第31話 NO. END

 目が覚める。


 まん丸とした月と目が合う。一拍おいて、ベッドから出る。


 時が来た。


 展望台に上り、『№END』と書かれたノートに、書き残しがないかをよく確認

し、永遠の眠りになり得そうな舞台へと歩みを進めた。


 光くんとの出会いを思い出す。


 最初に会った時は、枕の下にノートが隠されていて、『陽の子』です、と書かれて

いて、返信を書いた。


 教育係や母の束縛から一歩でも逃げ出したくて、彼と色んなことを話したっけ。学

校に行けなくても、昼間に起きられなくても、私の心は優しい光に包まれた。


 一度、お母さんにバレて、大変だったっけ。あの時はもう二度と、光くんとお話し

できないのかな、って本気で心配した。


 少しして、凛ちゃんが臨時の教育係としてやって来て、最初はびっくりしたな。初

対面なのにあんなにオープンで少しいい加減で不真面目な態度。お母さんも眉をひそ

めてたな。


 切り札を使って、お母さんを脅したことは、本当に悪かったな。今もそう、同じよ

うなことをしようとしている。ちゃんと文面だけでお母さんにも挨拶できるだろうか

な。


 それから、茜ちゃんと出会って、光くんの同級生で、彼女は彼に想いを寄せている

ことが分かって…。


 そして、高校受験。光くんは必死で勉強した。きっと、彼女のために。私にも頼っ

てくれたけど、一番は彼女だよね。家に通って、勉強教えてたんだよね。




 砂浜に着く。


 波がサーっと気味のいい音を絶え間なく鳴らす。


 夏が始まるというのに、夜の浜風は涼しくて、気持ちがよかった。


 海面に突っ込んだ足が思った以上に冷たかった。足首まで浸かった足が、だんだん

深い場所へと動く。


 腰の位置まで浸かる。


 「光くん…」


 海水に押し流されるような、さらわれるような、よく分からない状態に陥りなが

ら、前へ進む。


 胸まで浸かる。


 「光くん…」


 死の恐怖が、水となってせり上がる。


 涙が零れ落ちる。


 まだ口は浸かってないのに、溺れるように息が苦しい。


 死にたくなかった。


 でも、私が死ぬことで、彼が幸せになるなら。


 首の位置まで浸かる。


 「もう一回、返事を読みたかったな…」


 昨日見た、くしゃくしゃになったノートのページを思い出す。


 どうしてか分からないけど、私は彼の気分を害した。握りつぶされた。私の言葉が

書かれた文面を。


 やっぱり光くんには、茜ちゃんがいないと、ダメなんだよね。


 「さよなら…、さよなら…、光くん…」


 前へ飛び出した。


 頭の先まで沈み込んだ。


 苦しかった息は、もっと苦しくなった。


 夜の海は真っ暗で、目をつぶっていても開けているのと同じくらい真っ黒だった。


 月の光も、星のきらめきも消えて、本当の闇が眼前に広がる。


 この闇に、このまま飲まれて、光くんは夜の闇を知る。


 光くんに幸せが訪れる。


 遅くなってごめんね。でも、大学進学までには間に合ったから、これで心置きなく

外に出られるよ。


 茜ちゃんと、どうか、幸せに…。


 腕を強く引かれたのはその時だった。


 誰!?


 身体が急な接触により拒否反応を示すが、死にたくない気持ちが勝り、されるがま

まに強く引かれた。


 凛ちゃん。


 お母さん。


 茜ちゃん。


 福本さん。


 富麿くん。


 その、誰でもなかった。


 引き上げられると、その人物は私の頭をこちらへ向くように振り向かせ、「結月っ!」と怒鳴った。


 「何やってんだよ…。俺、こんなこと、頼んだかよ…」


 艶のある真っ黒な瞳をしていた。二重瞼で、女の子みたいに華奢で、かといって痩

せすぎてはいない、ちょうどいい体型。学校の女の子たちにも好かれそうな感じの男

子。


 「光くん…」


 間違っていたらどうしよう、なんてことはもちろん思わない。


 昨日あれだけ、彼の寝顔をこの目に焼き付けたのだから。もう一度、今度は目を合わせて会いたいと、心の底から思っていたのだから。


 目を開いた彼が、今、私の目の前にいる。


何年もの間、ノートの文字だけを介して関わり続けた彼が、目を開けて、声を発し

て、現実に、この夜の空間に存在していた。

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