第9話 一番かわいそう

 「そんなこと、できるわけないじゃないですか!」


 八歳の頃。夜明けまであと1時間くらいの時間に、母の声が響いた。


 「結月に聞こえるから落ち着いて」となだめるお父さん。


 「すいません」


幼いころから時々家に来る祈祷師は、シワの多い顔を険しくゆがめた。


「あくまで300年前の伝承を50年前、19××年に書き直したものですので信憑

性は定かではありません。こちらです」


祈祷師はカバンから透明なクリアファイルに大事にしまっていた、和紙のようなもの

を取り出し、父に渡す。次は父が文章として読み上げる。


8歳だけど、意味はすぐに理解した。


『宵の子』が命落とせば、呪いは解かれる。


読み上げた祈祷師の言葉が頭の中を反芻する。


命落とせば。


「余計なことを伝えてしまい、申し訳ありません。娘さんの命を軽んじてしまうよう

な内容ですが、これが娘さんのためになる場合もありますので…」


「当たり前よ」と自分よりも幾分か年上の男性に敬語を使わない母が、急に部屋の周

り、主に部屋と部屋を繋ぐ出入り口を見渡した。


「結月ー! もう寝たかしらー! …大丈夫みたい」


ドアの隙間から覗いていた私は慌てて身を引き、これ以上はここにいられないと直感

し、足音を殺して自分の部屋へと戻った。






 簡単なことじゃないか。


 死をちらつかせるだけで、こうもあっさりと取り乱してくれるとは思わなかった。

いい意味で驚いた。


 「今日は、よく眠れそうだな」


 まあ、日が昇りそうな時間にしか眠れないんだけど。


 迷惑だと思わなければいい。


 ああやって、わがままを言ってやろう。


 イレギュラーで辛く見える私の言うことなら、いくらだって聞いてくれる。


 そう、私はかわいそうな子なんだ。普通じゃないから、普通の子たちよりも辛いか

ら、ここまでやっても罰は当たらない。


 『宵の子』に一番迷惑してるのは私なんだ。


 『宵の子』だから学校に行けないし、『宵の子』だから青空を見れない。『宵の

子』だから友達が出来ないし、『宵の子』だから光くんとも交換日記が出来ない。


 一番かわいそうなのは、私。


 私以上に不幸な人間は、いない。


 翌日、母はどうやら分かったようだ。


 風呂から上がり部屋着に着替えて自室に入ると潮野さんがカーペットの上に座って

いた。


 どこか改まったような表情だった。


 「こんばんは!」


 私は笑顔で声を掛ける。もしかして、ここに来れたことを喜んでくれているのだろ

うか。そうだったら、私も嬉しいな。


 張り詰めたような表情はサプライズか何かの類だろうか、十分な間を取って私をわ

っと驚かせるための面持ちだろうか。


 軽い足取りで机に向かうと、彼女が口を開き、私に問うた。


 「結月が言ってくれたんだ。前に、切り札、って言ってたのを使ったの?」


 「うん、そうだよ! 潮野さんを急に来させなくする、なんて言ったから、あの嘘

つき。もうここしかないかなーと思って、思い切って言ってみたらさ、面食らったみ

たいで。こっちがびっくりしたよ! 死んでやるって、言った時のあの反応と来た

ら! 条件を二つ出して、さっそく潮野さんが来てくれるようにしたし、光くんのこ

ともきっとオッケーするだろうな。今日はずっと部屋にでも籠って反論を準備してる

んでしょうね。私のことを甘く見てるからだよ」


 饒舌になった。潮野さんのために言ってやったんだよ、ということを子供ながらに

アピールしたかったのかもしれない。


 「あの人、プライド高いからなー。高い鼻をバキッとへし折ってやったから、もう

私に合わせる顔ないんじゃな…」


 パンっ、と音が響いた。


 左の頬からじんわりと痛みが走る。


 「えっ…」


 目の前に、端正な顔立ちの彼女の剣幕があった。


 「謝れ」


 刺すような目つきの彼女から、冷ややかな声が出た。


 私は、動揺していた。


 身体中からさっと血の気が引いた。


 目の前の優しい彼女が怒っている。私に本気で怒っている。それは、宇野さんやお

母さんのような大人の顔と一緒だった。


 「なんで…私が…」


 先ほどまでの勢いが嘘みたいに消えていった。か細い声で、反論にもならない疑問

を投げかける。


 すると彼女は、カバンを持ち上げた。


 「あんたのお母さん、泣いてたよ」


 「えっ…」


 ドアを開ける。


 「今日は、勉強を教える気も映画を観る気もしないから、帰るね」


 「ちょっと待っ…」


 バタン、とドアが閉じられた。



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