第10話 どうしよう

 放課後。


 「どうした?」


 途中までよく一緒に帰っているクラスメート・白浜優斗の声に、慌てて反応する。


 「…ん、ああ! 大丈夫! 昨日はあんまり眠れなかったみたいだな! あっは

は。で、なんだっけ?」


 「日輪か?」


 「えっ、ああ…」


 交換日記の件もあるが、そう、それも悩みの種の一つであることを思い出す。


 「一度、オッケーだしたらあそこまで喜ばれて、引くに引けなかったっつーか…」


 「そんな顔してる」


 基本的にクールで落ち着いた彼はクスッと笑う。


 「やっぱり優斗には筒抜けだったか」


 「行くの?」


 「いや、断ってしまおうかなって…」


 「そっか」


 優斗はそれだけ言って、これ以上は日輪の話はしなかった。いい意味で他人の深い

部分には興味を持たない優斗の性格に助けられる。


 こいつになら『陽の子』の話をしてもいいのではないか、とも思ったが、やはり口

外しないという決まりなので黙っておく。


 「じゃあ」


 「おう、また明日な!」


 港行きのバス停に着くと、優斗はそのまま家の方へと歩いて行った。




 島に帰り着いたのは午後4時だった。


 夏の日差しは、冬に比べるとまだ高い場所にあって、まだ昼間であることを訴える

ようにじりじりと暑く輝いていた。


 俺は夏が好きだ。単純に、起きていられる時間が長いから、という『陽の子』的な

理由もあるけど、このうんざりするような暑さに時折吹く潮風が涼しくて気持ちがい

いし、飲み物がより美味しく感じられるから。


 「よし…」


 西日が差す海を両側に構えた橋を歩く。


 50mの大きく、長い橋。


 この橋に続く、希望。


 あるいは絶望。


 花火大会への不安を書き綴った交換日記。連続で続いた自分の番。もう、彼女の丸

い字が更新されないことへの不安。一方的な俺の想い。


 このままずっと、一生こんな状態が続いたらどうしよう。


 あの母親に勢い込んでいってみたものの、果たしてどれほどまでに効果があっただ

ろうか。


 展望台まで歩き、ダメもとで小屋の中に置かれた交換日記を手に取る。俺がこの前

置いた場所のままだったのか、それとも彼女が手に取ってそれをまた同じような場所

へ置いてくれたのだろうか。そんな些細なことさえも気になってしまう。


 期待は膨らませないと思いながらも、彼女の字が最後に来ていなければきっと俺は

がっかりするだろう。


 おそるおそる、ノートを開き、俺が最後に書いたページをめくる。


 彼女が書いた字は、確かにあった。


 「あっ…」


 緊張が解かれて空っぽになった意識に少しずつ喜びが膨らむ。


 しかし、ある引っ掛かりのようなものを感じた。


その文章の中の一部が、そこだけ雨粒か何かに打たれたように濡れた後、乾いている

ような。


もしかして、これは…。


予感が的中していることを、始めの一文が教えてくれた。


 『どうしよう』


 続きを、目で追う。


『私、お母さんに、酷いことを言った』


 酷いこと。


 文章でしか会話をしたことがないけど、彼女は物腰が柔らかくて、真面目なことは

よく知っているが、そんな彼女が言った酷いことなんて、きっと可愛らしい、次の日

には母娘二人して楽しく笑みを浮かべる程度の『酷いこと』なんだろう。


 軽々しく考えていた俺が馬鹿だった。


 あまりに残酷な事実に驚愕した。


 臨時でやって来た教育係の人との再会と、交換日記の再開を条件に、死んでやると

脅迫した結月。


 そして、俺も知らなかった『陽の子』と『宵の子』についての事実。


 『陽の子』を普通の人間にする方法。



 『宵の子』が命落とせば、呪いが解かれる。



 8歳の彼女が聞いたという、島の伝承。


 『宵の子』である結月が死ねば、『陽の子』である俺は普通の人間になれる。


 俺にとっての唯一の光。


 彼女にとっての、夜以上の闇。


 最後に綴られた一文。


 『たくさん書いてもらったのに、ごめんね。内容を読む気力が無くて…。楽しい気

持ちに戻れたら、また読むね。絶対』


 彼女らしい真面目さに、俺は力なく笑うが…。


 「そんなことないって…、っ!?」


 あることを思い出し、心臓が跳ね上がった。


 花火大会。


 クラスの人間と約束してしまった、夜のイベント。


 普通の人間になれば、俺は夜にも起きることが出来る。


 俺は消しゴムを手に持ち、前回の内容をすべて消した。


 彼女が知ったらどうなるだろう。


 人のいい彼女は、どこまで俺のことを良く思ってくれているだろうか。


 花火大会に行かなければならない、そんな小さな危機のために、自分の命という大

きなものを犠牲にするわけなんてないだろう。しかし、可能性は全くないわけではな

い。


 彼女を殺してしまう可能性を完全に消し去り、その空白を、ごく平坦な学校生活の

記憶で埋め尽くした。


 それから一息ついて、彼女の『どうしよう』に向き合って、返事を書いた。



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