第2話 結月

 目が覚めると、今まで見ていた真っ暗闇に、家の明かりと星と月の光が点いた。


 今日も、私の一日、いや半日が始まる。


 寝汗が身体にまとわりついて気持ちが悪いので家の入ってシャワーを浴びたいと思

い、布団から出ようとすると、枕が普段よりも若干、ほんの少し浮いているような感

覚があった。


 枕の下を確認すると厚紙のような感触がして、引き抜くとそれは一冊のノートだっ

た。


 「なんだろう…」


 首をかしげて、中を確認しながら、お母さんの仕業だと思い当たる。


 私がこんな身体だからか、迷信や言い伝えを真に受けて信じるお母さんの悪癖だろ

うか。枕元にノートを置いたら頭が良くなるとか、そういうたぐいの願掛け。


 しかし、それは私が勉強に使ったノートではなく、全く知らないものだった。


 「えっ…」


 私のものでも、母のものでも、教育係の人のものでもない、ミミズがのたくったよ

うな、お世辞にも上手だとは言えない文字。


 漫画やアニメでよく見る、あんまり勉強が得意ではなく、外でボールを蹴ったり鬼

ごっこをするのは大好きな小学生の字。


 文章を目で追った。


 『どうも、こんにちは。初めまして』


 挨拶を並べただけの一行目に、書き手は手紙を書くことに慣れてないのかな、と勝

手に想像して笑みを浮かべてしまう。


 そんな呑気な思考を吹き飛ばしてしまうのは、二行目だった。


 『俺は、『陽の子』です。友達になってくれませんか?』


 息が詰まった。


 咄嗟に周りを見渡し母や教育係の人の存在がないことを確認する。


 ノートに向き直り、試しに頬をつねってみる。


夢じゃなかった。


『返事待ってる。このノートにメッセージを書いたら、また枕元に置いてて。一週間

後に取りに行くから』


その文章に、どきっ、とする。


「結月ちゃん」


 急な呼びかけにさらにどきっと心臓が跳ね上がり、ノートを元あった場所に隠す。


 「おはよう。お母様がお呼びですよ」


 40代後半くらいの生真面目な女性の教育係が、私を家へと促す。


 「返事しないとな…」


 「ん? なにか言いました?」


 「いえ…、何でもないです」


 ベッドからむくりと立ち、背伸びをし、足元に置かれたサンダルを履き庭の芝を踏

みしめて歩く。


 また、『陽の子』、男の子がやってくる。


 というか、彼はどこから忍び込んできたんだろう。


 もしかして、塀をよじ登って来たとか?


 懸命によじ登るその姿を想像すると口元が緩みそうになり、隣を歩く教育係さんに

気付かれないようにキュッと引き締めて、彼への返事を考え始めた。


 家の中に入ると、お母さんが食卓にご飯やおかずの乗った器たちを用意していると

ころだった。


 「風呂に入りたいだろうけど、先に出来上がったから食べちゃって」


 否定をさせる隙を見せない、素早く尖ったような口調は、今日に始まったことでは

ない。私が『宵の子』として生まれてきてからずっと、彼女はどこか時間に追われて

いるとお父さんが言っていた。


 「結月」


 その彼も、椅子に座る。


 「お父さん。おはよう」


 「おはよ」


 母とは対照的に、和やかで柔らかい性質の父が、いつものように私と同じタイミン

グで夕食を取る。


 「今日は外の仕事はなかったの? 講演会とか」


 「なかったよ。今日はずっと部屋に籠ってた」


 お父さんは27歳のころに小説家としてデビューし、小説だけで食べていけるよう

になってからは、8年間務めていた、コマーシャルでもよく耳にする製薬会社を退社

した。お母さんとはその製薬会社で知り合い、結婚し、父の故郷であるこの島に家を

建て、私が生まれた。


 「でもまあ、来週は東京に出張だから、しばらくは会えなくなるかもね。大丈夫

か?」


 「うん」


 なにに対しての大丈夫なのか、だいたい見当がつく。食器を洗うお母さんをチラリ

と一瞥した。


 「私は大丈夫だから、お仕事がんばってね」


 「ありがとう」


 お父さんがニコリと笑うと、話は終わり、そのまま黙って食事を済ませた。


 その後、私は勉強を始める。


 今日は火曜日。


火曜日と水曜日は、日没後の夕食後から明け方の2時まで、教育係がつきっきりで

黙々と国語や算数の問題を解かせながら、要所で塾講師の経験と二児をもつ彼女が解

説をする。


教育係の宇野さんは、本土の人だから、火曜日にこの家にやって来て木曜日の朝まで

無駄に広いこの家の一室を借りて宿泊する。


週に二日、本土から私に勉強を教えにやってくる。


他の曜日は、家の清掃などをしてくれる使用人の杵築さんが夕食後に一時間だけ見て

くれるが、この人も本土の人なので、9時になるとそのまま家へと帰っていく。


「もう少し進められたんじゃないですか?」


宇野さんは厳しい。彼女が用意したテキストを指定した位置までにやっていないと、

「どうしてここまでしか進んでないのですか」と、口を酸っぱくして咎められる。そ

の度に、「ごめんなさい」とか「気を付けます」とか、その場しのぎの言葉で私は逃

げる。


半ば脅迫されるような感覚で勉強を進める。小学校はきっと、もっと優しい先生と、

他の生徒たちがいるという安心感があって、楽なんだろうな、と羨ましく思う。


でも、贅沢は言えない。お母さんたちに迷惑をかけてるのは私だから。『宵の子』と

して生まれてしまった私の責任だから、わがままを言うのは間違っている。親のため

に生きることが当たり前なんだ。


でも、苦しい。今に始まったことではないけれど、お父さんは仕事で忙しくてお母さ

んも私のために力を入れてくれて教育係の宇野さんも勉強を教えるのに必死で。


もっと楽でいたい。なんて思ってしまう。


 あの人…。


 『陽の子』は、どんな人なんだろう。漫画やアニメで見るような主人公みたいに、

日の下を生きる明るい人なんだろうか。


 張り詰めた水面に雫が落ちて波紋が広がるように、緊迫した私の現状に、彼への興

味が少しずつ大きくなっていく。


 返事をしよう。


 決心した。


 私の心は、変化を欲していた。


 「次は算数。図形からしましょうか」


 「はい」


 ちゃんと聞こえていることを証明するために返事をしながら、彼への返事を考え

た。

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