第28話 幸せにしてほしい
「ほら、いっくよ~」
本土にある海浜公園で、日輪茜が勢いよくフリスビーを投げる。
「おい、どこ投げてんだよ!」
誰もいない方向へ飛んでいくフリスビーを追いかける。振り返ると、ビーチチェア
でスヤスヤと眠る結月の姿が見えた。
『富麿くん』
目を開けてあいつと喋る彼女は、どんな顔をしているだろう。俺なんかを相手にす
るよりも、ずっと楽しそうで、きっとあいつとの未来を想像しているだろう。
受験の頃だろうか、いや、もっと前だろうか、交換日記から感じ取れる限り、結月
は俺との関わりを断ちたいように思えた。
そう、あの日からだ。福ちゃんが主催した島のイベントがあった日。
俺が、何かをしただろうか。
結月が『宵の子』であることを日輪に勘づかれたから?
日輪は、俺が『陽の子』であることを確信しただけでなく、結月のこともすぐに見
抜いた。
俺がボロを出して、日輪にバレたから、結月は俺のことを嫌いになったのか…。
外部の人間に、知られたくなかったはずだ。昼に活動できる俺は普通に学校に行っ
て、普通に友達を作って、普通に誰かと喧嘩して、普通に先生に怒られたり褒められ
たりして。
あいつは、夜に活動して、外の世界をほぼ完全に遮断していた。普通の女の子とし
ての生活を、呪いに奪われている。
「青野君?」
「ああ、わりい」
「あんたなーにボーっとしてるのよ。結月の寝顔ばっかりチラチラ見ちゃって」
「そんなに見てねえし!」
「そんなにって、それでもほどほどには見てるんだ~、へぇ~」
「お前な…」
日輪の余計な冷やかしに俺は顔を背ける。
「結月ちゃんがかわいいのは僕も分かるから大丈夫だよ、青野君!」
「…ああ」
まるで自分の彼女であるかのような言葉で俺をフォローする戸崎。こいつは言葉を
選べるタイプじゃなくて悪気はないのだと分かるけど、その言葉がグサリと、胸に突
き刺さる。
俺の方が、とまたしても身勝手な気持ちが溢れだしそうになる。
「お腹空いたし、そろそろご飯にしな~い?」
水着姿で露出した腹をおどけた調子でさすり、日輪が目を細めた。
そして腹を満たす。
日がこんなにも高く昇っているのに、斜め向かいに座る結月は目を閉じたまま寝息
を吸って、吐いている。
それからも、同じ調子で遊び続け、あっという間に夕方になる。途中でお菓子を買
ったりもした。じゃんけんで負けたら近くのコンビニに行って買って来る。負けたの
は俺で、これ
俺は眠気を感じた。当たり前だが、今日も月は見れない。
結月は、いつ起きるのだろう。
俺はただ、それだけが気になっていた。
陽と宵の狭間のような時間に、二人で一緒にいたことがない。今まで曖昧だった
が、今日、ハッキリと分かる。俺と結月に会うチャンスがあるのかどうなのか。
今日の集まりを直前になって用事が出来たとかで行かない選択もあった。しかし俺
は、ここまで、この時間のために、耐えた。
「はぁ~、疲れたね。僕、久しぶりにこんなに運動したよ」
ベンチに座る俺に倣うようにして腰を掛ける戸崎。
「やっぱ、勉強で忙しいの?」
俺は適当に話を合わせる。
「結月さんのこと、好きなのかい?」
「えっ…」
質問の答えになっていない返しに、俺は虚を突かれた。
「今日からずっと、結月ちゃんのことばかり見てたから」
戸崎は面白くなさそうな顔で言う。
ごめん、と喉元から出かかった言葉を慌てて沈める。どうして俺が謝らないといけ
ないんだ。
「それに、彼女のことになると、男子になる」
「なんだそれ?」
本当に意味が分からなかったから俺は問う。
しかし彼は一方的に話しを進める。
「出なきゃ、あんなに交換日記は進まないね」
「見たのかよ」
「いや、表紙に書かれてる№だけ」
冊数が分かるために、結月が二冊目以降のノートの表紙に書き始めた番号。『百冊
目指そうぜ』なんて書いて、結月に笑われたっけか。
「それだけ、君たちは仲がいいんだね」
「いや、どうだろう」
どこか残念そうな顔をする戸崎の発言に俺は首をかしげる。
「実際に目を開けて直接会話をしたことなんて一度もないし、お前の方がずっ
と…」
「青野君の話ばっかりしてたよ」
「え?」
傾く西日に照らされながら、彼がいま発した言葉を反芻する。
戸崎が続ける。
「何かあるたびに光くんが、光くんみたいって。国語の教科書で無邪気な少年が出
てきたときはどこか懐かしい顔をして青野君の名前を呟いて、物理で光の屈折や反射
が出るたびにクスクス笑ったり。彼女の中で、君の存在がどれだけ大きなものかを思
い知らされたよ」
「大げさすぎだろ」
「あるがままの事実を言っただけだよ」
「夢…、じゃねえよな」
俺は独りで呟くと、戸崎が笑いながら、
「結月さんも嬉しがると同じようなことを言うよ」
「別にっ、嬉しいわけじゃ…」
「ほら、顔がにやけてる」
「マジか!」
「それは嘘」
「おいおい。日輪みたいな茶化し方やめろ」
へへっと笑う戸崎。
しかし、顔がすぐに真剣さを帯びる。
「お願いがあるんだ」
「お願い?」
いちいち大げさで真面目な言葉遣いを彼らしいと思いながらも、俺もまた真に受け
てその『お願い』とやらに耳を傾ける。
「どうか、彼女を、結月さんを幸せにしてほしい」
「戸崎…」
俺は、やっとのことで自分の気持ちに正直になる。
そう、俺は嫉妬していた。結月が、戸崎と接点を持ち、下の名前で呼び合う仲にな
っていたことに腹を立てていた。ノートのページを握りつぶすくらいに、怒りがこみ
あげていた。
つまり俺は、彼女のことが…。
「だから」
戸崎が、さらに言葉を続けた。
「今のうちに、結月さんと縁を切ってほしい」
「っ…!」
息が詰まった。
「お前、今なんて言っ…」
「交換日記も、止めてほしい」
今、目の前にいる戸崎が何を言っているのか分からなかったが、脳が戸崎の放った
言葉を徐々に紡ぎ出してようやく理解する。
理解するとともに、今度は腹の底から沸々と、衝動のような怒りが湧きたった。
「なんでお前に、そんなこと言われなきゃいけないんだよ」
俺は、昼間からずっと言いたかった言葉を、ようやく口にした。
俺の方が、結月のことを知ってるのに。
そんな俺の気持ちを先回りするかのように、戸崎が問うた。
「彼女の目を見たことがある? 彼女と顔を合わせて笑い合ったことがある?」
「直接会ってねえと、関りを持っちゃいけねえのかよ」
「違う。僕は将来のことを話してるんだ」
出た。
『将来』という言葉が、俺の中にある熱をすべて奪い去っていく。どうにもならな
い、『大人』になるということ、イコール、俺と結月が交換日記を卒業し一切の関り
を断つ『将来』。
小学生の時、大きな家の門についたインターホンを押し、真正面から訪ねた家で、
彼女の母親とそう約束したのを思い出す。
もしかして、こいつ。
「彼女のお母様は、お約束を守るおつもりだよ。青野君のことを信じてるって」
今の俺は、どんな顔で戸崎と向き合っているだろうか。きっと情けない顔をしてい
る。
眠気が重くなっていることに気付いた。
「でも、俺は、俺は…」
視界がぼやける。焦点がずれる。
目の前の、反論したい相手を直視できず、ついに視界が暗転する。
かすかに聞こえる声。
「このことは、結月さんにも伝えるから」
やめろ…。
やめてくれ…。
この声は、きっと声になっていない。
時間の流れ、日の傾きに身を任せたまま、俺の意識は真っ暗闇へと落ちていった。
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