11 トーヤ

 なんだよ、このおっさん!!


 心の中でトーヤをおっさん扱いして悪態をつきながら、それでもソファに放り投げられたまま、横に倒されたまま、すうっとベルは夢の中に入ってしまった。

 

 あまりにも疲れ過ぎていた、あまりにも色んなことがあり過ぎた。

 そして今は落ち着いて、安心して、それですんなり寝てしまったのだ。



 

 ベルが次に目を覚ましたのは、もうすっかり朝になってからだった。


 どこか遠くでのどかに小鳥の鳴く声が聞こえ、ベルはもうずっと前になくなってしまった幸せな頃、貧しくとも家族5人で身を寄せ合って暮らしていた家のベッドに戻っていた。


「ん……母さん?」


 寝起きのぼおっとした目に誰かの背中が見えた。

 柔らかいシルエットを描いている細い線。女性としか見えないその線を母親の背中だと思ったのだ。


 でも違う。

 母はベルと同じような濃い茶の髪をしていた。

 この人の髪は輝くような銀色……あ!


「こ、ここ!」


 そう叫びながら飛び起きる。


「るせえなあ、静かにしろよ、まだみんな寝てるだろうが」


 少し離れたところから、口悪くそういう返事が返ってきた。


「トーヤ!」

「なんだあ、呼び捨てかよ、ガキ!」


 まだ明け切らぬ薄明はくめいの中、部屋の反対側の壁、確か戸棚のあった横に座った人影がそう言った。

 

 あそこはアランが寝ているベッドの隣だ。

 そういえば、この部屋にはベッドが2つとソファが1つ、3人分の寝る場所しかない。

 トーヤはどこで寝たんだろう、それが気になってきた。


「あの」

「なんだ、ガキ」


 寝入りばなを起こしてしまったのか、不機嫌そうにそう答える。


「寝てないの?」

「あ?」

「だって、座ったまま……」


 自分がトーヤの寝る場所を奪ってしまったから、それで機嫌が悪いのだろうか、そう思った。


「はあ? ちゃんと寝たぞ。まあ、おまえの兄貴見るのに何回か目は覚ましたがな」

「えっと、座ったまま?」

「座ったままだって寝ようと思や寝られるからな」


 ふんっ、と鼻で笑うようにそう言う。


 ベルにもやっと分かった。


 この男、トーヤはものすごく口が悪く、すぐに手足が出るけどその中身はとても優しい。

 言動は荒っぽいが、思い出せばずっと優しくしてくれている。


「あの、ありがと……」


 思わずそう言うと、


「ふん、ガキがナマ言ってねえでもうちょっと寝てろ。おまえふらふらだったろうが、そんでぶっ倒れられてもこっちが迷惑だ」


 そう返ってきたが、なんとなくベルにはそれが面白かった。


 だって、自分の方がずっと大変だったはずだ。

 アランを担いで、最後にはベルのことも引きずってではあるが連れて歩いてくれたのだ。

 あの暑い中を、文句一つ……は言ってたかも知れないが、それでもここまで連れて来てくれたのだ。


 その後で、状況を考えれば多分井戸の番人に話をつけたのもトーヤだろうし、宿をとってアランの治療の手はずも整え、実際に治療してくれて、その後、かなり乱暴で憤慨したが風呂に入れてくれたのもトーヤだ。それからお腹いっぱいにしてくれて、柔らかいソファで、しかもいつの間にか掛け布団をかけてゆっくり寝かせてくれた。

 それだけのことをしてくれていて、それなのに素直に礼を言うとあんな風にぶっきらぼうに返ってくる。


 どんだけ天の邪鬼あまのじゃくなんだよ、そう思うと笑えてきた。


 このおっさん、いや、トーヤって人、おれ、嫌いじゃないや。

 ベルはそう思った。


「あの、おれ、もうよく寝て平気だし、おれが兄貴見てるから、今度はトーヤがここで寝てよ」

「あ?」


 トーヤがびっくりしたようにそう答えた。

 その反応がもう面白かった。


「だから、トーヤがこっちで寝てよ。おれの兄貴だぜ? おれだって様子見てられるからさ」

「なんだあ、おまえ、いきなり馴れ馴れしいな」


 そう言いながら、ベルがトーヤと呼ぶのをとがめない。


「でもまあ、俺は平気だ。どうせ兄貴が目ぇ覚まして動けるようになるまでしばらくここに泊まるからな、いつでも寝られる。おまえがもっと寝てろ。そんで元気になってきびきび働いて恩を返せ」


 そう言うと、ふんっと横を向いてしまった。

 なんだか照れているようで、その様子をかわいいと思ってしまった。


「そうかあ? じゃあ、もうちょっと寝るけど、兄貴、頼んだぜ」

「言われるまでもねえ、つまらんこと言ってねえでとっとと寝ろ」

「分かった、頼んだ」


 そう言ってベルはもう一度ソファに体を横たえ、笑いながらもうまた寝てしまった。


「ふん、何がそんなに面白いんだかな。ガキはよう分からん」


 そうつぶやくトーヤの声を耳にしながら。


 


 次にベルが目を覚ましたのは、もうすっかり日がのぼり切ってからのことだった。

 昨日の朝とのあまりの違いに、すごく幸せを感じた。

 

 兄はまだ目を覚まさないが、トーヤが治療してくれて、まだ名前を知らない白いマントのお兄さんも一生懸命水を飲ませたり治癒魔法をかけてくれたりしている。きっと元気になる、すぐ元気になる、そう思うと本当に安心できた。


 そんなふわふわした安心の中で半分まどろんでいると、


「おら、ガキ、なんぼなんでもそろそろ起きろ、でないと朝飯食いそびれるぞ!」


 そう言って布団を引き剥がされ、頭を張り倒されたが、それすら幸せに感じていた。

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