祷師さんがご両親に説明してるときに聞いた、…だよ

な?」


 「うん」


 「それがどう関係あるんだ?」


 「聞いただけだよ? 『命落とす』って。言葉を知ってる今なら、もう一通り思い

浮かばない?」


 私は、薄く笑った。


 「もう一通りったって、『命落とす』、命を落とす以外に何があるんだ…。あっ」


 「そう」


 ゆっくりと目を見開く光くんに、私は頭を下げた。


 「危ないことしてごめんね。『命を賭す』って分かって、こんな真似して」


 すると、光くんが無邪気に笑った。力が抜けたように、砂浜にへたり込んだ。


 「ああ、月って意外と眩しくないんだな。この目で見ても全然痛くないね」


 勝ち誇ったような顔でまん丸とした月に平手をかざし、掴むように握り締める。


 私は少しだけムッとした。


 だって、どんな思いで私がこんなことをしたか、気付きもしないで、それに気付こ

うとも努力もしないで、先に未知の空模様を呑気に楽しんでいるのだから。


 「なんか、怒ってない?」


 「怒ってるよ!」


 声を張り上げる。


 「ノートのページをあんなにくしゃくしゃにして! 最近はあんまり返信してくれ

なかったし! 茜ちゃんばっかりに頼るし! 茜ちゃんといっつも一緒に帰ってるみ

たいだし!」


 なんて言っても、私に怒る資格なんてない。だって、彼は私のものじゃないんだか

ら。でも、抑えきれなかった。私の本気を、知ってほしかった。


 「後半から、日輪の非難ばっかりになってないか?」


 「そうだよっ!! だって…、だって…」


 次は、泣き出しそうだった。面倒な女になってしまう。漫画や茜ちゃんの知り合い

の話でしか知り得ない情報から想像するに、今の私はこれに十分該当しそうだった。


 「光くんのことが、大好きだからだよ!!!」


 島中に聞こえてしまうくらいの大声で、とうとう言ってしまった。


喉が千切れるくらい痛かった。腹の中が空になるくらい腹から声を出した。


届け、届けと、前に、目の前にいる彼に。


 「そっか…」


 彼は、一言そう発すると、しばらく黙り込んだ。


 そして…。


 「そっか…、そうか…」


 安心したように、しかし、顔を下に向けて、身体をかくかくと上下に動かした。


 顔がくしゃくしゃになっていた。


 目からは、涙が零れ落ちていた。


 「良かった…」


 うう、と呻き声が漏れる。


 「なんで?」


 私は問うた。聞いても良かったのだろうか。


 しかし、すぐに返答が返ってきた。


 「俺も、大好きだから」


 心臓がキュッと軽く握られる感覚だった。


 「最近、戸崎と仲良さそうにするし、戸崎を教育係にして家に呼ぶし、戸崎のこと

書いてるときだけ字が躍ってるように見えるし」


 「全部、富麿くんの非難になってない?」


「下の名前で呼ぶのも嫌だった!」


 涙声で訴える彼を見ると、心の中の怒りや靄がスッと消えた。


 私も涙が溢れだす。さっき泣いたばかりなのに、涙腺はしっかり稼働している。


 「っ…」


 彼が手を取る。


 「帰ろう」


 先に泣き止んだ彼が、私の手を再び、次は優しく引いた。


 「うん」


 見慣れた夜空の下、私の目の前で、ずっと、何年もずっと、この命を賭けても会い

たい人が、目の前で、目を開けて、「へへっ」と声を出して不器用に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る